37. 砂糖のはちみつ漬けを食わされてる気分だ
ラナが人に戻った。
それだけでも俺にとっては驚愕だ。エストとラナを疑っていたわけではなかったが、実際に目にするとやはり信じられない思いだ。
ラナはどことなく、猫であった時の面影を残していた。
瞳の色が猫だったときと同じだ。あとは、雰囲気が。説明が難しいが、確かに俺は彼女をあの猫だと感じた。
ラナは少々珍しい見た目をしていたが、なかなか可愛らしい女性だとは思う。
本人は24歳だと主張しているが、俺の目から見るとどう見ても10代だ。成人はしているように見えるが、10代後半にしか見えない。
言葉が通じるようになり、話してみると、なるほど快活な女性であった。元いた国は王政ではなかったようで、貴族社会にも疎いと言っていたが、話せばきちんと理解する。自分の現状を把握し、取り乱すこともなく、できることをやろうとしている。総じて、賢い女性だ。
彼女に問題はない。問題は、エストだ。
ラナが猫の時から怪しかったが、彼女が人に戻れた今、エストのラナに対する態度は目に見えて「過剰」になった。
全てにおいて過剰なのだ。優しさも、心配も、好意も、全て。
ラナは異世界から何も持たずに連れてこられ、ようやく人の身に戻れたときには全裸だったらしい。それでいて若い女性なのだから、付き合いの浅い俺だって助けてやらねばと思う程度には同情する境遇だ。
だが、エストのそれはもはや普通ではない。
エストがラナを連れて帰ってきた時、エストの彼女に向ける視線があまりにも熱っぽく、見ているこっちが気恥ずかしくなるほどだった。
というか、見過ぎだ。熱っぽい上に見つめ過ぎだ。
特に俺のそばにいる屋敷の者は、エストのことを昔から知っている者が多い。俺を含め全員が、エストの変貌ぶりを目の当たりにして、ちょっと引いていた。
エストは良くも悪くも無欲で、執着のない男だった。大事なものは精霊士としてのお役目で、仲間や友人は大切にしていたが、適切な距離感を持った付き合いをする男だった。
ましてや女関係など、恐らく禄に経験もないだろう。特に本人に聞いたこともないが、あの顔だ。将来を見込まれた上級精霊士で、肩書も問題ない。エストを狙うご令嬢は多かった。浮いた話があれば社交界で噂くらいにはなるだろう。だがエストには全く、そう言った類の話はなかった。
下品な話、「そういう欲」がまるで無いのではないかと思うほど、エストは清廉な男だった。
それが、どうだ。
エストがラナに向ける目は、もはや執着そのものだ。
彼女の一挙手一投足を気にかけ、優しく気遣い、過保護なほど心配し、それとなく自分を頼るよう誘導している。
リックがラナを客室へ案内しようとしただけで、お前は母親かというくらい心配していたし、別の部屋になるということが不満そうだった。その後、ラナには信頼のおける侍女をつけたというのに、俺と話していても定期的に彼女の元へ向かおうとする。
男どころか、女性でも、ラナに自分以外の他人が近づくのが嫌なのかもしれない。
とんだ溺愛、いや、執着だ。
長年の友人が蕩けるような目をして女を見つめている姿は、砂糖のはちみつ漬けでも食わされているような心持ちになる。要するに、胸焼けするのだ。
「お前、ラナをどうする気なんだ?」
明日、エストはラナと共にケームノックの森へ行く。なんでも大精霊が現れ、代替わりをするから森に来いと言ったらしい。
俺はようやく陛下に会える算段が整い、同じく明日、王都へ出発する。大士のせいなのか、公爵の俺でさえ、陛下への謁見もなかなか許可が降りなかったのだ。
今夜は最後の夜だ。深酒するわけにはいかないが、何となく、二人で話しておきたくて、俺はエストを私室に招いて酒を振る舞うことにした。友人として飲むのは久々だ。
酒が入ったこともあり、俺は思わずラナのことをエストに聞いてしまった。
