たった一人の〈アロンドラ〉
この物語もそろそろ佳境となって参りました。
最後まで是非お付き合いくださいませ!
私は友達がいない。
それについて悩んだことは特に無かった。両親とお祖父様はいつも心配していたけれど、魔法学の研究ができるならそれで良かった。
しかし私のこの姿勢が、周囲に煙たがられる様になったのはいつのことだっただろう。
「君はベリス博士の孫なんだろ? こんなグループワークくらい、君が研究結果を適当にまとめてくれたらすぐ終わるじゃないか」
「ああ、それ名案だな」
「そうよねえ。アロンドラ様、お願いできるかしら?」
魔法学のグループワークが始まり、私を含めて六人の生徒が同じテーブルに着いている。
同じ班になった生徒たちは運のないことにやる気がなくて、初回から全部私に押し付けようとする有様だ。
「君たちはもう少し物事をよく考えるべきではないか」
だから思ったことをそのまま言った。すると軽薄な見た目をした男子生徒が、剣呑に眉を顰めて見せる。
「……何だって?」
「私の研究は新一年生が扱うようなものではない。ずるしたことを大声で宣伝する結果になっても良いなら、私がまとめて差し上げるがね」
正直その方が早いし、別に構わないが。
そう思っていたら彼は不服そうな唸り声をあげた。どうやら私の言い分が正しいことを理解して、仕事を押し付けるのを諦めたらしい。
「はっ、学園きっての天才様は余裕だね。だけどそうやって周囲を見下すのはやめたほうがいいと思うけどな」
そして私の心に深々と突き刺さるような言葉を投げつけてきた。
別に見下したつもりはない。私はただ、人付き合いというものが苦手なだけ。
どうせ理解されないし、されたいとも思わない。
ただこうして誤解されるのは、何度も繰り返してきたこととはいえ慣れるものではなかった。
私はテーブルの下で両の拳を握りしめる。
澄み渡るような声が聞こえてきたのは、その時のことだった。
「まずは落ち着きましょう。これはグループワークなのですから、いかに協力できるかというところも評価の内ですよ」
一瞬誰が喋ったのか分からなかった。全員が視線を彷徨わせて、最終的に一人の女生徒に行き着く。
黒髪をおさげにして、目の色が確認できないほどの瓶底眼鏡をかけた女の子。今まではあまり喋らなかったはずだが、発言してみればやけに傾聴を促すような声をしている。
「デリオ様、皆さんも、魔法学が苦手なんですか? もしそうなら私が皆さんの分まで仕事をしますので、一人に押し付ける様なことはやめて頂けませんか」
先程から絡んできていた男子生徒はデリオという名前だったのか。いかんせんおさげの子の名前もわからない。
「べ、別に苦手ってわけじゃないけど。なあ?」
「ああ、得意でもないけどさ」
「え、ええ、できないわけじゃないわ」
おさげの女性徒は、何の嫌味もなくただ淡々と申し出ただけだ。
それでも苦手かと言われると頷きたくないのがプライドの高い人間の心理であり、彼らはあっさりと否定に走った。
「では協力していただけますよね。これはグループワークの授業ですもの」
「まあ、一応……」
デリオとやらが困惑気味に頷く。もしかするとあっさりと丸め込まれてしまった自分に驚いているのかもしれない。
「アロンドラ様、貴女とご一緒できるなんて嬉しいです。頑張りましょうね」
眼鏡に隠れた瞳は見えなくとも、口元が優しげな笑みを示している。
ああ、そうか。信じがたいことではあるが、この子は私を庇ってくれたのか。
私は彼女の名前すらも知らないというのに。
この時、私は生まれて初めて誰かに対して恥ずかしいと思った。
勉学における無知を恥じたことは何度もある。それでも人に対してそう思ったことは、今まで一度もなかったのだ。
「……すまないが、君の名前を聞いても良いだろうか」
申し訳ない気持ちを押し殺してやっとの思いで言うと、彼女はますます微笑んだ。
「レティシア・ベニートです。よろしくね」
その後、話が合うことに気付いた私たちはよく喋る様になった。
