55. その後の話②
「ダスティン。人の妻にこそこそ会いに来るとはどういう了見ですか?」
「お、おいエスト。お前まだ精霊塔にいるはずじゃ!?」
「エスト!おかえりなさい!」
「ただいま、エマ」
「エマ!フォローしてくれ!」
エストは目にも留まらぬ速さで恵麻の隣に収まると、恵麻の頭に一つキスを落としてから、恵麻にも苦言を呈した。
「エマもだよ。客人を私室に通しては駄目だ。しかも男を招き入れるなんて、絶対駄目だよ。わかった?」
「ダスティンさんは弟だから良いかなって…」
「駄目だよ。わかった?」
「でも何かあっても猫になれば逃げられるし」
「わかった?」
「ごめんなさい」
ここは謝るに限る。エストは怒らせると怖いのだ。それはあの帰還騒動の時に身を以て知っている。
「っていうかエスト!国を回るってどういうこと?」
恵麻が慌ててエストに問いかけると、エストは背後に黒いオーラが見えそうな勢いでダスティンを睨んだ。
「ダスティン」
「…」
「ダスティン」
「いや…悪かったって」
ダスティンが額に汗をかいてエストから目をそらした。分かる。美人が怒ると超怖い。
エストは一つため息を吐くと、恵麻に向き直った。
「まだ案が出ただけで、どうするかは決まっていなかったからエマには話していなかったんだ。ごめんね」
「うん、それは良いんだけど…」
「以前、国の貧富の差の話をしたよね。それをできるだけ改善するために、各領地…それもなるべく小さな町や村にも精霊士を常駐させるべく、取り掛かろうと思っているんだ」
以前、二人で旅をしていた時。精霊士も、精霊術を使える人もいなくて、生活環境があまり良くない地域を見た。それは王都の近くにもあって、エストは少なからずショックを受けていた。
「でも、精霊士は数が少ないんだよね?」
「うん。それに地方に行きたがらない者も多いし、それを無理強いはできないし…問題は多い。だからもう一つの案として、いっそ、地元の人間を育てようと思って」
「地元の人間?」
「うん。そもそも、ちょっとした生活設備の調整くらいなら、精霊士ではなくともできる人はいるはずなんだ」
「確かに、この国の生き物は、誰でも霊力を持っているってシェドが言ってたね」
「そう。さすがに誰でもってわけにはいかないけど、人が100人いたら1人くらいは、鍛えれば簡単な精霊術くらいは使えるはずだ」
これまで、精霊士は子供が幼い頃霊力の鑑定を行い、それが一定以上の者が教育されるか、または珍しいケースだが、後天的に精霊術を発動した者が立候補してなるものだったらしい。
だが、霊力の鑑定も田舎や貧しい村ではきちんと行われていない可能性があるし、後天的に発動したものの精霊士になりたくなくて隠れてる人だっていそうだ。結構ガバガバだと思う。
「元々その地域に住んでいる人たちに、教育して技術を与えれば、彼らの生活向上になるからね」
「それを、エストを始めとする精霊塔と、うちとの共同の公共事業として始めようとしているんだ。まずはうちの領地から始めて、うまく動いたら全国規模に拡大する。領民の生活向上は俺の仕事でもあるからな」
ダスティンがエストの言葉を拾って続ける。
「そうなんだ。すごく良いと思う!」
「ありがとう。でもきちんとした人を派遣すれば、私が直接出向く必要もないよ。私も、他にもやるべきことはあるし」
「エスト。お前も行くべきだと思っているだろう?今の精霊塔は風当たりが強いんだ。軌道に乗るまでは、お前が自ら行くってことがパフォーマンスにもなる」
恵麻は二人の話を聞いて、何となく状況を理解した。
つまりエストはダスティンと公共事業に乗り出す予定だが、前大士の不祥事で精霊塔、そして精霊士に対する信頼が落ちている。この状態で誰かが地方に赴いても、うまくいくどころか、事態を悪化させる可能性がある。
