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落涙と決意

 あの後、私はすぐに保健室に運び込まれた。

 本当は状況を説明するべきなのに、エリアス様とアロンドラが任せて欲しいと言ってくれたので、二人に甘えることにした。


 保健室の先生に診てもらったところ、傷は殆ど治っているとのこと。治癒魔法が使えるなんてすごいのねと感心されてしまい、私は苦笑を返すしかなかった。


 軽い手当を終えたところでリナ先生が様子を見に来てくれた。

 いくつか質問をされたくらいですぐに会話は終わった。学園を揺るがす大事件だからまた話をすることになるだろうけど、被害者という立場で認識されたのは間違いないようだ。


「大変でしたね。私が寮まで送りますから、しばらくはゆっくり休むと良いでしょう」


 リナ先生は気遣わしげながらも、傷付いた生徒を元気付けるように微笑んでくれた。

 私が心ここに在らずになっている理由は知らないはずなのに、何か感じ取るものがあったのかもしれない。




 リナ先生と共に寮まで帰り着くと寮母のバルバラさんが出て来て、やっぱり部屋まで送ってくれた。笑顔でお礼を言ったつもりだけど、成功していたかは自信がない。


 夜の帳が下りた自室はひっそりとして、冷えた空気で部屋の主を迎えた。ランプを点ける気力さえないまま眼鏡を外し、ベッドに座り込んだ私は、ふとベッドボードに置かれた緑色の塊に視線を奪われた。


 クサカバのぬいぐるみは動物園の帰りにカミロがプレゼントしてくれたものだ。あの時の幸せな記憶が、今は酷く遠い。

 私は平和な顔をしたぬいぐるみを腕の中に抱え込むと、全てを断ち切るように目を瞑って、ふわふわの生地に顔を埋めた。


「私、最低……」


 くぐもった囁きは、クサカバの背中に吸い込まれてゆく。


 カミロを傷付けてしまった。

 あんなに悲しそうな背中を呼び止めることができなかった。


 でも、呼び止めたとして何を言うべきだったんだろう。

 わからない。もう頭がぐちゃぐちゃで、胸がバラバラになりそうなくらい痛くて、何も考えられない。


 その時、小さなノックの音が鼓膜を打った。

 私はのろのろと顔を上げて、ぬいぐるみを抱いたままという情けない格好で、自室のドアを押し開ける。


 そこにはアロンドラが立っていた。目を合わせるなり少しだけ眉を顰めた友人に、私は小さく笑った。


「ベリス博士に怒られたんでしょう?」


「言っている場合か。……まあ、こってり絞られたのは、確かだがね」


 憮然としたアロンドラを招き入れて、勉強用の椅子に座ってもらう。私はランプを点けてから再度ベッドに腰掛けて、同じようにクサカバのぬいぐるみを腕に抱えた。


「レティシア、大丈夫かね?」


 何について問われたのかはすぐに分かった。

 私は誤魔化すように微笑んで、小さく頷いて見せる。


「大丈夫よ。アロンドラ、色々とありがとう。迷惑かけてごめんね」


「……レティシア」


 アロンドラは何かを堪えるように息を呑んだ。

 そして真っ直ぐに頭を下げる。薄桃色の髪がぴょんと揺れたのを、私は呆けたまま見つめていた。


「申し訳なかった。私が独断で動いたせいで、取り返しのつかないことになってしまった」


「え、ちょ、ちょっと、アロンドラ」


「何と謝れば良いのかわからないが、本当に、済まなかった……!」


 アロンドラがあまりにも苦しそうな声で言うものだから、私はものすごく慌ててしまった。クサカバを傍に置き、頭を下げたままのアロンドラの前で意味もなく右往左往する。


「アロンドラは私のことを考えてくれたんでしょう? 何にも悪いことなんてしていないじゃない! むしろ私が悪かったのよ。カミロのことだって、私がもっと向き合っていれば……」


 向き合って、いれば。

 ……上手く行ったとでも言うつもりなの、私は。


 向き合っていれば、カミロが抱えていたものに気付くことができたのだろうか。


 向き合っていれば、話してもらうことができたのだろうか。


 違う。だって私は今、自分でもわからなくなっているんだから。


「どうしよう、アロンドラ。私、カミロに、酷いことをしちゃった……」


 アロンドラがゆっくりと顔を上げる。その表情が霞んでよく見えないのはどうしてだろうと考えて、ようやく自分が泣いていることに気付く。


 私はもう一度ベッドに座って、クサカバをがむしゃらに抱きしめた。

 熱い雫が目の縁から盛り上がってきて、次々と零れ落ちては緑色の背中を濡らしていく。


「わ、私が、勝手に一人で、死んだりしたから。だから、カミロは。それなのに、私……カミロがそんなことするはずない、だなんて」


 喋るごとに喉が痛んで、聞き取りにくいほどひきつれた声しか出ない。アロンドラだってこうして責任を感じているというのに、身勝手にも胸の内を打ち明けずにはいられなかった。


