一度目の人生は変えられない〈カミロ〉
罪が白日の下に晒された犯罪者って、こういう心境なんだな。
外はすっかり暗くなっているが、自室の出窓に座ってどれくらいの時間が経ったのだろう。どうやって帰って来たのかすら思い出せない。
昼に軽く食べたきり何も食べていないのに、内臓が消え去ったのかと思うくらい食欲が湧いてこないのも不思議だ。
よく見たらマルディークのユニフォームを着たまんま。いい加減にシャワーでも浴びて着替えるべきだ。分かっているのに、どうしても体が動かない。
別れ際のレティの様子を思い出すと、全身が竦むようだ。
もともと白い肌が紙のように白くなって怖い程だった。一度目の人生で牢屋にいた時ですら、あんなに絶望した表情はしていなかったはずなのに。
俺だ。俺が傷付けてしまった。
『カミロが、そんなことするはずないじゃない!』
あんなに信頼してくれていたのに。俺がレティを裏切って、傷付けたんだ。
きっともう二度と笑いかけてはもらえないだろう。
あの愛おしい笑顔は見ることすら叶わない。
これからは彼女を守ることも、好きだと伝えることも、もうできなくなるのだ。
黒い渦の中に放り込まれたみたいだった。思考がまともに働かなくて、息苦しさだけが胸を突いた。
怖い。レティと再び会うのが、どうしようもなく怖い。
もしあの薔薇色の目が、侮蔑と恐怖に濁っていたら……俺は、正気でいられるだろうか。
「酷い顔だね、カミロ」
誰も居ないはずの空間から声が発したので、本気で幻聴を聞いたのかと思った。
しかしその正体は、正真正銘本物のエリアスだった。
「やあ。ノックしても返事がないから勝手に入らせて貰ったよ。鍵くらいかけた方がいいんじゃないかな」
エリアスは迷いのない動作でランプをつけた。その途端に微笑む顔が灯火に浮かび上がり、俺はますます困惑した。
「エリアス、お前……何で……」
「何でって、文句を言いにきたんだよ。君がさっさと帰ってしまったせいで、先生方に事情を説明するのが大変だった。どうしてくれるんだい」
恨みがましい台詞の割にエリアスの口調は軽やかだった。断りもなくベッドに腰掛けて、何気ない動作で足を組んで見せる。
嘘みたいにいつも通りだ。まるで先程の出来事なんて、全部夢だったのかと思うほどに。
「いや、それは……その、悪かった」
「うん、いいよ。アロンドラ嬢も僕と同じ苦労をしたんだから、今度謝っておいてよね」
俺は思わず頷いてしまったのだが、ようやく動き始めた思考回路のせいで、血の気が引いていくのを感じていた。
「お前、何でそんなに普通なんだ……⁉︎ 俺は、お前の……!」
——お前の兄上を、殺したんだぞ。
喉が鉛のようになって、言葉の続きが出てこない。
ヒセラ嬢の口から真実が飛び出た瞬間から、エリアスは戸惑いつつも、どこか悟ったような目をしていた。
そりゃそうだよな。レティが傷付けられたからって理性を飛ばすような奴、何をやらかしていたって不思議じゃない。
「……まあ確かに、君の容赦の無さにはちょっと引いたけど」
引いてたのかよ。笑顔で引いてたのかよ。
「僕の知り得ない一度目の人生での出来事、だしね。君は同じことが起きないように頑張っていたんだから、それで良いんじゃないかな」
何だよそれ。寛大すぎるだろ。
エリアス、俺は嘘をついてたんだ。それは何もアグスティンのことだけじゃない。わかるだろう?
「そんなに簡単に許すな。俺は……お前に、大事なことを黙っていた」
喋るたびにカラカラになった喉が痛む。濁った目でエリアスのサファイアブルーを見返すと、穏やかな笑みがその顔に浮かんだ。
「恐らく、記憶が戻るためのもう一つの条件は『時間が遡った時点で死んでいること』だと思われる。……そうだろう?」
「……ああ」
エリアスの言う通りだ。最後の条件は「俺より先に死んだ者のみ」の可能性が最も高いと考えられる。
記憶が戻ったエリアスとヒセラ嬢、そして戻らなかったルナ嬢。一番わかりやすい相違点は、時間が遡った瞬間……つまり俺よりも先に死んだかそうじゃなかったかという点だ。
今のところ記憶が戻った人数が少なすぎて、まだ断言はできないけど、かなり信憑性の高い考察なのではないかと思う。
「本当に済まなかった。お前が手を貸してくれたのに、俺は不誠実だった」
四人で話し合った段階で、俺はその可能性に気付いていた。
でも、言えなかった。死んだ時期をみんなに伝えたら、どうしてそんなに早く死んだのかを追及されるに決まっているからだ。
俺は本当に、卑怯者だ。
「……アロンドラ嬢はね、一人でヒセラ嬢を捕まえようとしたんだってさ」
落ち込んでいるところを別の話題が始まったので、俺はゆっくりと顔を上げた。
やっぱりエリアスはいつものように微笑んでいる。
「王太子妃なんてごめんだけど、レティシア嬢には言いたくなかったんだって。それでヒセラ嬢と戦おうとしたところにレティシア嬢が飛び出してきて、怪我をしたってことみたいだよ。まったく、二人とも勇敢すぎるよね」
「そうだったのか……」
そういえばレティに真実を知られたことが衝撃的過ぎて、あんな状況に至った経緯は知らないままになっていたっけ。
二人とも凄いな。本当にお互いが大事なんだ。
「人間なんだから、誰だって言いたくないことの一つや二つあるものさ。僕にだって君に言っていないことくらい、いくつか思いつくしね」
悪戯っぽく笑うエリアス。この第二王子が裏で大変な努力をしているのは俺にとってはよく知った話だけど、まだまだ底が知れないようだ。
「嘘をつかない人間も、過ちを犯さない人間もいないよ。取り返しのつかない何かが起きたなら話は別だけど、幸いにして時が遡るという奇跡により、いくらでもやり直せる状況だ。
許すか許さないかは第三者には関係ないし、本人同士が決めればいい。僕はそう思う」
当然のことを語っているかのような口調に、俺は知らずのうちに込めていた肩の力を抜いた。
ああ、本当に。
俺は友人に恵まれたんだな。
文句を言いに来ただなんて言ってたけど、どう見たって心配して来てくれたんじゃないか。
「……エリアス、ありがとう」
大きな男だなと、改めて思う。
今でこそ聡明で心優しい王子だと評判のエリアスだけど、昔はそうじゃなかった。
周囲の大人たちの評価と言えば、何でもできる長男と何をやらせても兄には敵わない次男、そんな感じだったな。
無責任な評判に俺はよく憤っていたけど、エリアスはいつも微笑んで、腐ったりせずに努力していた。寝る間も惜しんで勉強して、魔力が少ない代わりに体術と剣術に打ち込んだ。
魔法なしで手合わせすると、俺もちょいちょい負けるくらいだからな。本当に凄いんだ。
エリアスは他人に評価されない苦しさを知っている。だから誰にでも優しくなれるんだろう。
「それにレティシア嬢は、君を嫌いになったりはしていないと思う。落ち着いたら話してごらんよ」
とは言っても、この優しさは正直胸が痛いけど。
「無理だ。レティに拒絶されたら生きていけない……」
「君が言うと洒落にならないんだけどね」
出窓の上で片膝を抱え込むと、呆れたようなため息が聞こえた。