そこで大士のエスト、しかも「精霊の加護があるらしい」恵麻がくっついていけば、精霊士の信頼回復につながるということだろう。
「…なるほど。何となくわかったよ。エスト、私は構わないよ。シェドの祝福を受けたことを言って良いのか、シェドに確認する必要はあるけど、問題なければ公表していいと思うし、一緒に行きたい」
「エマ!?」
「だって、エストがやりたいことなんでしょ?国のためにもなることだし、大事な仕事ならやるべきだよ」
「でも…忙しくなるし、行く先々が快適な環境だとは限らない。むしろ大変な思いばかりするかも」
「エスト、私達散々野宿したじゃない。今更何とも思わないよ」
「それはそうだけど…せっかく落ち着いた生活を始められそうだったわけだし…」
それに、とエストは呟く。
「正直、元の世界を捨ててくれたエマに、できるだけ豊かな生活をしてほしくて大士になったっていう私欲もあるから…エマにはもう苦労してほしくないんだ。あと、単純に、私がエマを表に出したくない」
最後はちょっと拗ねたように、エストは言う。
なんて可愛いんだろう。恵麻は、「この人私の婚約者なんです!」と叫びたい衝動をぐっと堪えた。
「エスト、エストの気持ちはすっごい嬉しいよ。本当に、ありがとう。こんなに大きなお屋敷に住めてるって昔の私が聞いたら、もう腰抜かすと思うよ。私の家、キッチンとか全部含めてこの部屋より狭かったんだから」
恵麻が苦笑しながら言うと、ダスティンの方から「嘘だろう?」という声が聞こえてきた。公爵家のボンボンは黙っていてほしい。
「でも私がこの世界に残ったのは、贅沢するためじゃなくてエストと一緒に生きるためだよ。正直私、ここでちゃんとした仕事もまだ出来てなかったし、どうすべきかなって悩んでたの。だから、私にできることがあるなら嬉しいよ」
そうなのだ。晴れて戸籍もできて、恵麻はまず仕事に就こうと考えた。いくらエストと結婚するとしても、何もしないのは居心地が悪い。
そこでシンシアとキーラに、こちらでの女性の仕事について聞いたところ、結論として恵麻には就職の道がかなり限られていることに気付いた。
まず、貴族女性は街に出て仕事をしない。もちろん、事業を動かしている女性もいるが、恵麻が考えているような「就職」とは全然違う。いわば彼女たちは経営者なのだ。または、結婚して、家の一切を取り仕切る女主人になる。
一般市民は普通に働いているようだが、恵麻はオスロレニア公爵家の養子に入っている。つまり、実態が何であろうと、世間から見たら恵麻は公爵令嬢なのだ。誰がどう見ても養子なのだが、それは変わらない。なので、街で普通にお店の売り子をしたり給仕をしたりなど、あり得ない。そんなことをしたらオスロレニア公爵家の顔に泥を塗ってしまう。
あとはキーラのようにどこかの家の侍女になるという道もあるが、それも、公爵令嬢という肩書を持っていると難しいそうだ。基本的に身分が上の家に侍女として就職するのが普通なので、公爵家の上となると、もう王家しか無い。
そもそも、一般常識も勉強中の恵麻に侍女が務まるかと言われたら、まあ無理だろう。
という訳で、現在恵麻がやっていることは、薬草の販売だけだ。
これはこれで役に立つし、そのうち規模を拡大していけば立派な収入になるとは思うが、今のところは趣味の範囲を出ない。
今は力をつける時間だと切り替えて、勉強に励んではいるものの、このまま生活の一切をエストに甘えていていいものか、という考えは常に頭の何処かにあった。
だから、自分にできることがあるなら嬉しい。
「そんなの、悩むことじゃないのに。エマのことは一生私が大切にするって、言ったでしょう?」
