暴発 ②
その場にいる全ての者が言葉を失っていた。私が何も言えなかったのは、ヒセラ様の発言があまりにも理解を超えたものだったからだ。
カミロが、ヒセラ様とアグスティン殿下を、殺した? 一度目の人生で?
何それ。どういうこと? 殺した、って……。
そんな、はず。
——そんなはず、ないじゃない!
「嘘を言うのはやめて……」
絞り出した声が震えていた。あまりの怒りに周囲が見えなくなって、アロンドラが制止するのも構わずに、私はよろめきながらも立ち上がった。
「酷い嘘を言うのはやめて! カミロが、そんなことするはずないじゃない!」
この怒りが一度目の人生の記憶があると認めることになるのも、全く気にならなかった。
カミロを貶められたことが許せなかった。彼のことを守りたかった。
「誰が信じると思ったの? カミロは、優しい人よ。誰にも侮辱なんてさせないわ!」
私が叫んだ言葉の全てが、彼をずたずたに傷付けているとも知らずに。
「それ以上変なこと言ったら、許さないから……!」
言い切った時にはすっかり息が上がっていた。誰かにこれほど怒ったのは、一度目の人生から数えても初めてだったと思う。
私の荒い息遣いだけが静かな中庭に溶けていった。アロンドラが慌てて立ち上がって怪我をしていない方の腕を引く。傷に響くからよせって言われたような気がしたけど、頭で理解するには及ばなくて、じっとヒセラ様を睨みつける。
私の様子に何を思ったのだろう。特に心を動かされた様子もなく微笑んだままのヒセラ様は、あろうことか小さく吹き出して見せた。
多分彼女は負けを認めていて、だからこそ容赦がなかった。
「あは、傑作。今回の人生では、いいお仲間ができて良かったわね?」
「いい加減に——」
「ああ、いいのいいの、押し問答するのめんどくさいから。ねえ、恋人のことを信じるのは勝手だけどさ……そいつの顔、見てみなさいよ」
言われてようやく、私はカミロすらも視界に入っていなかったことに気がついた。
顔を見てみろってどういうこと。その言葉の意味もわからないまま、私はすぐ隣、いつの間にか立ち上がっていたカミロを見上げる。
そこには、悪魔にでも出会ったみたいに真っ青になった顔があった。
私とまったく目を合わせてくれない。少し斜め下を向いたまま、影になった若草色の瞳が泥のように濁っている。
「……カミロ?」
どうして。どうして、そんな顔をするの。
「どうしたの……? もしかして、どこか、怪我、したとか」
ようやく絞り出した声は無様に掠れていた。
話しかけているのに、何一つとして反応が返ってこない。おかしい。カミロはいつだって、私の話を笑顔で聞いてくれたはずなのに。
「あはは、本当傑作! そんなにすぐ人を信じちゃって、ばっかみたい! 人間なんて、何にも信用なんかできな——」
「少し黙っていてくれるかな」
エリアス様が俊敏な動きを見せ、ヒセラ様の首に手刀を浴びせた。がくりと倒れて動かなくなった魔女の姿に何の感慨も抱くことができず、私はただカミロを見つめていた。
私はもしかして、とても愚かな思い違いをしていたのだろうか。
そういえば、あの時。ルナに記憶が戻らなかったことを受けて、初めて四人で会議をした時のことだ。
一度目の記憶について推測を重ねるうち、エリアス様がこんなことを言った。
『ねえカミロ。君のおかげで時間が遡ったってことは、君が記憶に関しての軸になっている可能性もあるよね』
それに対してアロンドラも頷いて、
『それは十分にあり得ますな。カミロ殿、何か心当たりはないのか?』
『そうだね。一度目の人生について、詳しく聞かせてくれると嬉しいんだけど』
興味津々の二人に対し、カミロは一瞬だけ気まずそうな顔をしたのだ。
その時の私は「恋人がいたからかな」と思った。だから私に対して申し訳なくて、そんな顔をしたんだろうって。
『……えっと、そうだな。別に、変わったことは何も起きていないよ。竜騎士として生きて、竜騎士として死んだ。それだけだ』
『ふうん。戦場で死んだのかい?』
『まあ、そんなところさ』
過去を語る苦笑が青ざめていたことに、多分みんな気付いていた。
だからなんとなくそれ以上踏み入ることができなかった。戦場での死を思い起こさせるものでもないと思ったし、カミロに一度目の人生から恋人がいなかったって知った後も、そのまま忘れていた。
それに何より、先程のカミロの行動。ヒセラ様に斬りかかった彼の目は、明らかに敵を屠る時の殺気を宿していた。
「カミロ……嘘よね……?」
私は今、どんな言葉を叫んだのだったか。
カミロがそんなことするはず無い、と。その行いが最低最悪であるという価値観そのままに、心の内をぶちまけた。
きっと嘘だ。
どうか違うと言って。
いいえ、全部が夢だったのかも。
今この瞬間に時が遡ってほしい。
私は身勝手な願いを抱いて、若草色の瞳を必死で見つめる。
「ごめん、レティ」
帰ってきた答えは、残酷だった。
足場が崩れて地に落ちていくような感覚がして、頭の中が真っ白になる。
「ヒセラ嬢の言ったことは本当だ。俺は復讐のために二人を殺して、その後すぐに近衛騎士に討ち取られた」
アロンドラが小さく息を呑んで、エリアス様が視界の端で目を細めるのが見えた。
カミロは小さく微笑んでいた。まるで全部を諦めたように。
「レティが無事で良かった」
ねえカミロ。
お願いだから、そんなに悲しそうに笑わないで。
叫び出したい気持ちがするのに、胸が絞り上げられたような痛みに苛まれていて、私は何一つとして言葉にすることができなかった。
これ以上何を言っても、カミロを傷付けてしまいそうで。
何も、言えなかった。
囁くようなため息を落として、カミロがそっと背を向ける。
遠ざかる背中を誰かが呼び止めることはなく、私は崩れ落ちないようにするだけで精一杯だった。
——カミロのことが知りたい。
そんな動機で、私はこの婚約を受け入れた。
この数ヶ月で少しは彼のことを知れたのかなって、今の今までは思っていた。
なんて愚かな思い上がりだろう。
私は何も分かっていなかった。カミロがどれほどの想いで愛してると言ったのか、少しも理解していなかったのに。
「こらー! 君たち、何をしているんですかー!」
焦ったような声の持ち主はリナ先生で、渡り廊下の向こうから猛然と走ってくるところだった。
私たちはそれでも動くことができなかった。重たい衝撃が支配した中庭で、リナ先生が到着するまでの間、ただその場に立ち尽くしていた。
シリアス回は早く抜け出るように頑張ります!
最終回まであと少し、是非最後まで是非お付き合いください。