27. できない約束
森の奥で小さな湖を見つけると、ようやくエストは恵麻を下ろした。
様子を伺うと言って何やら周囲を一周すると、恵麻の元に戻ってくる。
「何してたの?」
「気配を探る精霊術を張ってきた。誰か近づいたら分かるように」
「すごい…」
「分かるだけだから、気配がしたらすぐに逃げないとだけどね」
ここにきてエストは精霊術を色々と使っている。無限に使えるわけではないはずなので、彼の体力が心配だ。
「エスト、無理してない?精霊術も有限なんでしょ?」
「これくらいなら、全然大丈夫だよ。これでも霊力はある方だからね」
エストはそう言って恵麻に笑いかけると、恵麻の足や肩の怪我を確かめる。
「大丈夫?痛むでしょう。ひどくならないように、洗っておこう」
「これくらい、平気だよ。…それより」
恵麻は正座をすると、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい…!私がしくじったせいで、バレて、大事になってしまって」
「ラナのせいじゃないよ。気にしないで」
「いや、どう考えても私のせいだよ…」
「謝らないで。それより…何があったのか、教えてくれる?」
それはそうだ。まだ恵麻はエストに何も話せていない。
恵麻はエストと別れてから何があったのかを、かい摘んで説明した。
「…それで、多分エストの言う霊術具は回収できたの。これなんだけど」
「あっ…、これだよ!ありがとう、ラナ!」
恵麻がローブの内側にしまい込んでいた巻き貝のようなものを取り出すと、エストは珍しく興奮気味にそれを受け取った。
「証拠になりそう?」
「すぐにでも確認したいけど…これは、ダスティンの屋敷に帰ってからにしよう。確認に時間がかかりそうだし」
「そっか」
「続きを聞いてもいい?」
エストは霊術具をしまうと、恵麻の足の傷を湖の水で洗いながら、話の続きを促す。
結局恵麻はまだ治癒術をうまく扱えないので、エストが応急手当をしてくれているのだ。本当に、もっとちゃんと練習すべきだった。これからは精霊術の勉強に励もう。
「えっと、それで…そのあと、部屋に金庫を見つけて。試しに開かないかなって、エストの真似事をしたら…その、鍵が壊れたの」
「鍵が?」
「バキッて、真っ二つに」
「真っ二つに」
「音が聞こえたのか、警報装置がついてたのかは分からないけど、騎士がたくさん部屋に来て。とっさに大士の私室の方に隠れようとしたら、急に人間に戻っちゃって…」
「急に?」
「うん、本当に急に。それで咄嗟に、ベッドに潜り込んだの。そしたら裸でベッドにいた私を、騎士は多分大士の愛人か何かと勘違いしてくれたみたいで。隙を見て窓から木を伝って逃げてきた」
「木…って、あの木を?!何てことを…!危険すぎる!」
「うん、ごめんなさい。でももうそれしか思いつかなくて…。結局騎士に見つかっちゃったし。そこを、エストが助けてくれたんだ」
「…」
一通り説明をしたが、エストは複雑な表情のまま黙り込んでしまった。
「あの…本当に、ごめんなさい。ダスティンさんとエストの計画に、支障が出ちゃうよね…」
「…そうじゃないんだ」
エストはまるでどこかが痛むかのような、苦悶の表情を浮かべている。
「エスト…?」
「ラナを…ここまで危険な目に遭わせた自分が許せないんだ」
「え?!なんで?!エストがさせたわけじゃなくて、全部私がしたことだよ」
「違う。大士のことは、私の事情だ。それにラナを巻き込んだのは私だよ」
「違うよ。大士の計画が成功しちゃったら、シェドの器の私も危ないから。私にとっても必要なことだよ」
「それでも、無理だ」
エストは片手で顔を覆ってしまう。
「一歩間違えれば、ラナは…、大怪我をしていたかもしれない。騎士に捕まっていたかもしれない。私は、ラナを失うところだった。そんなの無理だ。耐えられない」
「エスト」
エストは顔をあげると、恵麻の両手をそっと握った。
猫の手ではない、人の手で感じるエストの手は、少しカサついていて、大きくて、温かかった。
「ラナ。私はもう、ラナを離せない。今回のことで身に沁みたんだ。計画に協力してもらっておいて、今更だけれど…もう、私から離れないで。ラナに何かあったら、私は多分、私でいられない」
「…」
ともすれば愛の告白のようなセリフだが、エストの言葉からはもっと切実な何かを感じる。だから恵麻は、迷った。
(…私は…)
エストの気持ちは嬉しい。恵麻だって、エストを大切に思っている。でも、恵麻は、彼から離れないなんて、約束できない。
(私は、いつかここから、いなくなるかもしれないのに)
恵麻はこの世界の住人ではない。
シェドの代替わりとやらが終わったらどうなるのか、何もわかっていないのだ。
それなのに、無責任に、もう離れないよ、なんて、言えない。
恵麻が黙り込んでしまうと、エストはしばらく恵麻の目を見つめたあと、ふっと悲しそうに笑った。
その表情は、恵麻の心を、はっきりと抉った。
「…エス」
「それにラナ、非常事態とはいえそんな格好でうろついてたと思うと…私は本当に、ラナを隠してしまいたくなるよ。まずは、ラナの裸を見たという騎士を探し出さないと」
「え、エスト?探し出してどうするの?」
「…」
「エストさん!?」
にっこりと笑ったまま何も言わなくなったエストが空恐ろしく、恵麻はぶるりと震えた。