恐ろしいことに、エストがラナに執着しているということに、ラナ自身はそこまで気付いていない。いや、気付いているのだろうが、受け入れている。元々のエストを知らないから、「そういう人」だと思っているのかもしれない。
「どうする…と言うと?」
「ラナに惚れているんだろう?あそこまで態度に出されたら、誰でも気付く」
「ああ、そういう話ですか」
エストは恋情がダダ漏れだと言われているというのに、気にした素振りも見せない。
恋って、怖いな。
「先日振られてしまいました」
「ぶほっ」
突然の爆弾発言に、思わず酒を吹き出してしまう。
エストは眉を顰めてハンカチを差し出してきた。
「正確には、想いは伝えていません。ただ、帰ってほしくないと言いました」
「ラナは、帰りたいのか?」
「はい。そう言われました」
俺の質問に、エストは悲しそうな笑顔を見せた。
エストのこんな表情を見たら、我こそは慰めようと意気込むご令嬢が殺到するだろう。まあ、エストは今罪人なので、応募も少なくなっていそうだが。
「それで…どうするつもりだ」
「当初は、諦めるつもりでした。ラナには幸せになって欲しい。強引にこちらの世界に連れてこられた彼女は完全な被害者ですから、彼女の望みが帰還なら、そうするべきだと」
「まあ、そうだよな」
「ですが昨日、シェドバーン様が現れた際、確実に、ではないようですが、ラナが望むなら元の世界に帰してやると、シェドバーン様はそうおっしゃいました」
俺はその場にいなかったが、ラナからもその話は聞いた。もしかしたら最後かもしれないと、彼女は夕食後俺に挨拶に来たのだ。
「それを聞いた時、彼女を失うということが…現実味を帯びてきて、どうしようもなく、苦しくなりました。国どころか、世界が違うんです。もう二度と会えない。…こんなに大切なのに。いっそシェドバーン様の言うように、帰還の術を使えるようになるのに数十年、いやいっそ、できなくなってしまえばいいと、そんな酷いことまで考えました」
エストがグラスを傾けると、カラン、と冷たい音がする。
この男はきれいな顔をして、実は滅法酒に強い。
「だから、決めました。代替わりが無事終わったら、もう一度、私と共に生きてほしいと言うつもりです。私はもう、彼女なしの人生など考えられないですから」
夜も更け、明かりを灯しても薄暗くなってきた部屋に、エストの昏い笑顔が浮かぶ。
「幸い帰りたい理由は、故郷に恋人がいるなどということではなく、現実的なもののようです。つまるところラナは、衣住食の保証が何もないこの世界で生きることに不安を抱いている様子でした。ならば、私が全て用意すればいい。今は罪人の身なので、偉そうなことは言えませんが…、ラナがこちらで生きてくれる手があるならば、全て打ちます。もはや手段は選びません。私のすべてを持って、彼女を引き止めますよ」
「お前…ラナの意志は尊重しろよ」
「分かっています。でも、多分、私はみっともないほど縋るでしょうね」
そう言うと酒を流し込んだエストは、自嘲気味に笑った。
「あのお前が、ここまでになるとはな。恋は人を変えるというやつか?」
「ダスティンも出会ったら分かりますよ。私の気持ちが」
「俺の場合は、いっそ出会わない方がマシかもな。公爵の結婚相手は、惚れた腫れただけじゃ選べない」
「確かに、ダスティンはそうですね」
「まあ、頑張れよ。俺としても友人の恋路は応援したいからな」
「ありがとうございます」
エストにここまで言わしめたのならば、もはや退路はないに等しいだろう。エストは意外と頑固だ。やると決めたことはやり通す。
少々ラナが可哀想な気もするが、俺はエストの友人だ。
手があるならば、元の世界への帰還は諦めて、エストを選んでいただきたい。
でないと、この新たな一面を開花させた友人は、何をするかわからないからな。
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