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10.初めまして



「…もう!元の世界に戻れるのか、聞こうと思ったのに…!」


恵麻はペシペシとしっぽを地面に叩きつけたが、すでにシェドは消えてしまった。

日が満ちる頃っていつなのか。明日の昼間?

よくわからないが、彼との対話はしばらくお預けとなってしまった。



「あの…ラナ?」

「えっ!あ、は、はい。」



恵麻は慌ててエストの方へ振り返る。

彼は戸惑ったようにこちらを見ていた。

当然だろう。猫だと思っていた相棒が人間で、しかも話せるようになったのだ。


しかしいざ話すとなると、何から話したら良いのか。

恵麻は言葉を探して視線を彷徨わせる。



大体、どうせ猫になっているからと、結構際どいことを色々してきたのだ。エストが服を洗濯している時は彼のあられもない姿を見てしまったし、手のひらを舐めたり、一緒に寝たり、抱っこは通常運転だったし、デコチューされたし、それに…



恵麻がもんもんと考えていると、エストがついに口を開いた。


「ラナ、えっと、初めまして、じゃないけど…。人の貴方と話すのは初めてだね。私はエスト・アーテナルド。改めて、よろしくね」

「う、うん。私は恵麻。葉月恵麻といいます。聞き慣れない名前だと思うし、これからもラナって呼んでもらっていいからね」

「でも、本当の名前はエマでしょう?」

「今更だし、エストに付けてもらえた名前も気に入ってるの」

「そう、かな?じゃあ…えっと、ラナ」


エストは一歩恵麻に近付くと、ゆっくりと問いかける。


「その…、先程大精霊様に願ったのは、私と話がしたいってことだったの?」

「え?うん、そうだよ。一緒にいるのに言葉が通じないのは、すごく不便じゃない」

「でも、ラナは…。その、これからも私と一緒にいてくれるの?大精霊様の庇護の下で生活した方が、色々と都合がいいかもしれないよ」


言われてみれば確かにそうだ。大精霊はすごい存在なのだし、彼のもとにいれば楽に生きられるかもしれない。シェド自身も、世話役の精霊をつけるとか言っていたし。

だが。


「ごめん…エストから離れるとか、考えもしなかった…」

「え」

「でもそうだよね。私が器だとか色々わかった今、エストが私と一緒に行動するのは難しいことなのかな。ごめんなさい、私、考えなしで…エストに迷惑かけること、考えてなかった」


恵麻がしょんぼりと俯くと、エストはがばりと恵麻を抱き上げた。

言葉は通じても体は猫のままなので、恵麻はいつも通り、エストの胸に収まる。


「え、エスト?」

「迷惑なんて一切ないよ。ラナが器だとかも、関係ない。ラナは私の唯一の相棒だもの。…私と一緒にいることを選んでくれて、ありがとう」

「にゃ…」


動揺してまた猫っぽい鳴き声が出てしまった。

言われてみて、恵麻は自分がエストから離れる気が全く、これっぽっちもなかったことに気付き、猛烈に恥ずかしくなる。


猫の姿で良かった。人間だったら今、恵麻の顔はゆでダコのように真っ赤だろう。



だって、いくら事情を聞いても、恵麻はまだシェドという存在を信用しきれていないのだ。彼は人智を超えた存在だ。突然いらないと言われて放り出されたり、気に入らないと言われて殺されたりだって、するかもしれない。

恵麻にとってこの世界で信用できるのは、現時点ではエストだけだ。



恵麻が考え込んでいると、はっと気付いたように慌てたエストが、胸に抱いていたゆっくりと恵麻を下ろした。


「…ごめん!ラナが人間で、しかも女性だってこと忘れて、つい…」

「えっ?あ、いや、全然平気だよ。体は猫なわけだし…気にしないで」

「…そう?」

「うん、エストが気にならないなら、今まで通り接してくれて良いから」

「…なら、良いんだけど…」 


エストは恵麻の中身が人間だということで、接し方を変えようとしてくれているようだ。

確かに猫のときは色々と過剰な触れ合いをしていたが、急に態度を改めるのも何だか照れくさい。抱っこくらいなら今まで通りで平気だ。



「…あの、この先私はどうしたら良いのかな?器って言われても、その時が来るまで健康でいればいいってこと?」

「私も正直なところ、はっきりとは分かっていないんだ。なにせ代替わりは数百年に一度…最後の代替わりは600年前だと言われていて、文献も古く殆ど残っていない。ほとんどおとぎ話みたいなものだったんだよ」

