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想像もしないプロポーズ

 魔法の実技試験にて、私は人生初の良を取ることができた。今までは可だったから、これでも随分と健闘した方だ。

 すごく嬉しい。これはカミロ様に報告をして、お礼を言わないと。


 私は足取りも軽く学園の廊下を歩いていたのだけど、あることに気づいて足を止めた。


(あ、でも……私みたいなのが公衆の面前で話しかけたら、迷惑かしら)


 黒薔薇の私ならともかく、今の私は地味で冴えないガリ勉眼鏡。学園最底辺がスーパースターに話しかけたりしたら、あらぬ噂が立つかもしれない。


 すごく残念だけど、やめておこうかな。うーんでも、それはそれで礼儀に反するし……。


「おい、お前がベニート侯爵令嬢か」


 廊下にて立ち止まっていた私は、背後からよく知る声に呼ばれて全身を硬直させた。


 まさか、そんなはず。でも、この声は。


 嫌な音を立てる心臓を手で押さえて、ゆっくりと振り返る。

 まずは黄金色の髪とサファイアブルーの瞳が視界に入った。正しく着こなした制服を飾るのは、3年生であることを示す赤色のネクタイ。


 そこには案の定、アグスティン殿下が立っていた。


 温度のない瞳と視線を絡ませたけど、眼鏡のおかげで私の瞳が震えたのはわからなかっただろう。二度目の人生でこんなにも接近するのは初めてだ。


 もう関わりたくなんてないのに、どうして私に声をかけてきたの。


「あ……は、はい。レティシア・べニートと申します」


 舌の根が震えて、声を出すのに苦労した。アグスティン殿下は冷たい瞳で一礼した私を見下ろすと、酷薄な笑みを浮かべた。


「お前のような冴えない女が、この私の婚約者となる栄誉を断るとはな」


 馬鹿にしているのかと吐き捨てた声に、私はますます動けなくなる。


 この方はただ婚約を断られたことに腹を立てているのだ。私みたいな底辺女に屈辱を味わわされたと思って、抗議するつもりなのね。


「お前、眼鏡のせいで顔が良く見えんな。不敬であるぞ」


「え……」


「眼鏡を取れ。そして断った理由を偽りなく述べよ」


 アグスティン殿下は命令するのに慣れた調子で、当然のように言った。前の人生では堂々として素敵だと思った振る舞いに、今は嫌悪感しか感じない。


 嫌だ。眼鏡だけは絶対に取りたくない。


 だって私は、ガリ勉地味眼鏡になるって決めた。この人に関わらないって決めたの。


 それなのにどうして、今生でも彼の機嫌を取らなければいけないの。


「アグスティン、あまり俺のレティシアをいじめないでくれ」


 その時のことだった。重たい怒りを含んだ声が聞こえたと思ったら、私は突如として温かい腕の中に抱き込まれてしまっていた。


 突然のことに何が起こったのか理解できなかったけれど、見上げた先に誰がいるのかは、どうしてだか想像がついていた。


「カミロ様……」


 私は思わず、掠れた声で彼の名を呼んだ。

 助けてくれたの? いいえ、でも。今何だかとんでもないことを言っていたような。


「カミロ。今、俺のと言ったのか?」


 そうそう、そこよ。アグスティン殿下、ナイス指摘。


「ああ。昨日からレティシアは俺の婚約者になったんだ」


 ……何ですって?


 え、婚約者? 婚約者ってあの婚約者? いやいやいやそんなまさか。


 ああ、冗談か。そうよね、そうでなきゃ助けるために適当な嘘をついてくれたんだわ。うん、カミロ様っていい人だもの。


「つまり、俺との婚約を断ったのは、お前がいたからだと?」


 アグスティン殿下がますます視線を厳しくさせて言った。カミロ様は私を抱きしめる腕に力を込めて、一歩も引かない気迫で言い返す。


「そういうこと。レティシアは俺のものだから、アグスティンにはあげない。……絶対にだ」


 いや別に、欲しがっていないと思いますよ。

 私はツッコミをしたくて仕方がなかったけれど、両者の空気があまりにも張り詰めていたので口をつぐんだ。


「……ふん。馬鹿馬鹿しい」


 やがてアグスティン殿下は不愉快そうに言ってその場を離れて行った。倒れそうなほどの安堵に見舞われた私は大きく息を吐く。


「レティシア、大丈夫か?」


「ええ、ありがとう」


 そうしてようやくカミロ様からも解放されたのだけれど、ここが廊下であることを思い出して青ざめてしまった。


 生徒たちから放たれる大量の好奇の視線。

 それも当たり前だ。何せ学園で最もモテモテの男子生徒のうちの二人が、珍しくも顔を突き合わせていたのだから。

 目立たないように生きてきたのに、どうしてたった数分でこんなことに!


