第88話 EP10-14 突然の始まり
自分が読みたい物語を、趣味で書いてます。
オリジナル小説のみです。
この国は数年前まで、王国の統治下で安寧と平和を享受していた。
帝国軍の侵攻で、それは脆くも崩れ去った。
帝国は魔王を復活させ、魔王配下の魔物の力を借り、圧倒的な強さで王国を征服した。国には魔物が溢れ、秩序は失われてしまった。
魔物が見境なく人間を襲い、人間は砦みたいな町を造って身を守る、無法の世界がここにはある。
◇
それは、ある日、突然に始まった。
「くぉらぁっ! ヌーベルグ家の不良娘ぇっ! 食っちゃ寝ばかりしとらんで、掃除くらい手伝ったらどうじゃぁっ!」
老婆メイドが、シワシワの顔を真っ赤にして、エレノアに金切り声をあげた。
オレはリード、十六歳の男で、茶色の髪の魔物ハンターだ。武器は長剣、鉄板で補強した灰色の革鎧を装備し、赤いマントを纏う。
ここ、北の大砦では、師匠エレノアのたぶん親友ジュディスの別荘で世話になって、老婆メイドの手伝いをしている。静かな林の中に建つ、木造の小規模な宿屋みたいな、白くオシャレな建物である。
「ふわぁっ。手伝いなら、不肖の弟がやってるでしょ?」
エレノアが、ソファに寝転がって、欠伸をしながら雑に答えた。
「弟子な」
エレノアの渾身のボケに、オレは素早く正確なツッコミを入れた。
エレノアは、三十歳手前の女で、赤い短髪で、ハスキーボイスの魔物ハンターである。オレの師匠で、かつては帝国の将軍だった戦闘狂である。
いつもは、灰色のコートを着る。今は鎧の下に着る当て布だけの、半裸みたいな格好でソファに寝転がる。恥じらいとは無縁の生き方の人にしても、いつものことにしても、だらしない。
「こぉりゃぁっ! 不良娘の息子ぉ! もっと丁寧に拭かんかぁっ!」
老婆メイドがシワシワの顔で、オレに鋭い指導を飛ばした。
「弟子な」
オレは訂正に飽きた顔で、素早く正確なツッコミを返した。
旅路用の厚布の服に、借りたメイドエプロンを着けて、階段の手すりを布で拭く。角を削った丸い木材にニスを塗った、ちょっといい木製である。
「婆やー! 喉が渇いたわ! 紅茶飲みたい!」
エレノアが、ものぐさげに頭だけ仰け反らせて、老婆メイドに注文した。
「お前なんぞの婆やになった覚えはないわぁっ! ちょっと待っとれぇっ!」
老婆メイドが金切り声をあげながら、キッチンへと入っていった。
エレノアを毛嫌いしても、キッチンを荒らされたくない、みたいな理由をつけて世話をしてくれる。いい人である。オレとしては、不肖の師匠ともども世話になっているし、多少の手伝いくらいは吝かではない。
それに比べてエレノアさんは、……いや、今さらだから、やめておこう。
階段の手すりを布で拭く。壁沿いに真っ直ぐあがる一般的な形状の階段で、華美な装飾もなく、貴族的なイメージからは遠い。
建物も屋内も、個人所有にしては大きすぎる点を除けば、シンプルな造りをしている。調度品も少なくて、武器や鎧くらいしか飾られていない。
ジュディスは貴族ではなく士族だから、とエレノアが言っていた。帝国では、士族は武官の高官に、貴族は文官の高官になるのが通例らしい。
エレノアも、士族の子女だと自称する。
「ふぉぁらぁっ、あっふぅ! リードー! しっかり掃除しないと、また婆やに怒られるふぁよぉ!」
エレノアが、ソファに寝転がったまま、欠伸混じりに指導を飛ばしてきた。
オレは、見なかった聞かなかったことにした。
◇
遠くに、ドォォォンッ!と爆発音がした。昼の日差しの明るい窓が、ガタガタと揺れた。