「そうなんだ…」

「でも、とにかくラナは、この国を左右する重要人物だ。身の安全は第一に考えたほうが良いんだけれど…」


エストはそこまで言って言いよどむ。


「…そういえば、エストは追われてこの森に来たんだよね。大士の企みって、何なの?」

「ああ、そうだよね。あの時私はラナを猫だと思っていたから、ちゃんと説明していなかったな」



気付けば周囲は日が落ちて薄暗い。

とにかく会話は落ち着ける場所を探してからとなり、恵麻は自慢の嗅覚を使って、狭いが一晩を過ごせそうな洞窟を探し出した。









「…それで、大士の企みという話だけれどね」


焚き火を囲んで落ち着いたところで、エストが話を切り出す。


「この国が精霊ありきだということは、先程説明した通りなんだけれど。最近ではそれを良しとしない人も増えているんだ。精霊頼みだと、何かが起きて精霊の力を借りられなくなったら、我々は終わりだっていう考えだね」

「確かに、そうだよね。私の生きていた世界でも大事なエネルギーがあって、それが足りなくなったらどうするんだっていう議論は常にあったよ」

「どこの世界でも、同じなんだね…。それで、以前から国王陛下もその考えをお持ちではあったんだ。幸い、精霊術以外の技術も多少は進歩してきていることがあり、そちらの発展に力を注ぐべきだって」


考えとしては正しい気がする。なにか一つに依存する、それも国家規模となれば、かなり危うい体制だ。新しい技術が有るならば、それに投資したくなるのはリーダーとして当然だろう。


「というか、この国って王政なのね」

「ああ、ラナはそれも知らないよね…。この世界に来てからはずっと、この森に?」

「そうなの。いきなり猫になってここにいたから、何も知らなくて…。でも、世の中の仕組み的なことは今度ゆっくり教えてもらえる?」

「そうだね。とりあえず今は、ラナの身に関わることだけ話すよ」


そう言うとエストは焚き火に新しい薪をくべ、話を続けた。


「陛下のお考えは正しいと、私も思う。私自身精霊士だし、精霊術は素晴らしいものだと思っているけれど、それだけに頼れる時代ではもう無いとも思っている。…でも、そんな陛下の考えに、今の大士がつけ込んだんだ」

「出た、大士。確か精霊士の一番偉い人だよね?」

「うん、そうだよ。彼は陛下に、大精霊を封印すべきだと言ったんだ」

「封印?」

「そう。詳細は私も知らないけれど、大士は古代の霊術具…精霊術の宿った道具みたいなものなのだけれど、それを用いれば大精霊自身を封印して、その力だけを好きなときに使えると言ったらしい」

「それって…シェドみたいな大精霊を捕まえて、力だけ利用できるってこと?」

「そういうことだね。そうすれば今後も精霊術は人間のものだし、コントロール下に置くことで急に使えなくなることもない。適度に使うことで新しい技術とも共存できると、そう主張したらしい」

「…さっきシェドに会った身としては、それはなかなか非人道的だと思うけれど」

「私もそう思うよ。でも陛下は、今後の国の行く末と人道を秤にかけたんだね。そしてその方法を選ぼうとしている」

「そんな…」


恵麻はこの世界のことを何も知らないし、シェドについては色々と腹立たしく思うところもあるが、あんなにはっきりと人格を持った存在を封印し力だけ利用するのは、やはり賛成できないと思った。



「でも、大士の狙いは本当は別にあったんだ」

「別?」

「うん。実際、もし本当に大精霊様を封印なんてしたら、この国の自然界が崩壊する。大精霊様の役目は本来、天候や大地や海が荒れ果てないよう治めることであって、人に精霊術を授けるのはオマケみたいなものだ。封印なんてしたら、自然災害が多発してこの国は終わりだよ」

「え…じゃあ、どうして大士は封印なんてしようとしてるの?」

「もし大士の持つ霊術具が本当に大精霊様の力だけを取り出せるのなら、自然災害を治めるのも、人に精霊術を授けるのも、大士にしかできないことになる。大士の狙いは、精霊の力を盾に、自分がこの国の最高権力者になることなんだ」

