30. 同性の知り合いってめちゃめちゃ大事
とにかくまずは休もうということになり、恵麻は一度部屋へと戻ることになった。
「ラナ、新しい部屋を用意するから、今日からはそっちで過ごしてくれ」
「あ…そうですよね」
つい癖でエストの部屋へ向かおうとしていた恵麻は、ダスティンに言われ、自分が人間に戻っていることを思い出してハッとした。
もうエストと同室ではいられない。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます。エスト、またね」
「…うん。あ、ラナ」
「うん?」
執事のリックが恵麻を案内してくれると言うのでついていこうとしたところ、エストに呼び止められる。
「部屋は別になるけど、何かあったらいつでも来ていいからね。困ったことがあれば私になんでも話して。いいね?」
「え?う、うん」
「それと屋敷から出るようなときは、必ず私に声を掛けてね。庭だとしても。一人で行動するようなことはしないで」
「え、ええ…?」
まるで子供に対するようなエストの扱いに、少々戸惑った。ちらりとリックを見ると、彼もなんだか苦笑気味だ。やはりこれは異世界スタンダードではないようだ。
「エスト、子供じゃないから大丈夫よ。勝手なことはしないし、心配しないで」
「うん。…じゃあ、また後でね」
まだまだ小言を言いたそうなエストと別れ、改めてリックに客室へと案内してもらう。
エストはまだ恵麻を猫だと思っているのかもしれない。
「…はーーーーーーっ!」
部屋へと案内された恵麻は、念願のベッドへとダイブした。気持ち良すぎる。もう足が棒のようだし、下着もないし髪も肌も荒れていて、とにかく不快度マックスだったのだ。
ぼんやりとベッドから天井を見上げて、恵麻は考えた。
「…これから、どうなるんだろうなあ」
思ったよりもずっと早かったが、恵麻はついに人間に戻った。戻ったら戻ったで不自由なことが多いということにも気付いたが、とりあえず別の生き物として人生を終えることは無さそうだ。
大士の企みとやらを止めて、無事に代替わりを終えたら、シェドに頼んで元の世界へ帰してもらう。そうしたらこの不思議な体験も終わりだ。
戻ったら同じくらいの時が過ぎているのだろうか。それとも、あの山登りをしていた日に戻るのか。
どちらにしろ、恵麻は帰ったら、あの仕事を辞めて好きに生きようと決めていた。一度しかない人生を苦しみながら生きるなんて、もう懲り懲りだ。
とりあえず戻ったら、記憶が鮮明なうちに、あの美しいケームノックの森やアリヤナクアの町並み、そしてエストのことも、書き残しておこう。忘れないように。
そして、新たな人生を歩むのだ。
仕事も、住む場所も、全部変えてしまいたい。
猫になって森で目覚めたときはどうなることかと思ったが、こうやって新たな価値観に目覚められたわけだし、案外充実した異世界生活だったと思う。
(…まあ、まだ大事なイベントが終わってないんだけどね)
むしろここからが本番だ。気合いを入れなくてはと思うが、疲れ切っていた恵麻はベッドに投げ出した四肢を動かす気にならず、しばらくぼんやりと過ごした。
気付けば居眠りをしていたようで、恵麻はコンコン、とドアをノックされる音に飛び起きた。
「…失礼します。ラナ様、お休みでいらっしゃいますか?」
「は、はい!大丈夫です!」
控えめに掛けられたのは女性の声だ。
恵麻が慌てて応じると、若い女性が静かに部屋に入ってきた。
「申し訳ございません、お休みでしたでしょうか」
「全然大丈夫です!むしろすみません、なかなか反応しなくて」
「滅相もございません。申し遅れました、私はこれからラナ様の身の回りのお世話をさせていただくことになりました、キーラと申します」
「キーラさん、よろしくお願いします」
「どうぞ呼び捨てになさって下さい。私はラナ様の侍女ですので」
「え、侍女?」
「ラナ様、お召し物のご用意がないと伺いましたので、いくつかお持ち致しました。お召し替えをさせていただきますね」
「え、ええ?」
てっきりちょっとした生活用品を持ってきてもらっただけかと思っていた恵麻は、キーラという女性が恵麻の侍女を名乗り、懇切丁寧にお世話をしてくれようとしたので驚愕した。しかもラナ様、なんて。どこのお嬢様だ。
「あ、あの、大丈夫です。着替えを貸してもらえるだけでも有り難いです。そこに置いておいてもらえますか?」
「まあ。ですが、旦那さまからラナ様の湯浴みも手伝うように言われておりますので」
「ゆあみ…お風呂ですか?大丈夫です!あの、説明だけしてもらえませんか?」
恵麻の背中どころか全身洗ってやろうという意気込みを感じるキーラをどうにか説き伏せて、恵麻は何とか一人で入浴することに成功した。
お風呂は部屋に備え付けで、元の世界でもよく見るようなバスタブがあり、シャワーがなく、桶で身体に湯を掛けながら入るスタイルのようだった。
これまで見てきた宿はお風呂がないか、小さな桶だけがあり、お湯を借りてそれで身体を洗う仕組みだったので、公爵家の贅沢さ加減が伺える。
身体を洗えて、お湯に浸かれる。なんて贅沢なのだろう。
湯から上がった恵麻に用意されたタオルも、これまでの宿で見てきたものとは比べ物にならないほど柔らかくふかふかだった。
