学園の人気者がぐいぐい来る ①
ここからは完全な新エピソードとなります。
お楽しみいただけましたら幸いです!
「昨日のうちに遠方会話魔法を使ってベニート侯爵に連絡したんだ」
このアラーニャ学園は全寮制なのだが、魔法を使えば離れた人とも会話をすることができる。専用の水晶玉に向かって語りかけるという手法で、各寮に配備されているものの、私は魔法が苦手なのでまだできない。
多分カミロくらいになると自分の水晶玉を持っているはずだ。
「……カミロが父に? なんて連絡したの」
私はものすごく嫌な予感がして、恐る恐る問いかけた。
「レティシアと結婚を前提にしたお付き合いをしたいですって。そうしたらベニート侯爵は、アグスティン殿下との婚約を断ったのはそのせいだったのかって仰ってな。早く言えば良いのにって、嬉しそうになさってたぞ」
「話が早すぎるわよ‼︎!」
何それ! ねえだから、何それぇ⁉︎
うちの父はとても評価の高い政治家で大臣職を務めているのだけれど、愛娘のこととなると途端にポンコツと化す。
嫁ぐ気がないと豪語する娘に恋人ができたとあっては、さぞ歓喜したに違いない。
お父様、それは早とちりってものです。
確かにカミロは「お付き合いをしたい」と言っただけみたいだから、嘘はついていなかったかもしれないけど、同意の上の話じゃないのよ。
ましてや婚約とか、そんな話になんて全然なっていないんだってば!
「どうしてそんなことしたのよっ!」
私は混乱を感じるままに叫んだ。
おかしい。彼はもっとこう、それこそ冒険小説の主人公のような、裏表のない爽やかな性格だったはず。
こんな風に相手の退路を塞ぎ、囲い込むようなことをする人じゃなかった……わよね?
「さっき言っただろ。愛しているから結婚しようって」
また伸びてきた腕に囚われて、若草色の瞳に至近距離から見つめられてしまう。
カミロが嘘なんてついていないことは、そのまっすぐな輝きを見ればすぐにわかった。
誠実な言葉に促されて、先程の口付けについて思い出してしまった私は、混乱を極めた頭が爆発するのを遠くで感じた。
ああ、一体何が起きているのかしら。
私はただ、ガリ勉地味眼鏡になって、一度目の人生の贖罪をして生きていきたかっただけなのに。
カミロは、友達でしょう? 王城で孤独に過ごす私を唯一気遣ってくれた、大切な友達。
駄目だわ。
何だか、意識が、遠く……。
*
王城の中を意味もなく散歩していた私は、カミロと出くわして顔を緩めた。
勤務中なのだろう。竜騎士の臙脂色の制服は、赤い髪を持つカミロによく似合う。
「カミロ、お疲れ様」
「レティシア妃殿下、本日もご機嫌麗しく」
「やだわ、そんなに仰々しくしないで。カミロったら変よ」
いつもの砕けた態度を知っているから、私は彼の気さくな冗談に気鬱を晴らして笑った。カミロもまた悪戯っぽく笑って、私たちの足は自然と中庭に向いた。
緑に囲まれていると気持ちがいい。
それはカミロも同じみたいで、いつしか二人で話すときはよく中庭に来るようになった。
ここなら人目もあるし、忍んで会っているだなんて噂になることもないからだ。
「アグスティン殿下とヒセラ様は、今朝方から転移魔法で海にお出かけになったの」
そうしていくつかの世間話をした私は、何かの流れで今朝悲しい出来事が起こったことをぽろりとこぼしてしまった。
ヒセラ様というのは、夫であるアグスティン殿下の公然の愛人だ。
学園に通っていた頃、殿下と私の婚約が決まった後に転入してきた男爵令嬢。庶子として育った彼女はその美しさに似合わず気さくで、笑顔が愛らしくて、アグスティン殿下と恋仲になるのに時間はかからなかった。
殿下はもともと私のことが気に食わなかったみたいだし、当然の成り行きだったのだと思う。
「何だって? あいつら、また君に当てつけるようなことを……!」
カミロは眉を釣り上げて語気を荒げた。アグスティン殿下とヒセラ様の振る舞いに怒る人なんて、近頃はもう両親とカミロくらいなものだ。
「当てつけ、なのかしら。ただ愛し合っているだけみたいに見えるわ。少なくとも、私には」
寂しいのを誤魔化すように笑うと、カミロは痛ましいものを見るように目を細めた。これ以上彼を心配させないように、私は何でもない風を装って明るく自虐する。
「私、世間知らずだから海なんて見たことすらないわ。カミロはあるの?」
「一応、任務でな」
「まあ、いいわね! 羨ましいわ。どんなだった?」
