勇者に選ばれました
「あたし、ゆうしゃになる!」
――子どものころ、村の大声コンテストでそう叫んだ瞬間から、レナトはいつも私を止めようとしていた。
聞くなり青ざめて、その後は「勇者なんてやめろ、馬鹿か?」と罵ったり、不安を煽ったり。でも私は諦めなかった。
そして年月が過ぎ、一週間前――王の命によって……私はとうとう勇者に選ばれたのだ!
「マヤがまさか、本物の勇者に選ばれるとはね……」
「選ばれし勇者って自己アピールでなれるんだ……へー」
「女が勇者だなんて世も末だな」
「……あー、いちいちうるさい! 顔合わせるたびに小言言われたって、もうどうしようもないでしょ? だから諦めてって、何度も言ってるじゃん!」
隣に住んでいて何かと小煩い幼なじみを睨みつけたが、向こうに変化はなかった。
「俺、別にそういうつもりじゃないしー」
嘘つけ。見え透いた嘘だ。小さい時からグチグチグチグチ言って勇者を諦めさせようとしてきたくせに。
「第一、魔王もいないのに勇者になってどうするんだ?」
「魔王がいなくても勇者は必要なの、昔から。何かあった時のためにね。……知ってるくせに」
これも、もう何十回、いや何百回と聞かされてきた愚痴だ。
魔王なんて何百年も前にいなくなって、魔物も何の訓練もしてない大人でも倒せるくらい弱い。
それでも「念のため」国中から十数年に一度、勇者は定期的に選ばれる。それが私たちの国だ。
勇者は今でも国中の憧れの職業。身分に関係なく目指せる上に給料も良いため、毎回とんでもない倍率になる。
そんな倍率のなかで、私は最終審査である国王・前勇者達との長ーい面接・実技試験も乗り越えて勇者に選ばれた。
女性が勇者に選ばれるのは実に半世紀ぶりのことらしい。
昔々の伝説とは違い、今の勇者の主な仕事内容は、しばらく同じく受かった勇者達と訓練した後、数年間は国内を歩いて巡回することだ。
途中、村に数日立ち寄ったりは出来るだろうが、最低でも十年は帰って来られまい。
その後も後継の指導として騎士団や近衛兵、町の道場や格闘場へと、活躍の場を移す人もいる。私は適性が全然ないけど上級魔術師や上級神官への道もある。
今までの勇者の中には王族に見初められて配偶者となった方も……。とにかく明るい未来がてんこ盛り!
私にだって生まれ育った村を離れる寂しさはあるし、国中から選ばれた猛者のなかで田舎者の小娘がついていけるのか不安な気持ちももちろんある。
だがそれでも私が願って、努力して、叶った夢なのだ。
「いい加減邪魔するのはやめてよ、レナト。明日出発するまでそれを続けるつもり? ちょっとは明るく見送るくらい……」
もう夜になった、明日の朝には国王からの使者が迎えに来る。
最後の日までこんなふうに終わるんじゃ流石に悲しい。こんなしかめっ面で別れたくはない。
これでも村で一番の腐れ縁、いや仲のいい幼馴染なのに。
言い方はうるさいし、しつこいけど、悪い奴じゃ決してない。私のことが好きなんだろうってのもわかってるし。うん。はっきり言われたことはないけど。
周りからは「どうせあんたたち、そのうち結婚するんでしょ」なんて言われて…………私だって、それをまるっきり否定できないくらいには、レナトのことをずっと気にしていた。
でも勇者の夢が叶うなら、私はともかく彼にとって良くない。あいつも長男だしね。
隣のおじさんやおばさんにも悪い。彼にずっと私を待たせるのは酷だ。
特に試験のあった二週間前からは今まで以上の小言や愚痴、勇者になってほしくないような言葉ばかりだった。
きっと現実が迫ってきて、レナトも動揺しているのだろう。もうどうにもならなくなってから激化するとは思ってなかった。
流石にもう諦めて、なんなら私の夢を祝ってくれて、送り出してくれるとばかり……。
でも、レナトの表情を見ると、そんな私の期待とは正反対だった。むしろ今にも泣き出しそうな――。
急にレナトは私の手を掴んだ。黙ったまま。
「……どういうつもり?」
勇者になる訓練を積んできた私だ。性別が違うとはいえ、こんなくらい簡単に振りほどける。
しかし、レナトのさっきまでの憎たらしい表情はどこへやら。こんなに必死で、辛そうな顔をされては何も出来ない。
「…………俺が、勇者になれないの知ってて、勇者になるってお前の方が、バカヤローだろ!」
必死に涙をこらえながら、それでも離さない。むしろより強く握ってくる。
ああ、そうか。レナトはずっと、自分だけが取り残されると思って――。
……そもそも、別に私はレナトが馬鹿だなんて一言も言ってないんだけど。
むしろ「バカバカ」と長い年月言われ続けてきたのは、こっちの方だが?
