34. 異世界人と青年の休日
ダスティンの屋敷に滞在して、数日が経った。
ダスティンとエストは計画を進めるため、毎日忙しなく動いている。
一方の恵麻は、公爵家の図書室から本を借りて文字の勉強をしてみたり、精霊術の練習をしてみたり、お屋敷の使用人達と世間話をさせてもらったりして、この世界で人間として過ごす練習をのんびりとしていた。
始めのうちは突然現れた恵麻を訝しげに見ていた使用人達も、恵麻がせっせと話しかけるうち、大分慣れてくれたように思う。
彼らの恵麻を見る目が怪しげなものから好意的なものになったのには、シンシアに用意してもらった『戦闘服』が、かなり良い仕事をしてくれている。やはり人は見た目が重要。簡素でもそれなりに質の良いドレスを身に付け、ヘアメイクもきちんとするようになれば、異国風の顔立ちの恵麻でも変な目で見られることは少なくなった。
恵麻は顔立ちだけで目立ってしまうのだ。こちらの世界では、黒髪に彫りの浅い顔立ちの方が珍しい。
お屋敷の人たちにそれなりにでも受け入れてもらえたのは、恵麻にとってかなり有難いことだった。
彼らとの会話は、例えば天気の話や好きな食べ物の話、彼らの趣味の話など、ただの雑談でも、とても勉強になる。
ここに来るまでエストしか身近な存在がいなかった恵麻の世界は、少しずつ広がりつつあった。
そして今、恵麻はこちらに来て初めて料理をしている。
興味があると伝えたところ、厨房の隅を貸してもらえたのだ。
設備は全て霊術具なので、使い方を教えてもらい、後は邪魔にならないよう静かに作業している。
最近の恵麻の行動は、「遠い国から来て異文化交流を頑張っている」と皆から見做されているらしい。
作っている料理はサンドイッチ。具材はツナマヨ、と言っても同じ材料はないので、味見をして似たようなもので代替。なるべく火を使わず失敗しないものをと考えて、これになった。
何と、サンドイッチはこの国にはない料理だったらしく、料理人たちは珍しそうに恵麻の手元を見ている。特にツナマヨもどきには皆興味津々だ。サンドイッチなんて、切って挟むだけなのに…
ここではパンは結構大きめの丸いパンが主流なようで、食パンのような形は見ないから、おかずとパンは別で食べるのが普通なのだろう。挟んで片手間に食べるなんて発想がそもそもないのかも。
ちなみにこの国の主食はパンで、米は今のところ見かけていない。納豆ご飯が恋しい。
「何とか出来た」
丸パンを輪切りにして無理やりサンドイッチに仕立てた、名付けて異世界サンドイッチだ。我ながらダサいネーミング。
「厨房貸していただいて、ありがとうございました!」
「いや、良いさ。サンドイッチとやらは出来たのかい?」
「はい、何とか。たくさん作ったので、少し置いておきます。良かったらどうぞ」
「それは楽しみだ。ありがとう」
厨房で働くベテラン料理人のテッドさんは、恵麻が異国から来たと聞くと料理文化を聞きたいと彼から声をかけてきてくれた、イケオジだ。
やはり職人なのだろう。正直恵麻は元の世界でも大した料理は作っていなかったが、それでも熱心に話を聞いてくれて、結構親しくなった。
「今度はまた違う料理を作りたいです」
「それは俺も興味があるな。また声をかけてくれ」
「はい!」
恵麻は厨房を後にすると、バスケットに詰めたサンドイッチを手に庭へと向かった。
そして紙と鉛筆のようなものを握り、ベンチに腰掛ける。
今日はこれから、以前エストと約束した「庭園でお茶」をするのだ。
まだエストは来ないはずなので、恵麻は先にここで絵を描いて待つつもりだった。
庭にはやはり、元の世界とは何処か違う、しかし美しい花が咲き乱れており、恵麻はこの風景を何かで残しておきたい、と思ったのだ。
しかしここにはカメラがないので、絵を描いて残すしかない。正直恵麻の絵の腕は素人レベルでしかないのだが、これしか手段がない。
恐らくここでは、紙は高価なものだ。
なので、ダメ元でキーラに、捨てるような紙で良いからいくつか譲ってもらえないかと聞いたところ、考えていたよりもずっと立派な白い紙をいただいてしまった。
絵を描きたいのだと伝えたところ、とりあえずということで鉛筆のような、黒い線のかけるペンも貸してもらえた。
恵麻の下手な絵のために、申し訳ない。
でも、いつまでこの世界にいられるかわからないのだ。
