両親と親友と
急展開にも程があるカミロとのやりとりを終えて寮に帰ってくると、管理人室の窓から寮母のバルバラさんが顔を覗かせた。
みんなのお母さん的存在であるバルバラさんは、驚くべきことに女生徒全員の顔と名前を覚えている。なので私みたいな地味な生徒にすら、こうして気さくに声をかけてくれるのだ。
「ああ、レティシアちゃん! さっきあなたにベニート侯爵様から連絡があったわよ!」
「……やっぱり」
恰幅のいいお腹をエプロンに包んだバルバラさんは、私がげんなりした顔をするので不思議そうに首を傾げた。
「あら、どうしたの? 侯爵様はとっても機嫌が良さそうだったのに」
「いえ、何でもないんです……。ありがとう、バルバラさん」
父は少しの時間待機してくれているとのことで、仕方なく水晶玉が設置された会話室へと向かう。
部屋に入って水晶玉に話しかけると、すぐさま喜色に溢れた声が返ってきた。
『レティ! 久しぶりだね!』
「……はい。お久しぶりです、お父様」
『昨日の夜、セルバンテス公爵のご嫡男から連絡があったよ! 婚約の話だが、進めていいんだね?』
前置きすらなく本題に入ったあたり、どうやら完全に浮かれているらしい。
カミロが両親に連絡した時点では婚約のこの字も出ていなかった私たちだけど、先程の話し合いによって現在は合意に至っている。
色々と言いたいことがあるのを我慢して、私は水晶玉に向かって頷いた。
「はい。よろしくお願いします、お父様」
『ああ、もちろんだとも! そうか、あれほど結婚はしないと言っていたのになあ……よし、全て私に任せておきなさい!』
うう、この喜び様……恥ずかしい……!
ひねくれ娘が恋に目覚めるとはなんとめでたいと思われているに違いない。更には初志貫徹できなかった悔しさと気恥ずかしさが、今更のように肩の上にのしかかってくる。
耐え切れずに背を丸めていると、水晶玉から高く上擦ったような声が聞こえてきた。
『セルバンテス家のご嫡男と婚約ですって⁉︎ もう、どうして早く言ってくれなかったの!』
「お、お母様まで……!」
う、うううう! 恥ずかしいいいいい!
両親に婚約を全力で祝われる16歳。どれ程心配をかけていたのかを思い知らされたのも辛いし、にやにやと揶揄ってくる調子なのも辛すぎる。もうやめてえ!
『大丈夫よ、レティ。貴方が今まで何に怯えていたのか、私たちにはよくわからないけど……。昨日お話してくださった印象として、カミロ様はとても誠実な方だと思うわ』
「……そう思われますか?」
『ええ。だってね、アグスティン殿下との婚約を断ったことにもこれで納得が行きましたって言ったら、それは初耳ですって仰って。
本当にレティシアが自分の意思で断ったのかって、何度も確認なさっていたわ。すごく切実そうにね』
お母様はその時のことを思い返したのか、軽やかに声を弾ませた。
カミロはただ問答無用で退路を断とうとしたわけじゃなった。ちゃんと私の気持ちを推し測ろうとしてくれていたのね。
どうしよう。それを聞いたら、何だか嬉しい、かも。
『それに、貴方は私たちの愛情をたっぷり受けて育ったんだもの。だから、愛情あふれる家庭を築くことだってできるはずよ』
ね? と優しい声が聞こえて、父がそうだなと相槌を打つ。
そのやりとりに収まりきらないほどの慈愛を感じて、私は少しだけ泣きそうになった。
お父様、お母様。私、一度目の人生で、酷いことをしたの。
そのせいで二人は逮捕されてしまった。私はすぐに処刑されたからどうなったかわからないけれど、多分碌な目に遭わなかったはず。
今度こそ二人を酷い目に遭わせるわけにはいかない。幼い弟も。だからどんな騒動にも巻き込まれないように、一生結婚しないでおこうと思った。
勝手なことばかりしてきたのに、こんなに喜んでくれるだなんて。心配ばかりかける娘で、ごめんね……。
「……ありがとう。お父様、お母様」
喉の奥に力を入れたら変な声になってしまった。父も母も嬉しそうに笑うだけで、そのことを指摘したりはしなかった。
寮での夕飯を終えた私は、数少ない友人の部屋を訪れていた。
クラスメイトのアロンドラ・ベリス。世界的な魔法学の権威である、ベリス伯爵の孫だ。
そんな彼女もまた魔法の研究に余念がなく、寮の自室をすっかり研究室に改造してしまっている。授業以外ではなかなか部屋から出てこないため、話したい時は基本的に私から出向く必要があるのだ。
「ふむ。あのカミロ・セルバンテスと婚約か。まずはおめでとう、だな」
「あ、ありがとう……」
アロンドラが試験管から顔を上げて目を細めると、適当にくくりあげた薄桃色の髪がふわりと揺れた。
