45. 代償
迫ってくるのは、真っ赤な火。
触れなくてもあまりにも熱いそれを前にして、恵麻はエストの前に立ち、両足を踏ん張った。
「ラナ!!!」
後ろから悲鳴のような叫び声が聞こえる。
エスト、ごめん。シェドもきっと怒り狂っているだろう。
後先を考えず、誰のためにもならない無責任なことをしている。ただただ、エストを失いたくないという、自分の我が儘な感情のために。
でもここまできたら、やるしか無い。
恵麻は炎を睨みつけ、後ろにいるであろうエストのことだけを考えた。
彼に生きていてほしい。大士、いや、もはやただの化け物と成り果てたこんなやつに、エストを殺させてたまるか。
あの炎は邪魔だ。いらない。消えてしまえーーー
「消えて!!!!」
恵麻がそう絶叫するのと、炎が触れなくても火傷しそうなほど間近に迫ってくるのは、ほぼ同時だった。
あまりの熱さに耐えきれず、ぎゅっと目をつぶる。ああ死んだかも、そう思った時、ごぉっと強風が過ぎていくような音がして、静かになった。
「…」
静かだ。誰も何も言わない。
恐る恐る目を開けると、1メートルほど先の地面までが真っ黒に焦げているのが見えた。焦げは不自然に途切れている。
(成功した…)
何とかなった。本当に。精霊術を、無効化出来たのだ。
大士ドラゴンに目を遣ると、それは最早体力を使い切ったのか、ぜいぜいと苦しそうな呼吸音をあげて膝をついていた。
「…」
「…っ、ラナ!?」
恵麻がドラゴンに近寄ろうと歩き出したのを見て、いち早く我に返ったエストが慌てて声を掛けてくる。
「大丈夫だから、エスト。少し待っていて」
「…ラナ?」
恵麻はエストの方へ振り向いて少し微笑むと、ザクザクとドラゴンに向かって歩いた。
側に寄ると、ドラゴンの身体から何かが漂ってくるのを感じる。
今ならわかる。これは大士の身体に収まりきらなかった、霊力だろう。
「コツは掴んだから」
恵麻はそう言うと、ドラゴンに軽く触れた。
周囲を漂っている目に見えない何かが、恵麻を中心に消えていくのがわかる。恵麻自身は何も感じないが、辺りの空気は軽くなっていき、間もなくドラゴンからしゅううう、という空気の抜けるような音がし始めた。
一通り終えて恵麻が手を離しても、音は止まない。次第に音は大きくなり、黒い煙のようなものまで出てくる。
それを見たエストが、慌てて駆け寄ってきた。
「ラナ、離れて…!」
「…エスト、大丈夫。終わったよ」
煙が晴れると、そこにいたのは元の人間の大士だった。しかしその体は骨と皮のようになり、着ていた服はぶかぶかだ。その姿は、まるで100歳以上生きたような老人だった。
「…これは、大士…?」
「元に戻ったとは…言えないね」
老人となってしまった大士は、落ちくぼんだ目だけをぎょろぎょろと忙しなく動かしている。口を開いても、かすかすという空虚な音が出るのみだ。…歯がないのかもしれない。
「代償だな」
「シェド」
こちらに飛んできたシェドが、小さな老人を見下ろして言う。
「霊術具の反動をくらい人ならざるものとなり、エマに過分な霊力を吸われ元に戻ったは良いものの、代償として生命力を失った…というところだな。強大な力を利用しようとするからこんなことになる」
「では…もう彼は、このまま生きていくしか無いのですね」
「状態を見るに、余命幾ばくといったところだがな」
エストがそっと老人の前に目線を合わせるようにしてしゃがみ込む。
老人はしばらくエストをじっと見た後、ああ、と声を上げ、ニコリと笑った。
「あーあー、えふと…わあしの…むふこよ…」
「…!」
大士はドラゴンとなって戦っていたことなどすっかり忘れているかのように、エストを見てニコニコと笑っている。
エストが驚いていると、大士はエストの肩に触れ、ポスポス、と叩いた。
「聞き取りづらいけど…息子よ…って言ってる…?」
「……っ…そう、だね。大士はよく…私の肩を叩いて…息子よって、言ってたよ。これは、彼だ」
尚も老人はエストの肩を機嫌よく叩く。
「貴方は…自分のしでかしたことを忘れてしまったのですか?全く…人を殺そうとしておいて…」
エストが俯く。恵麻には、彼の背にそっと触れることしか出来ない。
「…どうせなら最後まで、敵の顔でいてほしかったのに。…本当に、ずるいひとだ」
エストはしばらく老人の前で、静かに泣いていた。
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