コミックス1巻&書籍2巻発売記念小話 アロンドラの文化祭 後
それはもう大変な騒ぎだった。女生徒達の目は明らかにハートマークへと変貌を遂げ、我先にと客席へ走り出す。
いや今、調理場担当まで駆け出して行ったのだが。休憩スペースに残ったのはレティシアと私だけという、散々な有様になっているぞ。
「エリアス様とカミロが来た、ということで間違いないみたいね……」
レティシアは苦笑しているが、私は戦慄していた。
エリアス殿下。揶揄うことに楽しみを見出して絡んでくる、私が最も苦手とする類の人間だ。
こんな格好をしているところを見られたら、一体何を言われることか。
私はパーテーションの陰からそっとホールを確認した。エリアス殿下とカミロ殿は既に席について、女子生徒の群れに囲まれている。
「大人気ね、二人とも」
隣で同じようにホールを伺うレティシアは、婚約者殿の人気ぶりにも動じた様子がない。
「出たくない……」
「そうは言っても、どんどんお客様がいらしてるわ。私ももう調理場に行かないと」
「う、うう……」
レティシアは真面目で、時に無情だ。パーテーションの間から外へと出ていく背中に従って、私も観念してホールに出た。
そうだ、エリアス殿下は女生徒に囲まれているのだから、私のことなど視界にも入らないだろう。
きっとレティシアの勇姿を見に来たカミロ殿の付き添いであり、エリアス殿下自身に目的はないはず。
三人組の女性客に呼ばれたのでテーブルへ向かう。愛想笑いはできなかったが、ともかく役割は果たさなければならない。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
「チョコレートパンケーキと、ホットコーヒーを三つずつ」
「チョコレートパンケーキとホットコーヒーが三つずつですね。かしこまりました」
伝票に注文を書き込んで礼を取る。注文を調理場へと伝え、歩き出してすぐに別のテーブルに水が出ていないことを発見して対処にあたる。
そうして、エリアス殿下のテーブルの前を横切ろうとした時のことだった。エリアス殿下とカミロ殿に夢中の女子生徒と、水を運搬中の私が思い切り衝突したのである。
「きゃああ! 何するのよ!」
そして運が悪いことに、大量の水が降りかかったのは、私ではなく女子生徒の方だった。見慣れない人物なので他クラスの生徒だと思うが、それにしても顔を赤くしてすっかり怒っているようだ。
「酷いわ、冷たいじゃない! どうしてくれるのよ!」
ざわざわとホールの空気が揺れて、注目が集まるのを感じた。
彼女はおそらく水をかけられたことよりも、エリアス殿下とカミロ殿の前で恥をかかされたことに怒っているのだろう。
いきなり動いたのは彼女の方だが、それでも私ももう少し気をつけるべきだった。
「申し訳なかった、大丈夫かね。すぐに拭くものを持ってくる」
「あなた、本当に悪いと思ってるの⁉︎ せっかくお洒落してたのに!」
言われてみれば、彼女は綺麗に化粧をしており、髪型も編み込みを使用した可愛らしいものになっている。
文化祭やその他行事になると女子が気合を入れて化粧をするあれだ。やはり、私は悪いことをしたらしい。
「ちょっと、何とか言いなさいよ!」
カッとなった彼女が手を伸ばしてきた。
ああ、いつもこうだ。
私はあまり表情が変わらないし、一般的な感性になかなか同調できないため、行く先々で諍いを起こしてしまう。
仕方がない。今回は水をかけてしまった私にも落ち度はある。とにかく謝って、怒りが収まるのを待つしかーー。
「駄目だよ。落ち着いて」
やけに低い声と共に現れたのは、誰かの広い背中だった。
違う、誰かではない。これは……エリアス殿下だ。
「僕は見ていたよ。君は周囲を見ないまま動き出して、アロンドラ嬢にぶつかった。水を被ったのは気の毒だけど、そんなに怒るものじゃない」
まただ。私はまた、エリアス殿下に助けられているのだ。
何でいつもこうなる。私のことなど放っておけばいいのに。
「エ、エリアス様……あ、わ、私は……」
エリアス殿下の背中に隠れたままになるのは不本意だったので、あえて一歩横にずれてみる。
先ほどはあんなに真っ赤にいなっていたはずの女子生徒は、今や真っ青になっていた。
「むしろ君は、忙しいウエイトレスさんに難癖をつけるタチの悪いクレーマーみたいだよ。もう少し自覚したらどうなのかな」
これはキツいぞ。エリアス殿下、鉄壁の王子様スマイルで凄まじい威圧感ではないか。正義感がなせる技ということか。
「お、おい、エリアス。流石に言い過ぎだぞ」
カミロ殿がやってきて、エリアス殿下の肩を叩いた。
「ああ、カミロ。悪いけど彼女の服、乾かしてもらえるかな」
「へ? そりゃまあ、いいけどさ」
カミロ殿は困惑しきりで、エリアス殿下の憤りを珍しがっている様だった。
しかし女子が濡れたままで放っておくようなことをするはずもなく、カミロ殿は楽な調子で呪文を唱えると、たちまち女子生徒の服を乾かしてしまった。
「あ、ありがとうございます……!」
「俺は別に。それより、アロンドラ嬢にちゃんと謝りなよ」
カミロ殿に促された彼女は、冷静さを取り戻した様子で私の方に向くと、気まずそうに頭を下げた。
「ごめん、なさい。私が悪かったわ」
「……いや、私も水をかけてしまい申し訳なかった。許してほしい」
なんだかんだで丸く収まっているのだが、これはもしかして、エリアス殿下にヒセラ嬢の一件以来の借りを作ってしまったのではないだろうか。カミロ殿にまで手間をかけさせて、私は一体何をしているんだ。
流れるように綺麗な一連の出来事に呆然とする私は、ふとエリアス殿下と目を合わせた。
「僕はホットコーヒーとチョコレートパフェがいいな。二つ結びのウエイトレスさん」
「……!!!」
ーーそうだ。そうだった!
最悪だ。私は今、羞恥心が限界突破するような服装を強いられていたのだった……!
「か、かしこまりました、お客様!」
「あはは。楽しみにしてるよ」
エリアス殿下の軽やかな笑い声も耳に入らず、私は調理場へと駆け出した。
中ではレティシアが心配そうに迎え入れてくれた。
しかし屈辱に震える私は立ち直ることができず、そのあとは懇願して持ち場を交代してもらうのだった。
【アロンドラの文化祭 完】