「カ、カミロ様っ……! とにかく、ここを離れますよ!」


 私はカミロ様の背を押して、強引に歩き始めた。





 人気のない裏庭にやってきたところで足を止めた私は、同じく立ったままのカミロ様に向き直って開口一番問いかけた。


「どうしてあんなことを! これではカミロ様によくない噂が流れてしまいます!」


 主に女の趣味が悪いとか、アグスティン殿下と仲が悪いらしいとか、そのあたりだ。

 いくらなんでも申し訳なさすぎる。しかし困り果てている私を他所に、カミロ様は泰然としたものだった。


「よくない噂なんてどこにもないよ。君と俺が婚約したのは事実なんだから」


「……はい?」


「昨日のうちにべニート侯爵に許可をもらった。凄く喜んでおられたぞ?」


 いい笑顔で告げられた衝撃の事実に、私は今度こそ固まった。


 何それ。


 ……何それっ⁉︎


「どっ、どうして……⁉︎ 私と貴方は、昨日が初対面ですよね⁉︎」


「初対面じゃない。俺はずっと君のことが好きだった」


 また信じられないようなことを彼は言う。けれど私の手を取って口付けを落とし、じっとこちらを見つめる若草色の瞳には、どこにも嘘なんてないように見える。


「黒薔薇の王妃。以前の君は手の届かない人だったけど、今のレティシアになら遠慮をしなくても良さそうだ」


 そうして、衝撃ばかりが重なる中、私は今生でも最大の驚愕に見舞われた。


 喉が渇いて声を発せない。頭がびりびりとした痛みを訴えて、いっそのこと気絶をしたいような気分になる。

 それでも私は浅く息をして、なけなしの勇気を絞り出した。


「カミロ、あなた……覚えて、いるの?」


「ああ、一度目の人生で君と過ごした時間は全て覚えてる。レティシアは明らかに以前と違う格好をしていたから、きっと君も前世の記憶があるんだろうと思ったよ」


 どうやら彼は確証があって私に前世の話を持ちかけたらしい。


 そうだ、カミロは頭が良かった。勉強は得意じゃないと昨日言っていたけど、状況を読む力とか、判断力とか、勘みたいなものに長けているのだ。


 でも、一体いつから思い出していたの?


 私の疑問を読み取って、カミロは小さく笑った。


「昨日レティシアが眼鏡をずらしてしまった時に、思い出したんだ」


「眼鏡って……」


 ——嘘でしょ⁉︎


 じゃあ、何か。

 眼鏡を外したら美少女だったから驚いたわけではなくて、記憶を取り戻して呆然としてたってこと⁉︎


「レティシア、愛してる。今度こそ俺と結婚しよう」


「え、いや、あの……? 私、まだちょっと状況がよくわからないのだけど」


「何も難しいことはない。俺は君に愛してもらえるように努力する、君は俺の側にいる。ただそれだけでいいんだ」


 じり、とカミロが近づいてくる。同じだけ後ろに下がったつもりだったのに、素早く伸びてきた腕が腰に回って、あえなく抱き寄せられてしまう。


 さっきアグスティン殿下の前で抱きしめられた時は驚きすぎて何も感じなかったけれど、今度の私は情けないくらいに赤面した。


 伊達眼鏡の向こう、若草色の瞳が暗い熱を帯びている。


 頬が熱くて仕方がなくて、全身が細かく震えていた。壊れ物でも扱うような動作で眼鏡に触れたカミロが、最後の砦を取り払ってしまう。


 私の薔薇色の瞳と目を合わせて、端正な顔に陶然とした笑みが浮かんだ。


「君がいなくなったら俺は狂う。頼むから、諦めて俺と共に生きてくれ」


 遮るものの何一つない視界で懇願ばかりが滲んだ若草色を見ていられたのも、ほんの短い時間のことだった。


 何か言おうと開きかけた口を熱い唇が塞ぐ。


 一度目の人生と併せても初めてのキス。カミロは少しも容赦をしてくれなくて、私は途中で広い胸を叩いて抗議しなければならなかった。


「レティシア、返事は?」


 息も絶え絶えになった私に、カミロが目を光らせて問いかけてくる。

 もう何が何だかわからない。気になることがありすぎるけれど、まずはこのことについて確認させてほしい!


「……いや、婚約ってなに!?」


 私は思い切り両手を突っ張ってカミロの体を押し返した。


 思ったよりあっさりと拘束が解かれて、よろめきながらも一歩二歩と後退りをする。そうして目を合わせたカミロは、拒まれた割に楽しそうに微笑んでいた。


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[良い点] 振られたくせに身分を利用して居丈高な王子は実に図々しい。 こういう時、「私は一個人として心の自由を持っていて、お前と付き合いたくないから付き合わないのだ」という女の真っ当な声は通らず 「他…
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