くたびれた黒いワンピースに、水色の目の下には寝不足由来のクマ。見た目への頓着のなさはなかなかのものだが、私は彼女が大変整った顔立ちであることを知っている。
偏屈すぎる性格を差し引いても、本当に心優しい女の子であることも。
「しかしあれだけ結婚しないと豪語していた君が、何の前触れもなく一番の有望株と婚約ときた。これはまた奇妙な話ではないか」
アロンドラはいかにも気難しい研究者然とした喋り方をする。幼い頃から祖父であるベリス博士の研究室に入り浸っていたら移ってしまったらしい。
「もしや、君が二度目の人生を生きていることと、何か関係があるのかね」
実のところ、私はアロンドラに時を遡ったことについて全て話してあるのだ。
一度目の人生では一切関わりのなかったベリス博士の孫。仲良くなったのは一年生の春、魔法学のグループワークがきっかけで、私たちは地味に隅っこで生きて行きたい者同士でよく気が合った。
そうして秋も過ぎた頃、アロンドラから時間について研究しているのだという話を聞いた私は、ついに一度目の人生について打ち明けることにした。
我ながら馬鹿なことをしたと思うけど、当時の私はたった一人で秘密を抱えていることに限界を感じ始めていた。
少しずつ前世の罪滅ぼしをしても、誰も見ていないし聞いていない。もしかして私は頭がおかしいのではないかと、漠然とした自問自答に苛まれるばかり。
アロンドラは表情ひとつ変えずに話を聞き、そして信じてくれた。
「面白い研究対象が現れたな」と言って楽しそうに笑って見せたこの親友に、どれほど救われたことだろう。
「ええ。一度目の人生には大いに関係があるわね」
「ふむ、聞かせてもらおうか」
静かに頷いたアロンドラに、私はこの二日間の経緯を語って聞かせた。
カミロと魔法の練習をしたところから、つい先ほど両親と話した下りまで。アロンドラは淡々とした態度で耳を傾け、最終的に腕を組んでため息をついて見せた。
「最初に確認するが、私が聞いて良い話だったのかな?」
「それは大丈夫。カミロにちゃんと確認したから」
カミロは婚約を公表しない方がいい理由があると言っていたが、その内容はまだ知らない。
それでも信頼するたった一人の親友には話しておきたかったから、別れ際に許可を取っておいたのだ。
ちなみにカミロは「全然構わないけど、今度その友達を紹介して欲しい」と言って笑っていた。今までレティシアを支えてくれた人に会いたいのだと。
何だかすごく真剣に、大切にしてくれているみたいに感じる。どうしてカミロは前世でも今世でもこんなに優しいのだろう。
「興味深いな。是非ともカミロ殿の一度目の人生について聞きたいところだ」
「あ、やっぱりそう思う?」
「ああ。もしかしたら時間逆行の原因が見つかるかもしれないのでね」
アロンドラはいつも冷静で、殆ど無表情を崩さない。けれど今の彼女は微かな笑みを浮かべてさえいるのだから、よほど興味をそそられたのだろう。
時間逆行の原因は確かに気になる。私は子供の頃から徐々に前世の記憶を思い出してきたのだが、そこに特別なきっかけは何もなかったのだ。
「しかしレティシア、君は大丈夫なのかね? たった二日で随分と状況が変わってしまった様だが」
凪いだ光を宿した水色の瞳に、友を案ずる心遣いが表れている。
私はアロンドラの優しさが嬉しくて言葉を詰まらせたが、やがてゆっくりと頷いた。
「大丈夫。びっくりはしたけれど」
「……君がそう言うなら、良いのだがね。しかしレティシア、人生とは自分のためにこそ存在するのだよ」
これは彼女の持論だ。人生は自分のためにある。だからアロンドラは大好きな魔法の研究に人生を捧げる気でいるわけで、その結果人々を救うことになってもさほどの興味はないのだと言う。
「私は一度目の人生で、充分自分のために尽くしたわ。だから今回はもう良いのよ」
「だから一度目の人生での恩義を返すために、カミロ殿との婚約を受け入れるのか?」
それはあまりにも的を射た指摘だった。
確かに贖罪の気持ちが全くないと言えば嘘になる。私はただカミロに恩返しがしたかったから、この婚約を受け入れたのだろうか。
「いいえ、向き合いたいと思ったの。それだけが理由とは言えないけれど……そう思ったことは、嘘じゃないわ」
自分でも気付いていなかった本音が転がり出てきたことに、私は瞠目した。
……そっか。多分私は、カミロのことを何も知らない。だから知りたいって、思ったんだわ。
「そうか。それなら、良いのではないかな」
「うん。心配してくれてありがとう、アロンドラ」
親友の笑みは、優しかった。
アロンドラがいてくれて良かった。私は感謝をこめて、力強く頷いて見せたのだった。