地味眼鏡が人気者と関わればやっかみも受ける
婚約が決まった次の日のこと。あと少しでクラスにたどり着くという廊下にて、私は女生徒三人組に囲まれてしまった。
私は今日から夏服にしたのだけど、彼女達も全員揃って半袖白ブラウスの夏服姿だ。しかし爽やかな装いにも関わらず、彼女らの表情にはどろりとした怒りがまとわりついていた。
ただならぬ空気に廊下を行き交う生徒たちが顔を引き攣らせたのがわかる。私はひとまず顔を上げて、彼女たちの剣呑な視線を受け止めた。
「貴方がベニート侯爵令嬢ね。単刀直入にお伺いしますけれど、カミロ様とご婚約なさったという噂はまことですの?」
ラボイ侯爵令嬢ベアトリス様が、重たい怒りを孕んだ瞳で私を睨みつける。綺麗に巻いた豪奢な金髪を背中に跳ね除けると、腕を組んでツンと顎を上げた。
すると両脇を固めていたルイシーナ様とメラニア様が、呼応したように目を釣り上げる。
「質問に答えなさいな」
「嘘をつくと承知しないわよ」
……はい、ええと。それは、こうなるわよね!
色々と大変すぎてすっかり忘れていたけど、アグスティン殿下と一悶着あってカミロに助けられた下りは、ばっちり他の生徒に見られていたのだ。しかも私は裏庭で気絶して、カミロに運ばれたりもした。
おそらく半日かけて噂が広まったのだろう。何せ『カミロ様』は学園中から憧れを集める存在で、数多のファンが存在する。
そしてこの三人がファンの筆頭たる存在であることを、私は一度目の人生の頃からよく知っていた。
「何か仰られては如何? 貴方みたいな地味な人、関わるだけで嫌気が差してきますの」
嫌悪を隠しもしないベアトリス様に、私はとても切ない気持ちになって眼鏡の奥の瞳を伏せた。
実を言うと、ベアトリス様と私は一度目の人生で友人同士の間柄だった。ルイシーナ様と、メラニア様も。
全く勉強をする気がなかった私たちはいつも一緒にいて、くだらないおしゃべりに花を咲かせていた。誰と誰が付き合っているとか、社交会を騒がせる禁断の恋とか、あの店のお菓子が綺麗だとか。
そして3人がいつも言っていたのは「カミロ様が素敵」だと言うこと。私はあまり美形を見て騒ぐ気持ちが分からなくて、いつも相槌を打つだけになっていたっけ。
何も考えずにただ楽しかった学園時代を過ごした私だけど、今思えばベアトリス様は他者を見下すところがあった。名家に生まれついた私たちは一番に尊ばれるべきで、何でも華やかに楽しむのが当たり前だと思っているようなところが。
本当なら今生でも仲良くなりたかったけれど、そんなことはベアトリス様の方から願い下げだろう。
「……いいえ。カミロ様と婚約だなんて、とんでもないことです」
私は声が上擦らないように注意しながら言った。今の私たちは友人ではないが、かつての友人に嘘をつくのはとても心苦しい思いがした。
するとベアトリス様は疑わしげに目を細めて、ますます私を睨みつけてくる。
「本当ですの? カミロ様がアグスティン殿下に宣言なさったと噂になっておりますのよ」
「それは昨日、私がアグスティン殿下のご不興を買ってしまい、通りがかったカミロ様が冗談を言って助けてくださっただけです。私のような者が釣り合うはずもないことは、ご理解頂けると思っております」
しばらくの間沈黙が降りた。その間私はずっとベアトリス様に睨まれ続けていて、嘘が見抜かれやしないかとヒヤヒヤしなければならなかった。
「ふ。確かに、貴方の仰る通りですわね」
ベアトリス様が小馬鹿にしたような笑みを投げつけてくる。ルイシーナ様とメラニア様に目配せをすれば、三人分のせせら笑いが重なって私を撫でた。
「こんなにパッとしない貴方がカミロ様と婚約なんてあり得ませんでしたわ。酷い言いがかりをしたわたくしを許していただける?」
「ええ、もちろんです」
「そう、良かったわ。それではごめんあそばせ」
三人は口の端を釣り上げたまま踵を返し、去って行った。
