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21. エスト・アーテナルドという男





俺がエストと出会ったのは、まだ子供の頃だ。確か、俺が8歳、エストが6歳くらいの頃だったと思う。



その日俺は、父親に連れられて王宮へ登城していた。

が、仕事に忙しい父親に放置され、なかなかのいたずら小僧だった俺は王宮中を探検し、例に漏れず迷子になった。


そして迷い込んだのが、王宮の隣にある精霊塔の庭だ。

そこでエストは、何やら難しそうな本を読んでいた。



話しかけると、彼は精霊士の卵で、今は休憩時間なのだという。

休憩時間だという割に、小難しい精霊術の本なんかを読んでいるから、勉強嫌いだった俺はエストのことを別次元の生き物だと思った記憶がある。



だが、その本の挿し絵がなかなか美しかったことと、精霊術に興味があり、さらに暇だった俺はエストにしつこく話しかけた。それがきっかけで、俺は王宮に行く度、エストを訪ねるようになった。



エストも、俺と会うことを大士が許可してくれたとかで、歓迎してくれるようになった。同年代の友人に対する気遣いかと思っていたが、今思うと、あの狸爺はエストに公爵家の伝手ができると思ったのだろう。

今も昔も嫌らしい男だ。




エストは俺と正反対だと言えた。

くそ真面目で、品行方正、正義感が強く、純粋で素直。

大人に言われたことをそのまま信じて、毎日鍛練に励むような、子供らしさがまるでない少年だった。

そしてエストは成長しても擦れることなく、そのまま大人になったのだから、いっそすごい。




俺は公爵家で嫡男として生まれ育ったから、甘やかされた面はあれど貴族社会の汚い部分なんかも見て育った。

だから、エストのような優等生な男はともすれば苛立ちの対象だった。事実、腹のどこかで、エストは貴族社会では生きていけないだろうなんて、見下してもいた。


それでも、なぜかエストを嫌うことはできなかった。

恐らく、エストがそうすることで自分を保っていると、何となく感じていたからだ。



結局、俺とエストの交流は、頻繁ではないとは言え、成人しても続いた。





会う頻度は高くないとはいえ、気付けば幼馴染歴も長くなってきた頃、俺の父が急逝した。

本当に突然のことで、俺はすでに成人していたがまだ父の仕事を完全に引き継いでいたわけではなく、父の死を悲しむ間もないほど、俺も母も奔走する羽目になった。



そしてそういうときこそ、くだらない連中が擦り寄ってくるものだ。

明らかにきな臭い投資話を持ってきたり、俺が何も知らないボンボンだと思ったのか詐欺まがいの商品を売りつけに来たり。


胸元の開いた服で腕に絡みついてくるような女も増えた。急に跡取りとなった息子など、御しやすいと思われたのだろう。老若男女、擦り寄ってくる者が増えた。舐められたものだ。




そんな怒涛の日々を送る中、久しぶりに登城した俺は、偶然エストに会った。

互いに大人になってからは忙しく、エストに会うのも、半年ぶりくらいだった。



それなりに人間不信に陥っていた俺は、エストに会っても、早々に会話を切り上げるつもりだった。また何かおべっかでも使われたら、たまらない。


だがエストは何も言わず、ただ一言、「お悔やみ申し上げます」と言っただけだった。




心から、父の死を嘆く表情だった。

エストは父と交流があった。父は王宮勤めが多かったから、ともすれば俺よりも父の方がエストに会っていたくらいだ。



父の葬儀に、エストは外せない事情で顔を出せなかったという。

それがどうしても悔やまれて、今度墓参りをさせてほしいと。


それだけ言うと、エストは立ち去った。




その時俺の中に、生前の父の表情や言葉、共に行った場所、交わした議論から幼い頃抱きしめられたことまで、あらゆる思い出が駆け巡った。


思い出したあとは、ただただ、涙が溢れて止まらなかった。





急なことで悲しむ余裕もなく、父の遺した利権にたかるハエどもを蹴散らすことで精一杯で、本当の意味で父を悼んでくれる者など、母や古参の使用人だけ。

その身内を守るため、虚勢を張って立っていた俺は、エストの言葉で、ようやく悲しむことができた。





品行方正、クソ真面目で真っ直ぐな男。

貴族社会だったら真っ先に蹴落とされそうな、良くも悪くも純粋すぎる男。


腹のどこかでその純粋さを見下していたエストに、俺はその時、救われてしまった。






だから、エストに何かあったときは俺が味方をしてやろう。

精霊塔は、大士をはじめどうにもきな臭い。

エストはその実力から次期大士などと言われているが、あいつは腹芸はできない男だ。

何かあれば相談くらいは乗ってやろう。

そう思っていたのに。



まさか、一夜にして罪人扱いされ、生死を問わない手配書まで出回るとは思わなかった。






聞けば罪名は窃盗だという。貴重な霊術具を盗み他国に売ろうとしたとか、そんな理由だ。



確かに精霊術の無い他国では、霊術具は驚くほどの値段で取引されている。

だが、エストがそんなくだらないことをするわけがない。



公爵という立場から、表立って動くことはできず、自身の無力さを感じていた時。


まさか、エスト本人から訪ねてくるとは思わなかった。






事情を聞けば、エストは大精霊の封印だとか、代替わりだとか、器だとか。何やらとんでもないことに巻き込まれているようだった。




エストは少し、変わった。

心優しく純粋な好青年、ともすれば何にも執着を示さなかったエストは、以前よりもはっきりと、論理的ではなくとも感情で意見を述べるようになった。

特に抱えている猫に関しては、やたらと過保護で執事にも触れさせないほどだ。



その猫が実は人間で器だと聞いたときは度肝を抜かれたが、なるほど納得した。

エストにとってあの猫、ラナは、飼い猫以上の存在なのだろう。




いかんせん中身は人間とはいえ見た目は猫なので、エストの執着が庇護対象へ向けられるものだからなのか、それ以外なのかはわからないが、彼が他者に強い興味を抱く姿は、正直新鮮で面白い。





ラナが猫から人間に戻ったら、エストは一体どうなるのだろうか。




大士の陰謀に代替わり。

状況は危機的なのだが、俺は幼馴染みの変化を、つい面白がってしまっている。





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