「はぇ…なんでそんな、面倒なことを…。大士は野心の塊なの?」

「私も彼が側近にこの話をしているのを聞くまで、全く気付いていなかったよ。…いや、気付かないように、していたのかな」


エストはそう言うと寂しそうに苦笑した。

エストは次期大士と言われていたらしいし、現大士との交流も深く、彼のことを信頼していたのかもしれない。


恵麻が気遣わしげにエストを見上げると、彼はふ、と微笑み、恵麻の頭を撫でた。



「…とにかく大士はそんな企みを抱えていて、陛下を口車に乗せようとしている。陛下が大士の言うことを信じたとしたら、まず襲撃されるのはシェドバーン様だ」

「どうしてシェドなの?」

「シェドバーン様は代替わりを控えて、力が弱まっている。封印するなら今が絶好のチャンスなんだ」


確かにシェドは、恵麻のお願いを叶えた後眠そうに消えてしまった。力が弱まっているというのは本当なのかも。


「そうすると、大士はこの森に来る?」

「そうだね。近いうちに来ると思う。猫の姿の恵麻を見て、器だと気付くことはまず無いとは思うけど、この森が戦火に巻き込まれる可能性はあるから…森を出たほうが、良い」

「そっか…」


この美しい森が戦いの場になるのは、ひどく悲しい。だからといって恵麻にはそれを止める術はない。エストの言うとおり、森を出て別の場所に潜伏すべきだろう。



そこまで考えて、恵麻はふと気付いた。


「ねぇ、エストはどうしてこの森に来たの?戦いの場になるって、分かってたんだよね?」

「…それは」


珍しくエストが言い淀んだので、恵麻は聞いてはいけないことを聞いたかな、と不安になった。でも、彼の行動の矛盾点は明らかにしたい。


「…幻滅しないで、ほしいんだけど」 

「うん?」

「大士はね、私の親代わりだった人なんだ」

「えっ」

「私は彼を尊敬していたし、父のように愛していた。その彼の企みを知ってショックを受けたし、その後親しくしていた人にも裏切られて、なんていうか、もう、どうでも良くなってしまったんだ」

「え…」

「これまで信じてきたものも、励んできた鍛錬も、全部嘘で、無駄だった。そう思ったら、自分の価値なんて何もないように思えて。しかも、私はこれまで、誰かに求められたことしかしてこなかったことに気付いたんだ。私自身の望みなんて、もうわからないくらいに」

「エスト…」


自分の人生とエストの人生を重ねるなんておこがましいが、それでも恵麻は、エストの気持ちが分かる気がした。

求められるまま、誰かのために自分を偽って頑張る。そうして得られる愛や称賛は、ひどく甘美で、そして虚しい。


「最初は、シェドバーン様に危険が迫っているとお伝えすべきだと思って、この森へ向かったんだ。でも、命すら狙われて追われるうちに、どうして私が足掻かなくてはならないのか、分からなくなった。もう全部嫌になって、力尽きて倒れていたときに、ラナに会ったんだよ」

「そっか、あの時」

「うん。ラナに助けられて、最初は、追手が来るまで楽しく過ごせればいいや、なんて思ってた。でも、ラナと過ごすうち、この森で暮らす君を危険に晒したくないと思うようになって…、それに、この国が自然災害に見舞われたら、ラナが安心して暮らせない。それで、シェドバーン様に会いに行くことにしたんだ。シェドバーン様なら、自身の身に危険が迫っていることを知っていれば、対応できると思って」


ようやく、エストの考えていたことが、少しだけど分かった。

出会った当初、エストは追われる身だという割に怯えも隠れもせず、日々を楽しんで生きていた。あれはもう、諦めていたからなのだ。それこそ余生を過ごすかのように、穏やかに。


それが突然、危険を顧みず大精霊に会いに行った。…恵麻を助けるために。


「…エスト、私を助けるために、シェドに会おうとしてくれたの?」 

「うん、まぁ、そうだね。今更なんだ、って思うけれど」


エストは恥ずかしそうに笑った。


「だって、私、ただの猫だったのに。器だとか、知らなかったのに?」

「さっきも言ったけれど、ラナが器だとか、関係ないよ。猫だってことも、関係なかった。ラナは私の、相棒でしょう?」

「エスト…」



エスト。彼は本当に、善良な人。

言い方は悪いが、たかが猫一匹のために、彼は世界を救う決断をしたのだ。

なんて良い人。良い人すぎる。



「エスト、ありがとう。おかげで私、自分に何が起きたのか知れたし、こうしてエストとも話せてる」

「お礼を言うのは私の方だよ。もう生きることを諦めていた私を、延命してくれたのは、ラナだ」


そんな大したこと、していない。恵麻がしたのは、一緒に過ごして、ご飯を食べて、時々ふざけて遊んで、一緒に眠った。それだけ。


それだけで、エストは危険を冒してくれたのだ。



「…それで、これからの事だけれど。シェドバーン様に、大士の企みを伝えなくてはいけない」

「そうだね。シェド、すぐ消えちゃったから…。日が満ちる頃っていつだろう?」

「とりあえず、明日、また今日と同じ場所に行ってみようか。ラナがいれば、きっと会ってくれるはず」

「だといいんだけど…」




たくさん話したからか、長い距離を歩いたからか、もっと色々話したかったけれど、ふたりとも体力が限界だった。


二人は明日に備え、洞窟で一夜を過ごした。




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