元の世界に帰れたとして、ここでのことがただの夢だったのでは、とならないよう、思い出を実体化させたい。
まぁ、何かを持って元の世界に帰れるのかは、分からないけれど。
寝る間も惜しんで働き、突然異世界に飛ばされて猫になり、何だかんだとバタバタ過ごし、突然人に戻ったら騎士に追われ。
これまでが怒涛だったため、こうしてのんびり過ごしていることが、何だか信じられない。
「ラナ?」
ふと、名を呼ばれ、恵麻はハッと顔を上げた。
思っていたよりも集中していたのか、気付けば目の前にエストがいた。
「エスト、お疲れ様」
「ラナも。待たせた?」
「ううん、私が早めに来てただけだから」
「そっか。その服、可愛いね。似合ってるよ」
「あ、ありがとう。シンシア様にいただいたんだよ」
「この前ラナがシンシア様に仕立て屋へ連れて行かれたって言ってた時の?」
「そうそう。あの時はどうしたらいいのか分からなかったけど、今となってはすごく感謝してるよ。着る服のバリエーションが増えて、すっごく楽になったし、楽しい」
「なら良かった。あれ…それ、絵、だよね?」
「あ、うん」
恵麻の絵は人様に堂々とお見せするようなものではない。少々気恥ずかしくなって、恵麻は描きかけの絵を胸に抱いた。
「この世界の風景は私にとっては新鮮だから、ちょっと書き残しておきたくて。でも下手だから」
「そんなことないよ。ラナにとってはこの庭も、こんなにきれいに見えてるんだね」
エストは恵麻の絵を覗き込むと、しみじみと呟いている。彼は素直な人だから、きっと心からそう思ってくれているのだろう。
なんだかくすぐったくなって、恵麻は絵をしまった。
「ありがとう。まあこれは私の趣味だから、気にしないで。お茶でも飲もっか」
恵麻はエストにベンチの隣を勧めると、用意してもらっておいたお茶と持ってきたサンドイッチを手渡した。
「ありがとう、…これは?」
「やっぱり、見たことない?サンドイッチっていうの。私の元の世界ではよく食べるんだよ」
「ラナの故郷の料理なの?」
「故郷のかって言われると違うんだけど…まあ一般的な料理だよ。料理って言えるほどのものでもないけどね。こうやって齧りつけば、カトラリーもいらないから、外で食べたりするのに便利なの」
「へえ、面白いね」
恵麻がサンドイッチに齧り付くと、エストも真似をしてサンドイッチと格闘する。
大きな口を開けて一生懸命食べるエストは可愛かった。
「これ、ラナが作ったの?」
「そうだよ。料理人のテッドさんに頼んで、厨房の一部を貸してもらったの。霊術具ってあんな感じなんだねえ」
「屋敷の人とは、上手くやれているんだね」
「皆良い人で、助かってるよ。この世界の人がどんな暮らしをしているかが分かって、面白い」
「そっか。ラナはすごいな、あっという間に馴染んだね」
「皆が良い人ってだけだよ。エストの婚約者っていうのも効果出てると思うし、あとシンシア様のおかげでだいぶ身なりも良くなってるし」
他愛無い会話をしながら先に食べきったエストは、未だサンドイッチと格闘する恵麻をじっと見つめた。
「…エスト?何?」
「いや、こうして見るとますます、猫の時の面影があるなって」
「それ、ダスティンさんにも言われた。猫の面影って何よ…」
「身体は本当に異常ない?」
「全然ないよ。元気元気!それよりも、シェドがどうしているのか気になるよ。私が人に戻る頃会いに来るって言ってたけど、全然気配ないし」
「そうだね…」
「シェドはあの森から出られないとか、そういう制限はないのよね?」
「ないはずだよ。でも、代替わり前の不安定な時期なら、もしかしたら…分からないな」
「うーん、じゃあやっぱり、ケームノックの森に行かないと会えないのかな」
「その可能性もゼロじゃないね。もし気配を感じたら、教えてくれる?」
「もちろん」
恵麻の人生を大いに変えた元凶の割に、大精霊様の気配は全くしない。
「重要人物の割に登場回数が少ないのよ、シェドは。色々と聞きたいこともあるのに…」
「…それは、元の世界のこと?」
「えっ?」
「元の世界に帰れるか、聞きたいってこと?」
エストを見ると、彼はいつにもまして真剣な顔で、恵麻を見つめていた。
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