 あの時のカミロは、どんな思いで私の言葉を聞いていたのだろう。

 何て酷い。私はカミロのことを何にも解っていなかった。本当の意味で解ろうとしていなかった。


 カミロが復讐に走ったのは私のせい。これは思い上がりでも何でもなくて、ずっと周囲を顧みようとしなかった私が産んだ、一度目の人生最後の罪なのだ。


「私、今はこんなに、勉強しているのに。どうして、いつも馬鹿みたいなことをしてしまうの」


 ぼろぼろと涙を溢しながら、抱えきれない懺悔を口にする。


 私は今、一度目の人生と同じ過ちを犯している。

 親しい人の苦しみに気付かなかった。アロンドラのこともそうだし、エリアス様がいなかったら同じ悲劇が繰り返されるところだった。

 これからもそうならないとは限らない。誰かと関わる限り、また同じようなことが起きるのかもしれない。


 だからこそ、私はずっとガリ勉地味眼鏡になりたかった。


 両親に迷惑をかけたくなかったから。もうこれ以上私の愚かさのせいで誰かを傷付けたくなかったから。

 だから閉じこもった。壁を作って、距離を取って、やりたいことに没頭する日々は心地が良かった。


「私……もう、カミロと一緒にいない方が良いのかなぁ……?」


 地味に慎ましく、閉ざされた世界でひっそりと生きていけるのなら。

 もしかすると、誰にとってもその方が——。


「レティシア、どうか聞いて欲しい」


 理知的な声が聞こえてきたので顔を上げると、いつの間にかアロンドラが目の前にいた。どうやらコロのついた椅子で移動してきたらしい。

 私は涙で重くなった睫毛を上下させた。ランプのオレンジ色の灯火の中、親友の瞳は真っ直ぐだった。


「私は、レティシアと出会えて幸せだったよ」


 そうしてアロンドラは、小さな笑顔と共に、陽だまりのように優しい言葉をくれた。


「これも君がガリ勉になってくれなければ有り得なかった縁だ。今となっては不謹慎だが、時が遡ってくれて良かったと、心から思う」


 ……そうだわ。魔法学のグループワーク同じ班になったのは、勉強が楽しくなってきた私がアロンドラと話をしてみたくて、ひっそりと希望したからだったのよね。


 一度目の人生での私達は、クラスは同じでも殆ど話したことはなかった。アロンドラが私のことをどう思っていたのかはわからないけれど、私は彼女のことを優秀な子という印象でしか覚えていない。


「君が友達になってくれたから、この学園での生活は本当に楽しかった」


 アロンドラが懐からハンカチを取り出して、私の顔をがしがしと拭く。


 違うの、アロンドラ。私が、私こそが、貴女が友達になってくれたから、楽しかったの。


「どうか人との出会いを否定するようなことを言わないでくれ。それとも、君は私からも離れて行きたいのかね?」


 アロンドラと、離れる?


 そんな、そんなの。


「離れたくないよぉ……!」


 答えなんて考えるまでもなくて、私は子供みたいに泣いた。アロンドラがあまりにも優しいから、止まらなかった。


 そうだ、私は何を言っているんだろう。親友にこんなことを言わせて、それこそ馬鹿みたいではないか。


 私が全部手放せば解決するなんて、そんな考え方は間違っている。それでは私と関わろうとしてくれる人達を全部否定することになってしまう。


「アロンドラ、ごめんねええ!」


「構わない。レティシアは何も悪くないだろう」


 無礼ついでにアロンドラの渡してくれたハンカチで遠慮なく涙を拭う。ぐしょぐしょになってしまったから、後で洗濯して返さないと。


 何度もしゃくりあげて、深呼吸をしているうちに、だんだんと涙が収まってきた。

 ようやく膜が消えた視界では、アロンドラがいつも通りの無表情でこちらを窺っている。


「レティシア、君はどうしたい?」


 そういえば、以前アロンドラが言っていた。

 人生は自分のためにこそあるんだ、って。


 誰かを傷つけないために壁を作ることが間違いなら、これから私は、私のために選ばなければならないのだ。


 じっくりと考えるべきなのかもしれない。

 それなのに心の中には自然と答えが浮かんでくるのだから、私は笑って立ち上がるしかなかった。


 せっかくの二度目の人生だもの。大切な人たちを守るのは一番大事なことだけど、私だって自分のために何かを望んでもいいんだ。


 気合を入れるためにクサカバのほっぺを揉んでベッドの上に置く。机の上に置いてあった眼鏡はヒビが入っていたけど、構わずに装着してアロンドラの方へと向き直ると案の定心強い笑顔が返ってきた。


「私、行ってくる!」


「ああ、行っておいで」


 背中を押された私は部屋を出て走り出す。


 今度こそ。カミロに全部、伝えに行こう。

 今まで言えなかったこと、全部。


 全部全部、言ってみせる!


 衝動に突き動かされるようにして走り、人もまばらな寮の中を抜けて外へ。

 どうやら夕食時もそろそろ終わりがけのようだ。外に人気はないし、食堂から聞こえてくる喧騒も遠い。


 まずは寮に行ってみよう。居なければ学校中を探せばいい。


 男子寮は女子寮から学校を挟んで反対側にある。当然入居者以外は立ち入り禁止だけど、今回ばかりは無視をする。


 いつもは意識しない距離感でも走るとなると勝手が違った。あっという間に息は上がり、足に力が入らなくなってくる。

 それでも最短距離を抜けて、そろそろ寮の門が見えてくるかというところで——。


 残念ながら、私は予想外の出会いを果たしてしまった。


 暗闇に革靴の足音が響く。


 黄金色の髪と、驚いたように見開かれたサファイアブルーの瞳。

 すっかり暗くなった中、校舎入り口の外灯に照らし出されたのは、呆れるほどに見覚えのある人物だった。


「ベニート侯爵令嬢……」


 えっと、何だかアグスティン殿下に声を掛けられたのですが。

 気のせいということにして、通り過ぎても良いでしょうか……。


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― 新着の感想 ―
[一言] そうだ。土下座して謝るしかない。 そして…空気読めねぇな馬鹿殿様
2021/08/29 13:25 退会済み
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[一言] アロンドラとレティシア、お互いに今が幸せなんですねぇ。本当の友達がいるって、感謝しかないな。 あぁ〜せっかくレティシアがカミロに会いに行ったのに、カミロ!まさに今、愛情センサーで気づくべき時…
[一言] おい殿下…邪魔! まああのままだとカミロと入れ違いになったかもしれないから、ある意味役にたったか?
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