レティシアは優しく聡明で、地味な見た目の割に明るい性格の持ち主だった。
「アロンドラはとっても良い子なのに、端的な物言いと人見知りが玉に瑕よね」
食堂にて昼食を取りながらずばずばと指摘してくる友人のことを、疎ましいと思う事はない。
むしろ新鮮で楽しかった。私のためを思って言ってくれているのがわかるから、嬉しかった。
「わざとやっているわけではないぞ」
「だから勿体無いのよ。だって、誤解されて……グループワークの時みたいに、変に突っかかってくる人もいるし」
憤りを押し殺すような低い声で言うレティシアの瞳は、眼鏡の奥に隠れてどんな色をしているのかわからない。
レティシアは部活にも入っているし、彼女しか友人のいない私とは根本的に違う。
しかし何故か人に対して壁を作るところがあった。
いや、壁と言うよりも、見えない線を引いていると言うべきか。一応は普通に接してくれているようだったが、何となく目立たないように、あまり人と関わらない様に心がけているように見えるのだ。
もしかすると彼女は何か大きなものを抱えているのかもしれない。
そんな疑惑が解消されたのは、私の部屋に遊びに来たレティシアが、二度目の人生を生きているのだと告白した時のことだった。
「……信じてくれる?」
眼鏡を取った顔を初めて見た。そうか、君の目は薔薇色だったんだな。
「信じる。辻褄が合うと言うこともあるが、レティシアの言うことだから、信じる」
「アロンドラ……」
「面白い研究対象が現れたな。せいぜい協力してくれ」
にやりと笑って見せると、反対に目に涙を滲ませたレティシアに抱きつかれてしまった。
母親にしがみつく子供のように言葉はなく、力の入った腕が震えていた。
ぽんぽんと、優しく背中を叩いてやる。
時間を逆行した原理は一切不明であり、研究とは言っても解明するあてなどどこにもない。
それでも、私はただ良かったと思った。
一度目の人生でそんなにも辛い目に遭ったのなら、二度目の人生はせめて平穏でありますように。
王太子なんかに関わらなくていい。好きなことをしたらいい。
もう一度目の人生のことなんか忘れて、幸せになればいいんだ。
君は私のたった一人の友達。友達に幸せになってほしいと願うのは、当たり前のことだろう?
そして時は過ぎ、二年生の初夏のことだ。
「あ、あの、実はね。色々あって、カミロ・セルバンテス様と婚約することになったの……」
私の部屋を訪ねてきたレティシアが頬を染めて言う。
よくよく話を聞いてみると随分と状況が動いたことがわかった。しかしその内容よりも、私は婚約の一報に安堵ばかりを覚えて密かにため息をついた。
ああ、良かった。レティシアのことを見てくれていた人が、ちゃんといたんだな。
カミロ殿は中々見る目がある。
レティシアは私みたいな偏屈女を庇ってくれた。友達になってくれた。皆が知らないだけで、可愛らしくて聡明で、本当に思いやりのある優しい子なんだ。
一度目の人生で自分のために尽くしたから、今回はもういいのだと言っていたレティシア。
しかし本人の意思に反して、婚約が決まってからの彼女はずっと幸せそうだった。
今までどこか自分を押さえ込んでいたところがあったが、それも徐々に無くなってきたようだ。
本当に良かったと思う。クズ王太子なんか比べ物にならないほど、カミロ殿はレティシアを幸せにしてくれるはず。
だから言わない。
夏休みのうちに私が王太子殿下の婚約者候補になっていただなんて、優しいレティシアに言えるはずがない。
もし伝えたなら、きっと彼女は酷く気に病んでしまうだろう。友達を命の危険に晒すくらいならと、自分を危険に晒すような事さえするかもしれない。
それだけは絶対に駄目だ。自身の命がかかった問題だとしても、一人で何とかする必要がある。
考えた末、ヒセラ嬢を利用することにした。
エリアス殿下曰く、王太子とヒセラ嬢は今生ではあまり上手く行っていないらしい。
