8.森の大精霊様
翌日、恵麻はエストにつれられて、森の大精霊様とやらに会いに行くことになった。
エストの怪我は本当に綺麗サッパリ治っていて、一体あれは何だったのか、恵麻にはまるでわからない。精霊の仕業だろうか。
エストもこのことについては、特に何も言ってくれず、ただ恵麻に「ありがとう
」と言うばかりだ。恵麻は何もしていないのに。
大精霊に会いに行くとは言っても、どこにいるかはエストにもわからないらしい。
ただ、森の奥であることは確かということだ。
なんとも曖昧だ。でも、だとしたら恵麻には一つ、心当たりがある。
恵麻はここに来てから色々な場所を探索したが、最近、不思議な気配を感じる場所があることに気付いた。
そこからはなんとも懐かしいような、畏れ多いような、一言では言い表せないような複雑な気配がするのだ。怖いとか気持ち悪いとかそういうことではないのだが、近寄るには何となく覚悟がいる。
その気配はどんどん強くなっている気もして、恵麻としても勇気を出して行ってみたいとは思い始めていた。だが、結構な距離がありそうだったので、エストを置いて一人で向かうのは何となく嫌だったのだ。
もしそれが本当に大精霊の気配というやつだったとしたら。
そう考えて、恵麻はエストに「ついてきて」アピールをした。
エストも恵麻の仕草から意図を汲むのはもうお手の物だ。
二人は途中川で水を補給すると、森の奥へ向かって歩き出した。
朝出発して休憩しながらもせっせと歩き、昼も過ぎた頃。
二人はだいぶ森の奥地にいた。これでその「気配」とやらが大精霊ではなかったらエストには大変申し訳無いが、そのときはこの愛らしい猫の姿を誤魔化しに使わせてもらおうと、恵麻は腹を括った。
「ラナ、大丈夫?だいぶ歩いたけれど、疲れてない?」
「にゃん」
大丈夫ではないのはエストだろう。
森での生活が板についてきた彼でも、この長時間の旅はかなりきついに違いない。
お互いを気遣い合いながら歩いていると、恵麻が感じていた気配が濃厚になった気がした。
恵麻は慌てて周囲を見渡す。景色は変わらずただの森だが、一箇所、まるでそこだけが暑いかのように揺らめいている場所があった。
「…?」
恵麻がそちらへ警戒しながらもゆっくりと歩き出すと、エストもそれに気付いたのか、恵麻を抱き上げた。
そして二人はゆっくり、揺らめいている場所へと近付く。
「…ようやく来たか」
「えっ」
「にゃっ?」
エストのものではない、聞き慣れない男性の声がして、二人は慌てて周囲を見渡した。
でも、誰もいない。
「…っあれは!?」
「にゃあ!」
突如穏やかだった景色が裂け、その裂け目からまばゆい光が溢れ出す。
エストも恵麻も目を開けていられず、二人は顔を覆ってうずくまった。
「おい」
「…?」
先程の声が聞こえた気がして、恵麻は目を開けた。
同時にエストも目を開け、恵麻を抱きしめ直すと立ち上がる。
そして二人は絶句した。
目の前には男性と思われる人物がいた。
顔立ちは中性的で、背はエストよりも少し大きいくらい。深緑の腰まで伸びた長い髪に金色の瞳。服装…服装というのだろうか。腰辺りから長いスカートのようなものを巻いているように見えるのだが、なんというか、腰とスカートの境目がない。
首にも耳にも手首にも大ぶりの宝石がついた装飾品を着けている。
そして何より、彼は宙に浮いていた。
「大精霊様…?」
エストがぼんやりと呟く。まさか、これが大精霊。他の精霊が小ぶりだったから、大精霊といえどこんなに大きいとは思わなかった。
「エマ。ようやく来たな。待ちくたびれたぞ」
「エマ…?」
大精霊と呼ばれた男はエストの問いには答えず、まっすぐ恵麻を見て言った。
(この人、私の名前を知ってる…!?)
恵麻が動揺して心の中で叫ぶと、男はふんと鼻を鳴らした。
「当たり前だろう。お前は我の唯一。お前が何者か、当然知っている」
「にゃ…!?」
(この人、私の心の声に答えた!)
恵麻を知っているだけでなく、心の声まで聞こえるのか。
恵麻は動揺して、思わず抱かれているエストの腕にしがみついた。
エストもまた、恵麻をしっかりと抱きしめると、男に向かって話しかけた。
「大精霊様。発言の許可をいただけないでしょうか」
「うん?ああ、お前か。エマが世話になったな。もう良いぞ。エマは無事、我の元に来た。まあお前がいなくとも、そのうち来たとは思うがな」
「大精霊様、エマというのは…?」
「ああ、人は動物の言葉を理解できんのだったな」
そう言うと男はふっとエストの目の前に移動し、腕の中にいる恵麻に手を伸ばした。
エストは反射的に恵麻を抱きかかえ、取り上げられないようにする。
男はすっと目を眇めると、エストを睨んだ。
「…どういうつもりだ?人間。お前ごときが我に逆らうと?」
「逆らうつもりはございません。ですが、ラナは…彼女は私の大切な存在です。彼女が一体何者なのか、どうか教えていただきたい」
仮にこの男が本当に大精霊だとしたら、精霊士のエストにとって男は信仰対象そのもののはずだ。それなのに恵麻をかばう姿勢を見せたエストに、恵麻は驚くと同時に、感激した。
恵麻がエストの服に少し爪を立て、離れないぞと言わんばかりに男を見上げると、男ははーっと深い溜め息をついた。
「…なんだ、少々放置しただけでもう悪い虫がついたか。全く若い女というものは、目が離せんな」
「若い女…?」
「お前は何も知らないのか」
男は恵麻を指差すと、なぜ知らないのかと言わんばかりの表情で言う。
「この者はエマ。人間の女だ」
「人、間…?」
「どう見ても人間だろう」
「どう見ても猫ですが!?」
エストのツッコミ、初めて見たなあ。
恵麻が遠い目で二人のやり取りを見ていると、今度こそ男が恵麻をひょいっとつまみ上げる。
動揺していたエストは、今度は恵麻を手放してしまった。
「この者は今は事情があって猫の姿をさせているが、人間の女だ。思念の形がどうみても人間であろう」
「我々人間には、思念の形は見えませんので…」
「そうだったか?」
男は恵麻に視線を合わせると、少しだけ口角を上げた。
もしかしてこれは、笑顔だろうか。
「お前は我を見るのは初めてだな。我は森を治める大精霊、シェドバーンだ。お前にはシェドと呼ぶ権利を与えよう。誇れ」
「にゃ…」
権利を与えられても、発音できませんけど。
いっそ拗ねた気持ちで恵麻が鳴くと、シェドは面白そうに肩を揺らした。
「威勢のいい女だ。さすが、我の器」
「器…!?」
シェドの言葉を聞いていたエストが驚愕の表情を浮かべる。
器?何のことだろう。
「ラナ…エマは、愛し子ではなかったのですか…!?」
「いや?違う。ここしばらく愛し子は見ていない。この者は我の唯一。我の器だ」
二人の会話を聞いてもちんぷんかんぷんな恵麻は、もはや混乱を通り越して怒りを覚えた。
(本人を置いてけぼりにして、話を進めるなーー!!)
「にゃんにゃんな、にゃにゃーーー!!」
恵麻が叫ぶとシェドは面白そうに目を見開き、そしてまたあの微妙な笑顔を見せた。