「ありがとう。でも、私だってエストの役に立ちたいよ。これは、そう、自尊心の問題…かな?それに私のせいでエストがやりたいこと出来ないなんて、嫌だし」
「エマのせいなんてこと、あり得ないよ。私がエマを隠しておきたいだけ」
エストは頑固だ。こうなったらなかなか首を縦には振らないだろう。
「エストが本当に嫌なら、無理強いはしないけど…でも、私たち、結婚するんだよね?」
「もちろん、そうだよ」
「夫婦なら、私もエストに守ってもらうばかりじゃなく、エストを支えたいな」
「エマ…」
「私の元の世界ではね、結婚する時、病める時も健やかなる時もお互いを支えることを誓うんだよ。私はそういう夫婦に、エストとなりたいんだけど…だめかな?」
「そんなことは、ないよ。私もそう思う。けど…」
「それに…」
恵麻はエストの耳元に顔を寄せて、囁く。
今更な気もするが、こんな甘えるようなことを言うところは、ダスティンにはちょっと聞かれたくない。
「…エストは素敵だから、すごい美女とかがエストのそばにいたらヤキモチ妬くし、私だってエストを隠しちゃいたいんだよ?」
「…っエマ」
「エストを独り占めしたいの。でも、そういうわけにもいかないから、せめてエストの役に立てることがあるって胸を張っていたい。…それに仕事のときも一緒にいられるなんて、やっぱり嬉しいし」
「!」
「…子供っぽいこと言って、呆れた?」
顔を離してエストを見上げると、エストは少し瞳を揺らしたあと、ガバリと恵麻を抱きしめた。少々強めだったため、色気も何もない声が喉から出る。
「ぐえっ」
「可愛い。反則。エマ、それは反則だよ」
「う、うぐ…」
しばらくエストは恵麻の肩に顔を埋めたあと、軽く頬にキスしてから体を離した。
「…分かった。うん、分かったよ。一緒に行こう。でもその代わり、手はずは私がしっかり整えるから、それまでエマは待っていてね。ダスティンに何か言われても動いちゃだめだよ」
「うん!分かった。ありがとう、エスト」
「感謝するのは私の方だよ。エマ、付き合わせてごめん」
「何言ってるの、夫婦になるんだから。一緒に頑張ろう!ね?」
「そう…だね。夫婦だよね」
手を繋いで見つめ合って笑っていると、向かいに座るダスティンがゲホゲホと咳払いにしては激しい音を立てた。
「胸焼けする」
「見なけれないいんですよ」
「お前たちが目の前でイチャつくからだろ!」
前々から思っていたが、エストはなぜかダスティンを煽る傾向がある。仲が良いのは良いことだけれど。
「まぁ、話が纏まったようで良かったよ。さすがはエマだな。エストの扱いがうまい」
「エストが分かってくれただけですよ」
「エマの言う事以外は分かってくれないからな、この男は」
「全く、私の説得に難航したからと、エマを先に味方につけるのは止めてください」
エストに言われて初めて恵麻は、ダスティンが恵麻という外堀を埋めるためにエストに隠れてここに来たことに気づいた。
「とにかく、そうと決まれば考えなければならないことが山ほどあります。ダスティン、一度戻りますよ」
「あぁ、そうだな。エマ、邪魔したな」
「いえ。また今度シンシア様も交えて食事でも!」
「おう」
「エマ、夕食前には戻るよ」
「うん、頑張ってね。いってらっしゃい」
「いってきます」
エストは恵麻に触れるだけのキスをすると、名残惜しそうに去っていく。
その姿を見送ると、恵麻は勉強のための本を広げ、気合を入れ直した。
(エストの隣にいても恥ずかしくないように、勉強しないとね)
その後恵麻はガリ勉時代の経験を活かし、脅威のスピードでこの世界の文字をマスターしたのだった。
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