言われ続けたせいでいまいち学力が伸びずに馬鹿力とか力任せとか陰口叩かれたくらいだが?
……それについては言ったやつが一番クソなんだけど、多分3割くらいは彼のせいだ。
でもこう言い合えるのもしばらく出来なくなると思うと胸が辛くなった。
私も素直になれずにいたけれど、レナトにはきちんと笑顔で見送ってほしいのだ。私の方こそ正直に気持ちを話そう。
「私……夢を叫んだ時は、全然知らなかったんだ。その後すぐお母さんに教えてもらった。それでも、やっぱりどうしても諦められなくて。……本当に夢だったの。心の底からなりたかったから。レナトはなれないけど、私はなれるならなりたい。酷いやつでゴメンね。レナトの事馬鹿だなんて思ってない。私、レナトの事が大好きだよ」
勇者になるには、実はけっこう厳しい条件がある。「この国生まれで強い愛国心を持っている」などの生まれや信念はもちろん、「一週間の野宿に耐えられる」など実地の適性も問われ、難関である。
そして、最も厳しいのが「勇者経験者の直系三親等以内は選ばれない」という掟だった。
昔々に実際あった、魔王の呪いを避ける為のものらしい。
私が勇者になりたいと思ったきっかけは、レナトのおじいさん、この村の元勇者の話を聞いたからだ。
つまり、レナトは勇者になれないということ。
そんな入り組んだところまでは知らない当時の私は、てっきりレナトも同じ夢を持っていると思い込んでいた。二人でなれると思い込んでいた。
……彼は、既に知っていたのに。
「クソ! 何で諦めねぇんだよ。何で、何でじいさんが勇者だからって俺は駄目なんだよ!」
おじいちゃん子なレナトはいつも勇者だった頃の話を聞いていたし、祖父を心から尊敬していた。
そんなお祖父さんが去年亡くなる直前、『レナト、すまん。どれだけ勇者になりたかったろう……許しておくれ……』とつぶやいたらしい。それを隣のおばさんから聞かされた時、私は泣いた。
レナトも本当は私と同じ、いやそれ以上に勇者になりたかった事も、おじいさんがそれに気づいて悩んでいた事も、悲しかった。
「あのね私。レナトの分まで頑張るから。レナトは望んでないだろうけど、隣のおじいちゃんの分も、レナトの分も背負って立派な勇者になるから」
「ったく。ほんっとに、酷い話だな! なりたくても絶対なれない奴の目の前で勇者になりたいとか、本当に勇者になりやがるとか。……じいさんもいなくなったのにお前まで俺から離れていくとか……」
レナトはずっと握っていた私の手を離し、俯いた。そしてしゃがみ込む。
掴まれていたところはずっと熱くて、その熱が今まさに消えていく。
「レナト」
今度は私からしゃがんで彼の手を握る。しばらくそのままだったが、いつの間にかレナトも握り返していた。
そして手を繋いだままレナトが落ち着くまで静かに待った。
「……まぁ、お前が、俺の事もあって、余計勇者になりたいと思うようになったって知ってる。努力も知ってる。分かるさ、ずっと一番近くで見てきたんだからな。……頑張ってこいよ、マヤ」
生まれて初めて彼から勇者になる事について応援された。鼻声でまだ顔を上げないままだが、耳がとても赤くなっている。
「ありがと……レナトに応援されるなんてめちゃくちゃ嬉し」
「――あと! もうひとつ!」
私の素直な感謝を遮ってまで何を言うのだろう? そう思った瞬間、私は抱きしめられた。
「待ってるからな、ずっと……お前が帰ってくるまで。長男だとか、親のことだとか、そんなのはお前が考えることじゃない。他の男なんてどうでもいい。お前の家族ごと、俺が全部面倒みる。だから心配せずに、絶対に帰ってこいよ。――約束だからな」
「レナト……私絶対帰るよ! 待っ」
「――あと、変な男には気をつけろよ。勇者たちの中じゃ女はお前だけだし、歓迎の宴だって油断するな。……酒も、ほどほどにな?」
「……なにそれ、心配しすぎ」
「うるさい! 手紙は月イチな? ほったらかしはダメだからな」
「はいはい」
「俺だって若くて顔もいいし、勇者の孫で、実はそれなりにモテるんだからな!」
「……モテたとしても、それに乗らなきゃいいだけだよね?」
あとひとつ、と言った割にいくつも出てきて笑えてくる。
今夜まとめて言わないで、二週間かけて小出しにしてくれたらよかったのに。
そしたらもっと、イチャイチャできたんじゃない……私たち?
抱きしめられているので顔が見られないが、顔中真っ赤にして言っているに違いない。
それが見られないことを残念に思いながら、笑顔で彼をおもいっきり抱きしめ返した。