今生では彼女らと仲良くなれることはないのだろう。そう実感すれば鉛を飲み込んだような気になって、しばらくその場を動くことができなかった。
その後、噂は数日で沈静化した。どうやらベアトリス様は私が述べた内容を広めてくれたようで、聞いた者はすぐに納得して信じたらしい。
私はこの通りの外見だから、皆カミロと釣り合うわけがないと思ったのだろう。
圧倒的地味さがこんなところで役に立つとは。ああ、地味眼鏡にしていて本当に良かった。
そんな経緯があって思っていた以上にそのままの日常を送ることができたのだが、カミロは婚約を決めたときに言ったことを忘れていなかったらしい。
図書室で勉強をしていた私の前に、あの日の再現でもしたかのようにカミロが現れたのだ。
カミロもまた夏服姿になっている。暑がりなのか、夏になるとネクタイをしない主義らしい。
「レティシア、体調はどうだ?」
「もうすっかり元気よ。心配してくれてありがとう」
「そうか、良かった。……しかし、今日も勉強中か。どうやらレティシアに会いたければ、図書室に来るのが良さそうだ」
カミロは言うなり、何冊かの本を積み上げて斜め向かいの席に座った。
私は思わず周囲を見渡したがやはり私たち以外に人の姿はない。ホッとしてため息をつくと、カミロが突如として呪文を唱え始めたので驚いてしまった。
私達の周囲を薄青の膜が覆っていく。高度な結界の魔法によるものだと気付いた時には、四方を薄青に囲まれてしまっていた。
「これって……」
「立ち入り禁止の結界だ。これで俺たちの姿は見えないし、声も聞こえない。更にはここに近付く気も起きなくなる」
想像以上に高難度の魔法だったので、私はますます驚いて間抜け面を晒してしまった。
ここまでの効力を持つ魔法となると、恐らくは国中を探しても扱える者などそうはいないはずだ。学生の身で使いこなしてしまうだなんて聞いたことがない。
「いくら何でも凄すぎない? いいえ、ここまで強い魔法は悪用したら大変なことになるから、資格が必要なはずじゃ……!」
「ああそれがな、一度目の人生の記憶を取り戻しただろ? そしたら当時習得した魔法の記憶まで流れ込んできてさ。一気に上達してしまったんだ」
「ええっ……⁉︎」
つい上擦った声で叫んでしまい、慌てて口に手を当てる。
あ、でも、もう聞こえないんだったわね。
考えてみればカミロは一度目の人生で竜騎士になるほどの実力の持ち主だった。記憶を取り戻したのなら当時の実力が再現されても何らおかしな話ではない。
「そ、そんなことが……⁉︎」
「ああ、驚いたことにな。確かにこれは資格が必要な魔法だけど、悪用するわけじゃないし構わないだろ。年齢の条件満たしたらちゃんと資格取るしな」
飄々と言うカミロは、とんでもない現状に動じた気配すら見せない。
確かに彼の言う通り、不都合が起きるような事態ではないのかもしれないけど。でもやっぱり、つい数日前に記憶を取り戻したばかりなのにこの受け入れ様、器の違いを感じずにはいられない。
「実はこの前言ったことについて説明しようと思って、結界を張ったんだ」
「この前言ったことって……」
そういえばカミロは「婚約を伏せる理由について今度話す」と言っていたのだったか。
確かに表向きは関係がないことになっている私達なので、こうでもしないと話すことすら難しい。しかもその内容は、誰にも聞かれるわけにはいかない機密事項なのだから。
改めてカミロと目を合わせる。彼から私の目はよく見えていないはずなのに、ごく真剣な光を帯びた若草色がじっと見つめ返してくる。
「聞くわ。話してもらえるかしら」
カミロは遠い過去を見つめるように目を細め、ゆっくりと口を開いた。
「実はな。俺は一度目の人生で死ぬ瞬間、次の人生での君の幸せを願ったんだ。すると声が聞こえた。貴方が幸せにすればいい、とな。
気付いたら俺は、真っ白な空間で知らない女性と対峙していた。彼女は自らを時の女神と名乗った」
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