私は馬鹿が嫌いだ。〈アグスティン〉
私は馬鹿が嫌いだ。
王太子として生まれついた私——アグスティン・セベ・オルギンは、幼い頃から次期国王としてありとあらゆる事柄を叩き込まれてきた。
魔法、剣術、政治、教養、マナー、帝王学……その全てに食らい付いて、結果を出してきた。
そうして今や現国王よりも優秀とまで言われるようになったのだから、当然周りに置く人間だって選ぶ必要がある。
一学年下の弟は優秀だがあまり魔法が得意ではないし、父親譲りのお人好しを見ていると苛立ってくるから却下。
従兄弟のカミロは何もかも気が合わない上に、考え無しの馬鹿なので論外。
自身の損得ばかり考えているクラスメイトの男子生徒も。
私の顔と地位を目当てに秋波を送ってくる女どもも。
片っ端からあまりにも無能で、腹が立ってくる。
簡単すぎる授業にも嫌気が差していたある日、珍しい出来事が起こった。
父王の忠臣であるベニート侯爵の娘と婚約話が出ていたのに、それがなくなったと言うのだ。
ベニート侯爵令嬢レティシアは、2年生でも毎回10番以内に入るほどの才媛らしい。数少ない高位貴族の娘でそこまで優秀な者は珍しいから、そんな女なら婚約者として認めてやってもいいかと思っていたというのに。
この私との婚約を断っただと?
久しぶりに心の底から苛立ちが湧いてくる感覚を覚えて、私は水晶玉の向こうの父に低い声で問いかけた。
「父上、なぜ断られたのですか」
『ふむ……どうやら、ベニート侯の娘が乗り気ではなかったようでな。私には務まらないと言っていたそうだ』
ありふれた建前だが、王族から持ちかけた婚約を断るなどあり得ない話だ。
臣下に舐められている。この事態はひとえに気弱で日和見主義の父上のせいではないのか。
「……承知いたしました。父上におかれましては、お元気でお過ごしになられますよう」
父上に名を呼ばれた気がしたが、私は問答無用で通話を終わらせた。
明日、娘の顔を拝みに行ってやろう。なぜそこまで不敬な行動を取れたのか、直接問い正してやるのだ。
「あ……は、はい。レティシア・べニートと申します」
廊下で見つけたベニート侯爵令嬢レティシアは、いかにも地味で垢抜けない女だった。
恐怖したように口元を引き攣らせた様に、言いようのない苛立ちを感じる。
「お前のような冴えない女が、この私の婚約者となる栄誉を断るとはな。馬鹿にしているのか?」
吐き捨てるように言うと、レティシアはますます身を縮めた。
何なんだ、無闇に怯えおって。普通なら私に声をかけられた女は舞い上がるようにして喜ぶものだぞ。
しかもその分厚く巨大な眼鏡はなんだ。目の色どころか、顔の造作すらよく見えぬではないか。
「お前、眼鏡のせいで顔が良く見えんな。不敬であるぞ」
「え……」
レティシアは顔を青ざめさせていたが、だからと言って撤回する気はない。
不敬なのはもちろんだが、私はこの時、何故だか彼女の素顔が見たいと思った。
王太子の婚約者という、この国で最も尊い女になれる権利を手放す理由がどこにあるのか。
一体なぜ私の妻になることを拒むのか、目を見て話がしたいと思ったのだ。
「眼鏡を取れ。そして断った理由を偽りなく述べよ」
「アグスティン、あまり俺のレティシアをいじめないでくれ」
その時のことだった。横合いから現れたカミロがレティシアを抱きすくめ、明らかな怒りを宿した瞳で私を睨みつけてきたのは。
昔から気が合わない、大嫌いな一つ下の従兄弟。
この学園でもほとんど関わらなかったはずの男がわざわざ威嚇しにきたことに、私は率直な驚きを覚えた。
「カミロ様……」
しかしレティシアが安堵したように奴の名を呼んだことには、またしても妙な苛立ちを感じた。
カミロに会うと安心するくせに、私のことは怖がるのか?
「カミロ。今、俺のと言ったのか?」
「ああ。昨日からレティシアは俺の婚約者になったんだ」
「つまり、私との婚約を断ったのは、お前がいたからだと?」
「そういうこと。レティシアは俺のものだから、アグスティンにはあげない。……絶対にだ」
この男が現れた時点である程度想像のついていた答えを得たはずなのに、気分は少しも晴れなかった。
目の前で見せつけるようにレティシアを抱きしめるカミロ。
つまり私は、恋人たちの仲を邪魔するとんだ悪者だったというわけか。
何だそれは。こんなに地味でまともに答えも返せないような女、そもそもこちらから願い下げだ。
ただ理由を聞いただけなのに勝手に敵視しおって……カミロめ、なんて目をしている。まるで親の仇でも見るような、苛烈で殺気に満ちた目だ。
不愉快な奴。この男のこういう単細胞なところが昔から大嫌いなんだ。
「……ふん。馬鹿馬鹿しい」
私は短く吐き捨ててその場を後にした。
馬鹿な連中が付き合おうが別れようが、未来の国王である私の知ったことではない。どうでもいい。
……どうでもいい、はずだ。
こんなにイライラするのもカミロに喧嘩を売られたから。ただ、それだけだ。