39. 代替わり①
本日2話目の投稿です。
それから数日後、恵麻は懐かしいあの森に降り立った。
今回は馬で移動したので、かかった日数も短かった。恵麻は馬に乗ったことなど無かったので、エストに乗せてもらったのだが、慣れないせいか腰とお尻が痛い。
それでも、徒歩で移動するよりもずっと楽だった。
「騎士団の人たちは、もう到着しているのかな?」
「うん、気配がする。もういるみたいだね」
今回は恵麻とエストだけではなく、万が一のため騎士が数人ついてきてくれている。
全員でぞろぞろ移動しては目立つので、騎士の人たちは先に到着しているはずだ。
恵麻にはよくわからないが、国の騎士団とは別の公爵家所属の騎士団らしく、大士の息はかかっていないそうだ。
彼らには恵麻が器だという事情も話し、無事に代替わりが終わるまでの護衛をお願いしている。
「あ、いたね」
森に入ってしばらく後、3人の騎士がこちらに駆けてくるのが見えた。
「お待ちしておりました、エスト様。そしてラナ様」
「よろしくお願いします」
「初めまして、ラナです。よろしくお願いします」
エストは面識があるらしいが恵麻は初対面なので、軽く自己紹介をする。
「団長のエドワード・エミルトと申します。今回の任務において指揮を執っております」
「アイーダ・グノーです。よろしくお願いします」
「カミル・シェズリー厶です。俺は偵察の精霊術が使えますので、あなた方の側につかせてもらいますね」
3人からそれぞれ自己紹介を受けると、時間が惜しいとばかりに早速移動を始める。
エドワードは30代くらいの男性で、金髪碧眼の王子様カラーだが視線は鋭く、背筋をしゃんと伸ばす姿はいかにも騎士といった風情だ。団長と言うだけある。
アイーダは初めて見た、女性騎士だ。小麦色の肌にオレンジ色の髪と瞳。さすが騎士というか、女性であるがとても筋肉質で、でも出るところは出ていてスタイル抜群の美人。エドワードと同じく鋭い視線で辺りを見回す姿は、ちょっと怖い。
カミルはキャラメル色の髪に青い瞳を持ち、色白で優男風の男性だ。騎士服を着ていなければ騎士だとは思えない、ふわふわとした雰囲気の男性だった。
「お二人共、足元にお気をつけて。森も深くなっております」
「大丈夫です。こういうところを歩くのは慣れっこなので」
恵麻はエドワードの気遣いに笑顔で答える。猫だったとは言えここでは恐らく一月以上暮らしていたのだから、もう慣れっこだ。
そんな恵麻に対し、カミルがニコニコと笑顔で声を掛けてきた。
「頼もしいですね。ですが、ラナ様は特に女性ですから、ご無理なさらず」
「ありがとうございます。…他の騎士の方は、どのあたりにいらっしゃるのですか?」
「森の入口と、あとは我々から少し離れた位置に待機して警戒しています」
「そうなんですか」
恵麻には見えないが、騎士はすでに配置についているらしい。
(ちょっとやってみようかな)
恵麻は自身の身の内にある霊力を薄く広げるように伸ばし、周囲の気配を探った。
(薄く、広く…)
意識して広げていくと、生き物の気配を感じる。
そのうちのいくつかから、霊力を薄っすらと感じた。
(多分、これだ)
この世界の人は多かれ少なかれ、精霊術を使えなくても誰でも霊力を持っている。
つまりこの気配が人間だ。
人間に戻ってからダスティンの屋敷で、恵麻はエストに教えてもらい、ひっそりと精霊術の練習をしていた。
時間もないので基礎的なものばかりだが、やはりシェドの霊力が宿っているためか、案外簡単に発動することが出来た。初めて指先から火を出せた時は、感動のあまりちょっと泣いた。
「精霊術の基本は、6大要素。火、水、風、土、光、闇。どの要素の術が使えるかは、生まれながらの体質が大きく影響する。私は光と闇以外の全てが使えるよ」
「それってやっぱり多い方?」
「そうだね。普通は1つの要素だけになるから」
「じゃあ4つも使えるエストはすごいんだ…」
「この基本以外に、自分の霊力や他人の霊力に干渉して行使する結界術。あとは応用で身体能力向上なんかもある。ラナが以前無意識に使っていた治癒術も応用で、これはあまり使える者がいない珍しい術だ。まあ使い方次第で、色々できるって話だよ」
「なるほど」
「ラナはまだ始めたばかりなわけだし、とりあえずどの要素を使えるか、やってみようか」
エストに教えてもらって練習したことを思い出す。あの後いろいろ試した結果、驚くことに恵麻は全ての属性の術を使えることが判明した。