つまりヒセラ嬢が一度目の人生でレティシアを利用していたことはほぼ間違いない。二度目の人生でも、きっと王太子の婚約者を利用しようとするはずだ。
婚約者候補の中で、どうやら学園にいるのは私だけ。
せっかく身近にいるのにアグスティン殿下に興味が無さそうな私に業を煮やし、何か仕掛けてくるかもしれない。
上手く防いで現行犯で拘束すれば、少なくとも大問題に発展するだろう。
仮とはいえ婚約者の恋人に危害を加えられたとなれば、例え相手が王太子であっても破談に持ち込むことができる。
私はヒセラ嬢が魔女であることをカミロ殿とエリアス殿下にも知らしめて、レティシアを護衛するべき状況を作り上げた。
王太子殿下の婚約者が私であるという事実は伏せる。エリアス殿下も知らなかったことに安堵しつつ、レティシアに張り付いて日々を過ごす。
これでヒセラ嬢は私に手が出せない。
そう、レティシアを護衛するついでに、実は自分こそが一人にならないようにしていたのだ。
そして今日、マルディーク部の練習試合のために寮も学校もガラ空きになったこの日。
ようやく迎え撃つ準備が整ったので、私はついに計画を実行に移すことにした。
*
よし、誰もいない。
ドアから顔だけ出して周囲を確認した私は、小さく頷いて自室を後にした。
大人気のマルディーク部のおかげで寮の人口は極限まで少なくなっている。ヒセラ嬢が仕掛けてくるのなら、今日ほど絶好の機会はないだろう。
意味もなく食堂に行ってコーヒーを飲み、談話室に行って新聞を広げる。
すると王室の公務の様子が掲載されていて、私は思わず眉を顰めた。
王太子妃なんて冗談じゃない。なったら最後、恐らくは殺されるというのもあるが、そもそも私はそんな重い立場が務まるような人間ではないのだ。
できることなら一生をかけて研究を続けていきたい。王室なんぞに嫁いだら、私の夢は粉微塵に砕け散ってしまうだろう。
……それにしても、来ないな。今更恐れをなしたのか? それとも、私の読み間違いか。
いや、ヒセラ嬢ほど強かな人間なら、きっと私を魔女の魔法を使ってどうにかしようとするはずだ。
勝手にアグスティン殿下を好きになり、良いように暴走してくれたレティシアのような人材。ヒセラ嬢は喉から手が出るほど欲しいに違いない。
私は小さくため息をつくと、新聞をしまって談話室を出た。
仕方なく学校の方に行って、不審がられない程度にうろついてみることにする。
しかし校舎に入って少し歩いたところで、面倒な人物に見つかってしまった。
「やあ、アロンドラ嬢。奇遇だね」
「エリアス殿下……」
私と同じく制服を着たエリアス殿下は、いつものようにキラキラしい笑みを浮かべていた。
レティシアを除けば唯一私に話しかけてくる酔狂なお方。彼もまた優しい人だと言えるのかもしれないが、絡んでくる動機は気まぐれが一番なのだろう。
……苦手だ、本当に。
私はこの方が努力家であることを知っている。何でもそつなくこなして、それを鼻にかけるような性格だったなら、もっと邪険にあしらうことができたのに。
「休日なのに登校かい? 練習試合は見に行かなかったんだね」
「それは、貴方もでは」
迷惑だと思っているのを隠す気すら起きずに、私は反射的に言葉を返す。
するとエリアス殿下の笑みが輝きを増したように見えた。
「近頃君の様子がおかしいこともあって、何となく胸騒ぎがしてね」
……おいおい。勘がいいにも程があるのではないか。
これはまずい。エリアス殿下と一緒にいたのでは、ヒセラ嬢は仕掛けたくても仕掛けられなくなってしまう。
何を言って躱せばいいんだ。今日はレティシアの助けは来ないというのに。
「私は至って普通ですが」
動揺のあまりサファイアブルーの目を見返すことができず、誤魔化すように歩き出した。
しかしエリアス殿下は私の態度に怒ることもなく、飄々とした笑みのまま後を付いてくる。
「そうかな。何かに悩んでいるように見えるけど?」
「悩んでいません。患ってもいません。問題ありません」
「ははっ、いい意味のないない尽くしだね」
これだけの冷たい対応にもめげないのか……!