貧乏旅をしてきたということもあるだろうが、宿が貧相だったと言うよりも、ここが特別贅沢なのだと思う。なんたってお貴族様なわけだし。
それにしても、あの安宿のパリパリの布で髪を拭いて、何なら野宿をして、何のトリートメントも付けていないのにいつでもつやつやの髪を維持していたエストは一体何者なのだろう。もしかしたら人間じゃないのかもしれない。
「ふぁー…さっぱり…」
天にも昇るお風呂タイムを終え恵麻が部屋へ戻ると、キーラが待ってましたと言わんばかりに服を持って近寄ってきた。
「お召し替えをさせていただきますね!」
「あ、いや…」
着替えも自分でする。そう言おうと思ったが、キーラが手にしている下着が恵麻がこれまで着用してきたそれとは形が違うことに気がついた。
多分前でボタンで閉めるスタイルで、胸だけではなくキャミソールのような形になっている。
でも、自信がない。付け方を間違えても誰にも聞けないし、ここは素直に手伝ってもらうのが良いだろう。
「…お願いします」
恵麻は恥ずかしさに耐えながらも、キーラに手伝ってもらい下着を付け、用意してもらったワンピースを身に着けた。
「…あの、私のこと、なんて聞いているんですか…?」
一通りの支度を終え、キーラに入れてもらったお茶を飲みながら、恵麻は恐る恐るキーラに聞いた。
どうもキーラの恵麻に対する態度を見ていると、どこぞの貴族のお嬢様だと思われている気がしてならない。
お屋敷に着いたときは、エストは恵麻のことを精霊塔から保護したと説明する、と言っていたはずなのだが。
「エスト様のご婚約者様だと聞いております」
「ゴボッ…!」
キーラのとんでもない発言に、恵麻は飲んでいたお茶が気管に入って盛大に噎せた。
「ラナ様、大丈夫ですか!?」
「げほっげほっ…、は、はい、大丈夫です」
なんでエストの婚約者などになっているのだ。どう話が飛んでいったのだろうか。
「ラナ様はエスト様と将来を誓い合った仲だったところを、エスト様が謂れのない罪で精霊塔を追われた際に人質にされ、これまで精霊塔で囚われていたという事情まで、聞いております。それを今回、エスト様が身を挺して助けに行ったと…。それにしても、ラナ様が着の身着のままでお帰りになられたときは驚きました。女性がこんな扱いを受けるなんて、精霊塔はどうなっているのでしょうか!」
「え、いやぁ、その…」
「確かに女性の精霊士は少ないですから、多少手が回らないところがあったとしても。下着も、ないだなんて…!」
「あの、えっと、キーラさん、落ち着いてください。その、事情があってそんな感じだったのですが、私は大丈夫ですから」
「ラナ様…」
よく分からないが話は合わせておくべきだと考え、恵麻は曖昧にもほどがある返答をキーラに返しておく。
恵麻が全裸だったのは精霊塔のせいではないのだが、致し方ない。精霊士達よ、すまぬ。
「あの、それと、私は貴族でもなんでもないので、様付けもいらないですよ」
「まぁ。ですが、エスト様は爵位をお持ちですし、嫁がれたらラナ様も同じになられますよ」
「えっ?」
「エスト様は伯爵家のご嫡男ではございませんか」
エストが伯爵家の息子?
どういうことだろう。確か以前エストは、精霊塔で大士を親代わりにして育ったと言っていた。
そういえば、恵麻はエストの生い立ちを知らない。精霊塔で育ったということから、親を亡くしているか、事情があって離れて暮らしているのだと勝手に思っていたが、恵麻の想像にすぎない。
(お互い相棒とか言いつつ、何となく深い事情は聞けてないんだよね…)
彼の過去の話を聞くと、実の親との離別の話をさせてしまう可能性もあり、彼を傷つけるのではと、深い事情には立ち入ってこなかったのだ。
だが、婚約者を演じるならちゃんと知るべきだろう。
あとでエストと打ち合わせなければと、恵麻はひっそりと決意した。
「その、でも、私は平民なんです。だから今は何者でもないので、そんなに大仰に扱ってもらわなくても大丈夫ですよ」
「ですが…」
「むしろ、私、色々あって女性の知り合いが全然いないので…、あの、出身も遠い国で、多分常識とか全然ないんです。だから、色々教えてもらえると嬉しいです」
「ラナ様?」
恵麻がぺこりと頭を下げると、キーラは驚いたように目を瞠った。
もしかしたらこちらの世界では、頭を下げる文化はないのかもしれない。
「恐縮です。ですが、私も実は同じ年頃の女性があまり身近にいなくて。ですから、ラナ様も私に気安くしていただけると嬉しいですわ」
「キーラさん…!」
キーラがにっこりと微笑んでそう言ってくれたので、恵麻は思わずキーラの手を握った。
柔らかい。女性の手だ。
変態じみた感想を抱いてしまったが、この世界に来てから、初めての同性の知り合いなのだ。色々と相談したいこともあるし、とにかく嬉しい。
「どれくらいここにいられるか、わからないんですが…仲良くして下さい!」
「はい、こちらこそ」
恵麻はその後、無理を言ってキーラにもお茶に同席してもらい、色々と、女性の化粧や服装の常識からトイレ事情まで、それはもう色々と質問攻めにしたのだった。
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