11.エストの絶望
私は孤児だった。
幼い頃の記憶はなく、エストという名は生みの親がつけたものらしいが、会ったことはない。アーテナルドは私を引き取った伯爵家のファミリーネームだが、書類上だけの親なので、こちらもほとんど交流はない。
物心ついた頃には、精霊士の本拠地である精霊塔で暮らしていた。
当時から上級精霊士としてその実力が認められていた現大士を父とし、彼を慕うたくさんの精霊士を兄弟や友とし、孤児だということを忘れるほど、私は大切にされ育った。
もちろん、大士は私に精霊士としての才能があると見込んだからこそ、息子のように親身になって育ててくれたのだろう。だが、そんな打算が込みだったとしても十分なほど、愛されていた。そう思っていた。
だから恩を返すべく、私は必死に鍛錬に励んだ。大士が見込んだとおり、私は成長するにつれ能力を伸ばし、13歳の時、最年少で上級精霊士となった。
このまま仲間と共に鍛錬に励み、いつか大士の座を継ぎ、恩を返すのだと。
そう信じて疑わなかった。
思えば、予兆はあったのだ。
精霊を尊重する素振りを見せる私に対し、大士やその側近はあまり精霊を信じるなと、苦言を呈することが多かった。
共に鍛錬に励んでいた兄弟たちも、気付けば有力貴族の婿に入ったり、大士の従者となって身の回りの世話までするなど、様相が変わっていった。
大士は精霊士としての仕事より、陛下と王宮で過ごすことが増えた。
精霊塔にいることが減り、身につけるものが華美になり、食生活が変わったのか、体つきがだらしなくなった。
ひどいときは、昼間から女性を自室に連れこみ、朝まで出てこない。しかも、いつも違う女性だ。
それでも愚直に彼を信じていたのは、もはや盲目だったとしか思えない。
大士の代わりに精霊士としての活動に励み、いつ皆が戻っても良いように塔を整え、鍛錬する。
私はただの操り人形だった。
終わりはあっさりとしたものだった。
「ようやくあの頑固者を説き伏せられそうだ。例の霊術具を使う時が来る」
「大士、陛下をそのように呼んでは、不敬と言われますぞ」
「ふん。たとえ聞かれていても、この場で、いや、王宮でさえ、私を否定できる者がいるか?」
「滅多におりませんね」
「そうだろう。何のために手塩にかけて育てた駒たちを、有力貴族に売り払ったと思っているんだ。もはや私の勢力は、王以上だ。あとは霊術具で大精霊を手に入れてしまえば、私の権力は揺るぎないものとなる」
「…エストはどうされるのですか?何にも気付いていないようですが」
「ああ、あの大馬鹿者か。あれは本当に、どうしようもない。くだらない正義感を持ち続け、期待外れだった。せっかくあの顔と精霊術の才能は使えると思って引き取ったのに、無駄な労力だったな」
「しかし、腕は確かです。霊術具を使う際、彼の霊力を使えば良いのでは?」
「そうだな…。あの霊術具は確かに、消費する霊力も膨大だ。適当にエストを説き伏せるか。奴の霊力なら役に立つ」
「どう説得を?」
「なに、あいつは馬鹿だからな。大精霊のためになるようなことを言えば、信じるさ」
「確かに、そうですね」
薄く扉の開いた部屋で、本人が扉の前にいるとも知らず、大士とその側近は談笑していた。
私は確かに、大馬鹿者だ。
気付こうと思えばいくらでも気付けたのに、信じたくて、目をそらしていた。
私はその後、大士の周辺を洗い、彼らの大まかな計画を突き止めた。
大精霊の封印。そんなことをしたら、国は滅びる。
私は、大士を止めなくてはならないと考えた。しかし、何の権力も持たない私に、一体何ができるというのか。
考え抜いた末、私は、一つの策を講じた。
精霊塔にはあらゆる霊術具が保管されているが、その中に、短時間だが周囲の音を保存しておくことができるというものがある。
私はそれを、大士の部屋に設置した。
あとは、彼に計画を話させ、それを陛下に届け出る。
そうすれば、彼の陰謀は明らかになり、陛下も大精霊の封印などという暴挙はやめてくれるはずだ。
そこまで準備をしたにも関わらず、私は最後まで愚か者だった。
最後に、大士を説得したい。きっとこんな愚行に走ったのには、何か理由が有るのだと。もし説得の末考えを改めてくれたなら、私も彼の計画を明らかにする必要などないと。
そう考えたのだ。
覚悟を決めて大士を問い詰めた私に、大士は考えを改めるどころか、彼に従うかどうか、選択を迫った。
私が拒むと、彼は一言、「では死ね」と言っただけだった。
側にいた側近は、私を嘲るように、笑っていた。
およそ20年、父と慕った男だった。
見守ってくれていると、兄のように思っていた側近だった。
私を支えていたものが崩れるのは、簡単だった。
その後私は、追われる身となった。
証拠集めのための例の霊術具も回収できず、私は着の身着のまま、精霊塔から逃げ出した。
本来なら国のため、陛下の命令で動くはずの騎士が、大士の命令で私を追っていると知った時、もうこの国はだめだと思った。
藁にもすがる思いで兄弟たちを訪ねたが、皆、大士の企みに気付いていて、追従しているか、諦めているかだった。
追われるうち、私は諦めてしまった。
もう、疲れた。ずっと、皆のためだと、期待に応えたいと思ってきたことは、全て無駄だった。
父と慕っていた男には裏の顔があり、自分は彼の息子でも、弟子でさえもなく、ただの使い捨ての駒だった。
もう、良いだろう。全ては勘違いだったわけだが、自分なりに、頑張った方だ。
もう、楽になりたい。
だから私は、精霊の森で、最期を迎えることにした。
最後の抵抗のつもりで自身に目眩ましの術をかけたが、それだって近づけば見破られる程度のものだ。
逃げ回って体力も使い果たし、空腹も限界。
たまたま見つけた美しい川のほとりを死に場所と決め、騎士に見つかるか、餓死するか、どちらとなるかわからないと思いつつ、そこで意識を失った。