「リード! 荷物を纏めて!」
エレノアが、すでに窓から身を乗り出す。
「こぉりゃぁっ! 不良娘ぇ! 今の音は何じゃぁっ!?」
老婆メイドが慌てふためいて、キッチンから飛び出してきた。
オレは階段を二階へと駆けあがる。寝室に入り、二人分の荷物を持ち出す。階段の手すりを飛び越え、一階の床に着地する。
膝をクッションにして、スムーズに駆け出す。老婆メイドの横を通りすぎ、エレノアが乗り出す窓から、エレノアを押しのけるようにしてオレも身を乗り出す。
「何か分かる、エレノアさん?」
建物は林の中にあって、疎らな木々が視界を遮る。幹の隙間からは、田園風景が広がる。そのさらに向こう、大砦を囲む高い壁の辺りか、遠くにドス黒い煙が三本あがっているのが見える。
「分かるわけないでしょ。緊急時の落ち合い場所に行くわよ。レジスタンスは人数が多いから、何か情報があるかも知れないわ」
「了解」
オレは答えて、エレノアさんの脇腹の肉に引っかかりつつ、窓から体を引き抜く。エレノアさんはここの怠惰な生活で少し太ったと思う。少し痩せた方がいいと思う。
振り向いた先には、狼狽えた老婆メイドがいる。
「婆やも一緒に行く? ついでに、屋敷か城まで送るわよ?」
エレノアの提案に、老婆メイドは狼狽えるのをやめた。シワに埋もれた細い目で、ジッとエレノアを見つめた。
「お前なんぞの婆やになった覚えはないわぁっ!」
老婆メイドが金切り声をあげた。投げナイフの達人もかくや、の熟達した手捌きで、エレノアに何か投げて寄越した。
「ここに残ってジュディス御嬢様のお帰りをお待ちする、と決まっておろう。この辺りは貴士族の領園が多いから、内壁に守られて安全じゃ。それに、ヌーベルグ家の不良娘に心配されるほど、衰えてもおらぬわ」
エレノアが片手で受けとめたそれは、掌くらいの大きさの金属の板で、剣盾を象った帝国の紋章だった。内壁の通行証だ。
「ありがと、婆や。もし私たちが戻らなかったら、ジュディス殿によろしく伝えておいてくれ。老いさらばえた婆やのぎりぎり元気な姿も見れて、嬉しかったわ」
エレノアが屈託のない笑顔で、老婆メイドに手を振る。
「まずは服を着なよ、エレノアさん。あ、婆やさん、ひとまず世話になったな。エプロン、ソファにかけとくから」
オレは借りていたメイドエプロンを脱いで、ソファの背凭れにかけた。老婆メイドに頭をさげた。
「ふんっ。御嬢様への挨拶は、自分ですることじゃな。それから、お前らなんぞの婆やになった覚えはないわぁっ!」
老婆メイドが金切り声をあげた。怒ってはいなくて、別れを惜しむように、どこか寂しげだった。
「次に会うときは、墓前に干し柿を供えてあげるわよ、婆や」
ようやく服を着たエレノアが、灰色のコートの襟を整え、土色の布を被り、微笑する。
「ふんっ。お前よりは、長生きしてやるわい」
婆やも、シワシワの口元を吊りあげ、不敵に微笑する。
こんな時代だ。生きては二度と会えないだろうと、お互いに予感があるのだろう。
エレノアは婆やに背中を向け、両開きの玄関扉を両手で押し開けて、振り返りもせずにくぐった。オレは婆やに再び頭をさげて、エレノアの背中を追った。
扉の外、光の中に踏み出すオレも、何か大変なことが起きたと、嫌な予感がしていた。
帝国に征服されて魔物が蔓延る国で女だてらに魔物ハンターやってます
第88話 EP10-14 突然の始まり/END
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