学園の人気者がぐいぐい来る ②
確かに王妃にさえならなければ両親が逮捕されることはないと思う。
私は家族と自身の平穏を望んでいる。だからこそ、一つだけ抱いた夢も諦めた。
ただ一度目の人生を悔い改めながら、一人で静かに、賢く生きていきたいだけ。
それなのにカミロと婚約なんてしたら、私のガリ勉地味眼鏡計画は一瞬にして崩れ去る。
彼のファンには恨まれ、ファンではない者には好奇の目で見られ、悪い意味で時の人として祭り上げられるだろう。
「あんな地味な女があのカミロ様と?」という罵倒と疑惑に晒される私……ああ、簡単に想像がつくわ。
「……どうして、私なの?」
それに、何よりも。カミロはどうして、私なんかがいいって言うのかしら。
前世の私はそれはそれは酷いものだった。殿下を振り向かせるためにたくさん悪いことをして、いつしか周りに誰もいなくなっていた。
見捨てなかったのは両親とカミロだけ。
そして私はそんな優しいカミロに、知らぬこととはいえ残酷な仕打ちばかりをしてきたんだわ。
「貴方が私を、す、好きだと言うのが、本当だとして……それなら私は、貴方に酷いことを沢山したじゃない」
殿下が振り向いてくれなくて悲しいと、いつも愚痴を聞いてもらった。
殿下へのプレゼントをどうしたらいいか、何度も相談に乗ってもらった。
私はいつもいつも、カミロに殿下の話ばかりして。
それでも彼は「海を見にいこう」って、言ってくれるような人だった。
「レティシア。手、握ってもいいか」
唐突すぎる申し出に呆然となった私は、カミロがそっと手を握るのを見ていることしかできなかった。
前世とは違ってペンだこの目立つ私の手を、剣の鍛錬で硬くなった掌が包み込む。その温かさは安堵をもたらすようでいて、私の心臓を忙しなくさせた。
「まあ確かに、前世の君はなかなか酷いものだったと思うけど」
「う」
小さく呻いた私に、カミロは楽しげに笑う。
「仕方がない。それでも好きなんだから」
そう言って目を細めたカミロが、どう見たって愛おしいものを見つめる時の顔をしていたので。
私はたまらなくなった。喜びではなく、罪悪感で押しつぶされそうになったからだ。
ごめん、カミロ。ごめんね。
でも、彼はきっと謝られることなんて望んでない。私は愚かだっただけで、カミロを傷つけようとしたわけじゃないんだもの。
私が楽になるためだけに、謝ることなんてしてはいけないわよね。
「……わかったわ。まずは貴方と向き合ってみようと思う」
「本当か⁉︎」
決意を持って頷くと、若草色が驚きのあまり丸くなった。
「俺、もっと怒られるのを覚悟してたんだぜ」
私は呆れ混じりの苦笑をこぼす。
自分から退路を断っておいてその反応はおかしいと思うのだけど、カミロも強引な手段に出た自覚があったってことね。
「カミロなら良いかなって思ったの。だから……婚約の話、お受けします」
そうは言っても、これはあくまでも婚約なのだ。今すぐ結婚するわけじゃない。
カミロは一度目の人生の時から私のことを好きだったと言うけど、中々に趣味が悪いと思う。今の私だって残念な仕上がりなんだから、一緒にいるうちに幻滅して気が変わるかもしれない。
それまでは彼と向き合ったってバチは当たらないはずだ。
最終的に婚約破棄に至ったとしても、私はもともと結婚する気がなかったから構わないもの。
カミロには絶対に幸せになって欲しい。
一度目の人生で唯一、最後まで友達でいてくれた人だから……。
「レティシア!」
「きゃ……⁉︎」
感極まったみたいに名前を呼んだカミロによって、私は力一杯抱きしめられることになった。
制服越しに伝わる体温のせいで、またしても心臓がうるさく鼓動を始める。ああ、カミロがこの音に気付きませんように。
「ありがとう、レティシア。君のことは俺が絶対に守るから。今度こそ、絶対に……!」
低い声が掠れて、震えている。今度こそという言葉に前世での後悔が滲んでいるように聞こえたのは、私の気のせいだったのだろうか。
そういえばカミロは、私が死んだ後にどんな人生を歩んだのだろう。
やっぱり結婚したのかしら。子供が産まれて、老後まで幸せな人生を全うして……?
「だからそのままの君で、眼鏡をかけたままでいてくれ。婚約はしばらく伏せよう」
「え?」
「伏せた方がいい理由があるんだ。それについては今度、レティシアがもっと元気な時に話すから」
「……えっ⁉︎」
私は現実逃避を兼ねた物思いに耽っていたので、予想外の提案に間の抜けた声を返してしまった。
え、本当に? 婚約っていうのは両家合意のもと成り立つものだから、普通は公表されるはずなのに。
「まだガリ勉地味眼鏡でいていいの⁉︎」
「……いや、うん。俺は今、レティシアがガリ勉地味眼鏡を自称していることにだいぶ驚いているんだけどさ」
カミロは苦笑しながら私を解放した。目を合わせた時の若草色は相変わらず優しくて、私は前世で友人だったカミロと目の前のカミロが徐々に重なっていくのを感じた。
「いいよ、どんなレティシアだって。目立ちたくないんだろ? 伏せていられるのは長くて卒業までだけど、それでもいいか」
「もちろんよ……! ありがとう、カミロ。私、やりたいことがあるから、すごく嬉しいわ」
実のところ、私はボランティア部に所属している。
入部した理由は前世の罪滅ぼしをするためだった。
偽善と傲慢に満ちた動機だと分かっていたけれど、やらないよりはいいと思って始めた活動。最近は随分と慣れてきて、やりがいを感じ始めている。
今ここで王族のカミロと婚約発表なんてしたら、とてもじゃないけど今まで通りの生活は送れないだろう。だから彼の申し出は私にとってとても嬉しいものだった。
「そんなに喜ばれると少々傷つくな……可愛いからいいけど」
「え? ごめんなさい、なんて?」
カミロが小声で何か言ったけど聞き取れなかった。
なんでもないと笑った彼は、また私の手を取ったかと思うと、今度は指の中ほどに唇を押し当てて見せる。
熱く柔らかい感触が頭まで伝わるのにしばしの時間を要した。遅れて頬を真っ赤に染め上げた私を見て、カミロは満足げに口の端を上げたみたいだった。
「そもそも、君の素顔は俺だけが知っていればいい。……そうだろ? レティシア」
ねえ、貴方ってこんな人だったの?
外堀を埋められ、絆されて、明らかに良いように翻弄されている。けれどそれを嫌だと思わない自分がいることに、私はまだ気付いていなかった。