どうすればいいんだ。事情を説明して一人にしてもらうしかないのか。
万事休すの心境に至った私だが、ふと視界に飛び込んできた赤いマークに天啓を得て、思わず足を止めた。
「アロンドラ嬢、どうしたんだい?」
不思議そうに首を傾げる無駄に整った顔を正面から見上げ、一息に述べてやる。
「私は今から花を摘んで参ります。まさか王子殿下ともあろうお方が、ドアの前で待つなどという下品な真似はなさいませんな」
エリアス殿下の目が点になったのを初めて見た。
私はガッツポーズを決めたいくらいの達成感を得て堂々と女子トイレに入った。ドアの閉まる音が響いた時、口の端に笑みが浮かぶのを止められなかった。
「……ふっ、残念だったな王子様。恨むなら自らの品のいい育ちを恨むがいい」
まったく、本当にいい迷惑だ。いつもいつも無意味に絡んできて、偏屈女を揶揄って。
私が疲れ切っているのを見て楽しんでいるのだ、あの方は。
小さな窓を勢い良く開け放つ。精一杯背伸びをして外を覗き込むと、ちょうど校舎と校舎の間に面しており、どうやら通り抜けると中庭に辿り着く様だった。
飛行の魔法を使いやっとの思いで外へと脱出する。エリアス殿下と遭遇しなければ不要な苦労だったと思うと、何だかイラッとする。
そうして辿り着いた中庭にて、持っていた本を手にベンチに腰掛けることたった数分。開いた本に影が差したので顔を上げると、そこには目当ての人物が立っていた。
「ご機嫌よう、アロンドラ様。お一人だなんて珍しいですね」
こんなに苦労したと言うのに、決戦の時は何の前触れもなくやってくるものらしい。
ヒセラ嬢はいかにも清純そうな笑みを浮かべて、いつものように制服を着てそこにいた。
「ご機嫌よう、ヒセラ嬢。話すのは初めてだったかな」
「ええ、そうですね。今日は貴女に用があって声を掛けさせて頂いたんです」
「ほう。用とは」
問いかけると、さくらんぼの唇が不気味な弧を描いた。
「アグスティン殿下の新しい婚約者候補さん。貴女にもっと頑張ってもらうには、どんな洗脳魔法がお似合いかしら」
「……洗脳魔法、かね」
「ええ。何がかかるかわからないから、全部順番にかけてあげるわ。その為にはまず、拘束しないとね」
しなやかな手が伸びてくるのと同時、ディープグリーンの瞳が黒く輝く。
そう、私はこの時を待っていたのだ。ヒセラ嬢が仕掛けてくる瞬間を。
だから当然対策をしてある。懐に武器は隠し持っているし、防御用の魔道具だって仕込んでおいた。
問題ない、私は一人でやれる。魔女なんて怖くも何ともない。
今度は私がレティシアを守るのだ。
「アロンドラっ!!!」
聴き慣れた声が耳朶を打ったのは、懐に忍ばせた魔道具を取り出しかけた時のことだった。
何者が現れたのかを頭で理解するよりも早く、目の前を黒い三つ編みが横切った。ヒセラ嬢の姿が右に流れ、もつれるようにして中庭の芝生に倒れ込む。
それと同時にヒセラ嬢の魔法が暴発したらしく、破裂音が鼓膜を震わせた。
強かに背中を打ったものの、然程の痛みは感じなかった。ヒビの入った眼鏡が落ちているのが見えて、私は慌てて地面に肘を突き、突進してきた人物の正体をその目に焼き付ける。
「レティシア……!」
レティシアは私を庇った姿勢のまま倒れ伏していた。酷い切り傷を負った腕を押さえ、弱々しい笑みを浮かべて。