ただし、使えるだけで技術は全く無いので、かっこよく精霊術を使えるというわけではない。結局このあたりは練習あるのみだ。
というわけで、恵麻は時間を見つけては精霊術の練習をしていた。
だが、そう簡単にいくはずもなく。
現時点で恵麻に、自分の意志で、思うまま操れる精霊術は無かった。
だが、何もしないよりはマシだ。この代替わりで、精霊術を使わなければならないような危機が訪れないことを祈るばかりだ。
気配探りが一応上手くいったことに安堵しニヤニヤしていると、エストが恵麻の肩を叩いた。
「ラナ、まだシェドバーン様はいない?」
「うん、まだ気配を感じない。とにかく小精霊たちの案内に従おう」
森に入ってからまだシェドの気配は感じないが、小精霊たちが嬉しそうに恵麻たちを先導してくれている。きっとこっちに来いということなのだろう。
しばらく森深くへと進んでいく。エストが倒れていた川や、二人で暮らした小屋を見つけ、エストと懐かしみながら更に進んでいく。小精霊たちは止まる気配はなく、途中休憩を挟みながらも一行はどんどん森の奥へと進み、とうとう恵麻もエストも行ったことのない奥地まで足を踏み入れた。すでに日が暮れ始めている。
「さすがにこれ以上は危険です。この辺りで野営をしましょう」
「そうですね。ラナ、精霊に伝えてくれるかな?」
「うん、分かった」
案内をしてくれている精霊はエストの言葉も理解しているようだが、代替わり前だからか恵麻の言う事のみ聞いてくれるようだった。恵麻は精霊に休憩する旨を伝えると、野営の準備をしている皆の元へ戻る。
エドワード達はテントを張り、火を焚いて食事の準備を始めている。
エストは念のためと周囲に結界を張りに行った。
「手伝います」
「ありがとうございます。でも、座っていてくださって大丈夫ですよ」
「いえ、一人休むなんて落ち着かないので」
食事の準備をしていたカミルに声を掛けると、恵麻はスープ作りを申し出た。材料を切って煮込むだけのようなので、これなら恵麻にもできるだろう。
材料を放り込んだ鍋をグルグルとかき混ぜながら、恵麻はこれからのことに思いを馳せる。
もうすぐ、恵麻がこの世界に喚ばれた目的が達成される。シェドは何だか歯切れが悪かったが、恐らく元の世界に帰れるだろう。恵麻は元の生活に戻るのだ。
向こうに戻ったら、新しい仕事を探して、あまり会っていなかった友達にも会いに行こう。興味があることには挑戦して、いつ死んでも後悔のないような生き方を目指すのだ。
(…エストには会えなくなる)
元の世界に帰ることは、もう二度とエストには会えないということを意味する。
それで良いのだと、恵麻は一度決断しているし、エストにもそう伝えた。
だから、寂しいなんて思う資格は、恵麻にはない。
それなのに、それなのに。
この期に及んで、恵麻は寂しいと感じている。そして、帰りたくない、とも。
現実的に考えて、これからの一生を異世界で過ごすなど、無謀な話だ。
精霊術という便利なものがあっても、生活水準は元の世界のほうが圧倒的に高いし、便利だ。医療水準だってそうだろう。
日本にいれば皆同じ人種で、恵麻が浮くこともない。文字も書ける。
それなのに、帰還できるときが近づいてきたと思うたび、エストの顔が脳裏にちらつく。
彼の優しげな表情とか、意外と笑顔が子供っぽいところとか、いたずら好きなところとか。真面目で時々冗談が通じないところとか。それに、時々恵麻に向ける、あの燃えるような瞳。
きっと一度帰ったら、もう一二度とこちらに来ることはできないだろう。向こうには精霊はいないのだ。
戻ったら、もう二度と、エストには会えない。声も聞けない。体温も、香りも、何も感じない。
「…もう大人なんだから、一時の激情に身は任せられないのよ」
「ラナ、どうしたの?」
「ぎゃっ」
独り言を呟いていたところを突然エストに話しかけられ、恵麻は飛び上がった。ついでにカエルの断末魔みたいな声が出てしまった。恥ずかしい。
「驚いた?ごめんね」
「う、ううん、私がボーッとしてただけ。結界は終わった?」
「うん、大丈夫だよ。ラナは、スープできそう?」
「うん、もうすぐかな。材料が煮えたら」
目の前の鍋からはいい匂いが漂ってくる。一日歩き通しでお腹が空いている恵麻は、思わずゴクリと喉を鳴らした。
エストは近くに腰掛けると、乱れたらしい髪を結い直している。
「何だか本当に懐かしいな。ここでラナと過ごしたのが何年も前みたいな気がするよ」
「ふふ、ほんとだね。色々あったから」