カミロは思い出すように虚空を眺めると、やがて目を合わせて微笑んで見せた。
「まずはとにかく広いんだ。水平線ってわかるか? 世界の半分が海で切り取られているみたいに一直線に広がっててさ。深い青が抜けるようで、水面はキラキラしてて。規則的に、ゆっくりと波が打ち寄せてくる」
「わあ……きっと綺麗なんでしょうね」
いいな。行ってみたいなあ。
けれど私は公務でもない限り意味もなく王城を出られない。護衛の近衛騎士から侍女まで、大勢の人間を引き連れなければならないからだ。
「よし、レティシア。それなら俺が君に海を見せてやるよ」
思わぬ提案に、私は思わず目を瞬かせた。
「カミロが連れて行ってくれるの?」
「ああ、竜の背に乗ればひとっ飛びだ。悪くない話だろ?」
カミロは軽快に笑っていて、さも当然のように計画を語った。私は夫に置いて行かれたことをひと時だけ忘れ、高揚を抑えきれずに歓声を上げた。
「素敵ね! あなたと一緒ならきっと楽しいわ!」
王太子妃と王弟の息子が連れ立って海になんて行けるわけがない。
それはカミロだって当然わかっているから、これは私の心を慰めるための彼の冗談だ。
それでも私はカミロが語る未来が現実になることを夢見た。
彼の温かい心遣いが嬉しかった。
まだ見ぬ海を心の中で描けば本当に共に訪れたような気分になって、私は軽やかに笑うのだった。
*
目を開けると、心配そうに細められた若草色の瞳が私を覗き込んでいた。夢の中よりも幾分か幼い顔に、私は微かな混乱を覚えて目を瞬く。
「レティシア……! 良かった、目を覚ましたんだな!」
目を合わせるなりカミロは安堵のため息をついた。簡素なベッドの周りを囲むアイボリーのカーテンを見るに、どうやら私は気を失って保健室へと運び込まれたらしい。
「いきなり気絶するから驚いた。先生は寝不足のせいだって言ってたけど、俺が驚かせたからだよな……。ごめん、レティシア」
カミロが見るからに沈痛な面持ちで言うので、私は倒れる前の出来事を反芻して赤面してしまった。
色々とびっくりしすぎておかしくなってるのかしら。いきなりキスだなんてもっと怒ってもいいはずなのに、不思議と怒りは湧いてこない。
紳士の振る舞いとしてどうかとは思うけど。テスト勉強で寝不足だったのは間違いないし、気絶したこと自体はカミロのせいじゃない。
ひとまず首を横に振ると、カミロは少し目を丸くして、やがて安堵したように微笑んだ。
「……貴方がここまで運んでくれたの?」
「ああ、もちろん。運ぶときには眼鏡もちゃんとかけさせておいたから」
眼鏡という単語に、私は急速に意識がはっきりしていくのを感じた。
そうだわ、たしかカミロに眼鏡を外されたんだっけ。今は着けていないみたいだけど、私の相棒はどこに?
「はい、眼鏡な」
「あ……! ありがとう、カミロ!」
カミロは胸ポケットから眼鏡を取り出して手渡してくれた。傷一つないまま手の内に戻ってきた相棒に今日一番の安堵を得た私は、ため息をついてから眼鏡をかけ直した。
「随分大事にしてるんだな。王城にいた頃はかけてなかっただろ?」
「そう、伊達眼鏡よ。目の印象がぼやけるように魔法で作ってもらった特注品なの」
一度目の人生の記憶を完全に理解した頃、お父様に頼んで知り合いの魔道具師に作ってもらった逸品。
今やこれがないと落ち着かないほどで、もはや体の一部みたいに感じている。
「そんなに顔を隠したいのか?」
「もう目立ちたくないのよ。学園でも、卒業後も。王妃にもなりたくないし、今度の人生では両親に迷惑をかけるわけにはいかないもの」
「ふうん。まあ俺としては、眼鏡姿の方が安心するけど……」
カミロは何か考えている様子でぶつぶつと呟くと、やがて晴れやかな笑顔を浮かべて見せた。
嬉しそうというか、言質を取ったと言わんばかりに堂々とした笑みだ。
「レティシアは侯爵夫妻に迷惑をかけたくないんだな」
「ええ、そうだけど」
「それじゃ、俺と結婚したって構わないだろ?」
……んん?
うん、ちょっと待って頂きたい。
そうだわ、婚約の話よ。まだ私は全然納得していないし、状況だって理解できていない。
「だってこの貴族社会で結婚しないだなんて、それ自体が親からすればとんでもないことだろ。だったら俺と婚約して、安心して貰えばいいじゃないか」
どうしよう。
ものすごい急展開に追いつけないのに、カミロの言い分が正論すぎて言い返せない。