知らなかった事実
初戦はあっさりと勝敗が決した練習試合だけど、続く次鋒からは手に汗握る激戦が続いた。
観客席はずっと興奮し通しで、私たちも必死で声援を送った。カミロも自陣からとても楽しそうに、声を上げて応援していたみたいだった。
最終的には大将戦までもつれ込み、十五分の制限時間ギリギリまで使った熱戦をニコラス様が制した瞬間、アラーニャ学園の勝利が決まったのである。
「いやあ、中々に見応えのある試合だったな! 駆け引きがあって面白い!」
熱気も冷めやらぬ中で出口に向かって歩き出した観客たちの中、部長の声もまた大きく弾んでいた。
ちなみにベアトリス様たち三人は、カミロがこちらに向かって手を振った瞬間に気絶して運び出された。大丈夫だったのかしら。
「そうねえ。みんな真剣に頑張っていたわねえ」
「中でもカミロ先輩ですよ! あんなにあっさり勝っちゃうなんて、想像もしませんでした!」
クルシタさんのおっとりとした口調に、ルナが興奮気味に両手で握り拳を作って見せる。
そう、カミロの活躍は凄かった。最初の暴発が何だったのかと思うくらい、たった数十秒の攻防で試合を制してしまったのだから。
簡単そうに見えたけど、そんなことはないのよね。一度目の人生の記憶を取り戻したおかげで実力がついているとは言っても、あそこまで強くなったこと自体はカミロの努力の結果なんだもの。
格好よかったな。カミロの活躍がチームの勝利に貢献したのは間違いない様で、ニコラス様たちも心から讃えているみたいだったし、何だか凄すぎて勿体無いと思うくらい。
本当に辞めてしまって良かったのかしら。カミロはもっと沢山の人に望まれているのに。
「確かに凄かったよね……。はあ、久しぶりに大声出したら眠くなってきた」
「テレンシオ先輩は開始前からずっと眠そうだったじゃないですか」
あくび混じりのテレンシオに、ルナが呆れたようなため息をつく。
ほのぼのとした遣り取りに小さく微笑んだ私は、ふと視線を流した先に珍しい人物を見つけて足を止めた。
競技場出入口に差し掛かったあたり、綺麗な白髪にシルクハットを被ったあの後ろ姿は——。
「あら、レティシアちゃん、どうしたのお?」
クルシタさんがいち早く気付いて首を傾げる。釣られるようにして全員が足を止めてくれたので、私は慌ててしまった。
「すみません。挨拶したい方がいらしたので、行ってきても良いですか?」
「ええ、もちろんよお」
私は先に帰って欲しい旨を伝えると、仲間の輪を離れてお目当ての人物へと近付いて行った。
「ベリス博士。大変ご無沙汰しております」
振り向いた顔は微かな驚きを示していた。私の顔を覚えていてくれたのか、すぐに穏やかな笑みが浮かぶ。
「おお、君はレティシア嬢だね。春休みに遊びに来てくれた時以来かな」
シルクハットを上げて応える動作には、気さくな人柄が滲んでいた。
皺の刻まれた顔は年相応の渋みがあって、白い口髭は短く切り揃えられている。
世界的な研究者なのに全く偉ぶるところがないベリス博士は、孫のアロンドラにとって憧れの研究者そのものだと言うが、私から見ても立派な人物であることは間違いない。
「元気だったかね」
「はい、ベリス博士もお元気そうで何よりです」
「ははは、私は好きにやらせてもらっているから、身体を悪くしようがないのだよ」
相変わらずの冗談に、私も思わず頬を緩める。
アロンドラと同じ喋り方だし、顔立ちにもどこか面影があるような気がするのだけど、全く人見知りをしないところは正反対と言える。
「ベリス博士は練習試合の観戦にいらしたのですか?」
「ああ、実はマルディークファンでね」
「そうでしたか。何だか意外です」
「よく言われるよ。いやあ、期待以上の熱戦で素晴らしかった」
満足げなため息を吐いたベリス博士は、たしかこのアラーニャ学園の卒業生だったはず。
激戦の上に勝ったのだから、きっとさぞ楽しめたに違いない。
「あとは孫の顔でも見ていこうかと思ってね。アロンドラはどうせ、せっかくの練習試合も見に来ていないのだろう」
「ふふ。アロンドラは自室で研究中ですよ」
流石に孫の性格をよくご存知だ。仲の良い二人に笑みを浮かべた私だけど、ふとベリス博士の表情が優れないことに気付いて首を傾げた。
「どうかなさったのですか?」
「……いや。少し、心配だったこともあってね。練習試合のついでというよりは、むしろアロンドラの様子を見に来たのだよ」
アロンドラのことが心配だった?
