10 無意味な祝福
野宿にはあまり慣れておりません。
明け方頃でしょうか。少し寒くなって目を覚ましてしまいます。
朝陽が差しているとは言いたがたいけれど、辺りは少しだけ明るい。
わたくしが身じろぎすると、座ったまま寝ていたマノリア様の目が開きました。まつ毛が滑らかに動いて濃紫の瞳がこちらを見つめてきます。
「どうしたの」
「いえ」
剣士の勘なのか獣人族の感性なのか、マノリア様の感覚には優れたものがあります。そばにいると、背中についている目で見守られているような。
「さむい?」
「……いいえ」
「冷やさないようにしないと」
一瞬の間があったのを悟られたのかもしれません。
「朝まで、あと少しだけ」
言い訳のようにつぶやいて、マノリア様が隣にすり寄ってきます。くるまっていた毛布を広げ直して、わたくしを包んでくれました。
寄り添って横になって。
暖かい。
わたくしより彼女のほうが体温が少し高いのかもしれません。あるいは眠気が強いのかも。
昨日、“目的なんて何でもいい”とマノリア様が口走ったのを忘れてはいません。ということは、マノリア様にとってわたくしの力は目的ではないということになります。
祝福の力、癒やしの力、解呪の力、人はそれらを目的に神官であるわたくしに同行を願います。
目的は力であり、共にいることはその手段に過ぎないのが常でしょう。
しかし今は違う。
わたくしと共にいることがマノリア様の目的なのではないかと思います。
祝福の力は多分、あってもなくてもどちらでもいい。
……論理に間違いがあるでしょうか。
人はなぜ旅の道連れを求めるのでしょう。
わたくしにはよくわかりません。意味があるとは思えない。けれど何を求められているのかわからないのに、なぜか心地よさを感じているのも事実です。
目の前にはマノリア様の首筋があります。
普段は首巻きをしているけれど、寝るときは外しているから。わたくしもヴェールを外しているせいで、首筋の細さと長さと繊細な鎖骨の造形が目に焼き付きます。肌の白。
「マノリア様」
「ん……うん?」
寝ぼけた声。
やはり獣人族の眠りは少し質が違うのでしょうか。こうしてそばに来てくれたのはたった数十秒前なのに、完全に寝入っていたという声でした。
少しだけ腹が立ったかもしれません。
こちらは考えることがたくさんあったのに、そばに来て包んでくれた本人は安らかに寝入っていたなんて。
「今日の旅路の祝福を」
「うん……。あたたかいね」
やはり何もわかっていないようです。目を閉じたまま漏らす声を心地よく聞きながら、わたくしはマノリア様の首筋に唇を付けました。
「あ……。うん? リベラ?」
「朝の祝福です」
「そうなんだ……」
鎖骨の上。くぼみに下唇をつけて。わたくしは精強な剣士の動脈の動きを直接感じています。
「――道に迷うことがありませんように」
一応は聖句をつぶやいて上唇も付けました。
それ以上のことはしません。ただ肌に唇を付けているだけです。手の甲に祝福を施すのと何ら変わらない。
目的なんてわたくしにも無いのですから、この行為自体が目的でも構わないでしょう。
「祝福……。浮いちゃわない?」
「……そう、ですね」
首筋に唇をつけたままつぶやきます。返事になっていない返事。
「今日は危ないことがありそうなの?」
「わかりません」
「そっか。でもリベラが必要だと思ったなら」
わたくしの腰にマノリア様の腕が触れました。恐らく浮いてしまわないようにと配慮してくれているのでしょう。
あたたかい首筋の肌。人の身体の、骨こそがあたたかいのを不思議に思います。流れる血で灼けた生きている証。
鎖骨に唇を付けたまま祈るともなく祈ります。
この無意味な行為が無意味なままでありますように。
「……くすぐったい」
「もうすぐ終わりますから」
「ううん。髪が」
「ああ――」
わたくしの癖っ毛もマノリア様の首筋をくすぐっていたようです。
髪が触れすぎないように頭を少し傾けました。付けたままの唇の角度が少し変わります。
これではまるでより深く合わせてしまったような――。
深く息を吸い込みました。甘い香り。
「大丈夫になった。……ありがとう」
「ええ」
髪が当たる場所が変わったせいか、マノリア様の体から少し力が抜けました。
同時に首筋が少し遠ざかります。緊張がとけて姿勢が変わったのでしょう。さすがにもう追いかけることはせず、目を開けたまま、鎖骨が遠ざかるのを眺めます。
わたくしの唇が付いていたせいで、湿り気でかすかに肌が光っている。
気がつけば朝露で周囲の草木の葉が濡れていました。薄明の時間が終わり、朝陽が差し込んでくるのを感じます。
体を縮めるようにしてあたたかい懐に深く入りました。
「リベラって」
「……」
「寒がりなんだね」
「そうかもしれません」
「気をつける……」
少しふわふわした声。起きているような寝ているような。けれど何かあればすぐに飛び起きてくれるはずだという安心感があります。
一瞬マノリア様のまぶたが上がります。瞳がわたくしを見つめて。それから少し左右に動いて、傍らに置いてある剣を確認した気配。
「……。もう少し寝る」
「はい」
もっとありったけの祝福を込めればよかった。いいえ、祝福なんてひとかけらもなくてもよかった。
相反する考えと朝に残った眠気のひとかけらが混ざり、意識が蕩けていきます。
マノリア様にも、きっと誰かが必要なのでしょう。目的なくそばにいてくれる誰かが。最後のところで踏みとどまらせてくれる誰かが。誰だって良いのだとしても、呪いの恐怖に立ち向かう勇気を奮い立たせてくれる誰かが。
今はそう信じたく思います。