「初めてラナに会ったときは驚いたよ。あまりにも賢くて、まさか人間が猫になってるなんて思わなかったし」
「そういえば、あの時エスト、私のこと愛し子かな、とか言ってたよね?愛し子って何?」
恵麻は疑問に思っていたのにずっと聞きそびれていたことをふと思い出した。
「ああ、そういえば。愛し子は、簡単に言うと精霊のお気に入りだよ。この世界の生き物は、精霊術が使えなくても皆少なからず霊力は持っていると言われていて、その霊力が精霊にとって波長が合うというか心地良いというか、そういう存在らしい。めったに現れないけど、2、30年に一度くらいは確認されている。人間だけじゃなく、犬や猫、鳥なんてケースもあったかな。愛し子になると、精霊がその存在を護ろうと周囲に集まるから、大規模な精霊術が使えるようになったりもするね」
「え、犬や猫でも?」
「そう、犬や猫でも。精霊が力を与えるから、動物離れした知能や情緒が育つこともある。だから暴走しないよう、人間が見守ることになるかな。でも、捕獲したりはしないよ。精霊のお気に入りなのだから、手を出すのは厳禁だ」
「なるほど」
エストが当初恵麻のことを愛し子かと言っていた理由がようやく判明した。スッキリだ。
「人間の愛し子はどんな存在なの?」
「人間で愛し子が現れたら、結構大騒ぎになるよ。なんせ精霊の加護を受けた存在で傷付けたら精霊の怒りを買うし、場合によっては大規模な精霊術が使えるんだ。その力は大士以上と言える。扱いは難しいけど、人にとっては大変有用な存在と言えるね」
ハイリスクハイリターンの存在というわけか。
「最後に人間の愛し子が確認されたのは、100年近く前かな。その後は動物の愛し子ばかりだった」
「そうなのね。100年前の愛し子はどうなったの?」
「当時の王太子と結婚したよ。つまり、現陛下の高祖母だ」
「えぇっ?!元々貴族のお嬢様だったの?」
「いや、全くの平民だった。しかも当時、王太子には婚約者がいたのに、それを解消してまで愛し子を妃に据えたと聞いている。愛し子はそれほど貴重なんだ。良くも悪くも影響力が大きすぎるから、存在が確認されたら大抵の場合、王家が取り込もうとするんだよ」
確かにそこら辺をフラフラとされたら困るのかもしれないが、平民を一気にお妃様にするなんてなかなか無謀なことをするものだ。それほど貴重な存在なのかもしれないが。
「平民からお妃様って、本人も大変だと思うけど…」
「そうだね。まぁ、愛し子に無理強いはできないから、本人も乗り気だったんだと思うよ。愛し子が王子と結婚するって話は市井の人々には夢物語として人気で、舞台になったりお伽噺になったりしてる」
「傍から見るとシンデレラストーリーだもんねぇ」
「ん?シンデレラって?」
「あ、いや何でも無い」
シンデレラはこの世界にはいないことを忘れていた。
「愛し子とか器とか、本当に精霊に根付いた社会だよね」
「そうだね…良くも悪くも、だけど」
「でもなんか、分かる気がする。元の世界には精霊はいなかったけど、目に見えない人以外の存在を信仰する風潮はあったよ。それが目に見えて力をくれるんだから、それに傾倒したくもなるよね」
日本ではあまり多くないが、世界では信仰の違いで戦争まで起きていたのだ。人は何か人知を超えた者を求める生き物なのかもしれない。
「お二人共、野営の準備が終わりました。ラナ様、スープありがとうございます」
「あ、カミルさん。ありがとうございます。スープもできました」
「ではいただきましょうか」
食事の間はアイーダさんが見張りをしてくれるとのことで、恵麻はエスト、エドワード、カミルと夕食をとることになった。
「空腹に染みる…」
「たくさん歩いたからね。ラナ、どこか痛くない?」
「大丈夫よ。猫の時よりは辛いけど、人間に戻ってから筋トレしてたし」
「ふふっ、筋トレですか!ラナ様は頼もしい方ですね」
「カミルさん、騎士おすすめ筋トレあったら教えてください」
「ラナ…ムキムキになるの…?」
「いやそこまでは…でも、筋肉はあるに越したことないよね。弱いよりは強い方がいいし」
「何とも勇ましいお嬢さんだ」
エドワード達は恵麻が猫だったことなども知っているので、気兼ねなくお喋りができる。恵麻がこの世界に来て、もう数ヶ月が経つ。猫だった期間が半分以上なので今更だが、世界の違う人たちとこうして和気あいあいと過ごすのは改めて不思議な感覚だ。
皆で雑談をしながら森の夜は更けていく。
恵麻はその後疲労から、気絶するように眠りについた。