私は話の流れが掴めずにますます困惑した。ベリス博士に過保護な印象はないし、アロンドラの好きなことをやればいいという姿勢だったはず。
それなのにわざわざ様子を伺いに来ただなんて。
一体何があったのかと心配になった私は、ベリス博士の次なる言葉に横面を張られたような衝撃を受けることになった。
「王太子殿下との婚約話が出て以来、どうにも元気がなくてね。……ああそうだ、アロンドラの近頃の様子はどうかな。レティシア嬢に迷惑をかけていなければいいのだが」
孫を想う気持ちに溢れた言葉に、私は反応を返すことすらできなかった。
頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。
婚約って、何? どういうこと? ぜんぜん、わからない。
「王太子殿下と、アロンドラが、婚約……? それは、本当ですか?」
「……知らなかったのかね?」
ゆっくりと眉を上げるベリス博士に、冗談ではないことを思い知る。
嘘。そんな、嘘でしょう。
だって私、何も聞いてない。
文句の一つすら、言われていないのに……!
「そうか。君は孫の唯一の友人だから、てっきり……」
真っ青になって黙りこくった様子から答えを察したのか、ベリス博士が考え込むようにして言う。
思い返してみれば、近頃のアロンドラはどことなく考え込んでいることが多いように見えた。
そうだわ、そもそも婚約自体あり得ない話とは言い切れない。
聡明で綺麗なアロンドラ。私という候補者が消え、家格と年齢と資質を基準にして絞り込んだ時、選定される可能性は低くないはずだった。
ただ一つ社交界を苦手としているという点で、私に無意識の安心感をもたらしていたのだ。
でも、どうして。どうして、何も相談してくれなかったの。
いいえ、どうして気付いてあげられなかったの。
私のせいなのに。私がアグスティン殿下との婚約を断ったから、そのせいでアロンドラにお鉢が回ってしまったんだわ。
それなのに何も言わず、ただヒセラ様の危険性だけ説いて、何とかしようとするなんて。
「アロンドラは嫌がっていたのでは……⁉︎」
「ああ、そうだね。研究ができなくなるなんて冗談じゃないと言っていたが、我が家の家格では断れない。だから候補者から自然と外れることを期待して、大人しくすることにした様だったのだが」
ベリス博士はそこで言葉を切った。
目を逸らして言い淀んだ末、重たい溜息と共に吐き出されたのは。
「あの子の性格上、何か無茶をするような気がしてね」
私は鋭く息を呑んだ。
寮の自室を研究室に改造してしまったアロンドラ。
一般教養の勉強を最低限にしてまで研究に打ち込む小さな背中。
研究のためなら何でもする子。
だけど本当は、優しい子。
私に何も言わなかったのは、多分。
「言えなかったんだわ……私が、気に病むと思って」
ヒセラ様に狙われる可能性が高いのは、現在の婚約者だ。
それが誰なのかという話題になった時、アロンドラは自分がそうなのだとは申し出なかった。
むしろ私を護衛するべきだという話になって、いつも一緒にいてくれたのはどうして?
「レティシア嬢?」
ベリス博士が心配そうに名前を呼んだけど、右から左へと通り抜けていく。
私の一番の親友は、一体何をしようとしているのだろう。
確実に言えるのは、きっと一人で解決しようと考えたのだということ。
ヒセラ様を調査しようと言い出したのも、きっと何か考えがあってのことだったはず。
もしヒセラ様が、アロンドラが婚約者になったと知ったらどうするのか。
そして今、あの子は一人で寮に——。
「私、寮に戻ります! ベリス博士もいらして下さい!」
「君、何を……⁉︎」
観客の波はだいぶ小さくなっていた。私はベリス博士の制止を振り切って、全速力で走り出したのだった。




