魔女とは
「ねえアロンドラ、魔女って結局何なのかしら」
アロンドラと二人で図書室で魔女についての調べ物をしていた私は、ふと頭をよぎった根本的な疑問を口にした。
積み上げた資料から顔を上げ、アロンドラがふむと頷く。
「それは全ての魔法学者の関心ごとだな。魔女の黒い魔力が確認されて約千年、研究が続けられているが未だ手がかりは得られていない」
魔女とは何なのか。
どこから出現した力なのか。
どうして女性しかいないのか。
どうしてあそこまでの力を持つのか。
その全てが謎だらけなのである。
「魔女は中世以前の記録には登場すらしないのよね」
「ああ。学者の間でも、何かのきっかけがあって出現したのは間違いないという認識だな」
「千年前、ね。一体何が起こったのかしら……?」
学者さん達の必死の研究でも解き明かせなかったのだから、私がいくら考えても無駄だと言うのはわかってる。
ヒセラ様について何かわかる事がないか調べているところなのに、もはや脱線しているに等しいってことも。
けど、何だか妙に気にかかったのだ。この直感にも似た引っ掛かりは、一体どこから来るのだろう。
「ねえ、言ってみれば、一度目の時は魔女であるヒセラ様によって王室がめちゃくちゃになったのよね、多分。
けど、今までの歴史で魔女がそこまでの悪さをしたなんて話は聞いた事がないわ。人が勝手に恐れて差別して、だからこそ憎みあって、現在に至っては一応の和解を見ている」
「……そうだな。あれ程特異的な力を持った魔女が、歴史に悪として名を残したという話は殆どないと言っていい。それについては歴史学者も含めて疑問を持ち、散々研究されているが、結局『たまたまそうならなかっただけ』という結論に至った。まあ、露見していない可能性も当然あるが」
「確かにそうなのかもしれない。けど、そうじゃなかったら……?」
言いながらも、私は思考回路が一つの可能性に向かって集結していくのを感じていた。
アロンドラも同時に息を呑む。私たちは音を立てて立ち上がると、魔法学の本を集めた棚に向かって走り出した。
図書委員に怒られたけど、構っていられることではなかった。
「アロンドラ、あの、あの人……! 大昔に女神シーラに会ったって魔法学研究者、誰だっけ⁉︎」
「レオカディオ・ネメシオだ!……よしあったぞ、本人の手記の現代語訳だ!」
興奮のあまり声を震わせたアロンドラが、目にも止まらぬ手捌きで分厚い本をめくる。
やがて手を止めたページには、こんな記述があった。
◆
研究に行き詰まったときは散歩がいい。緑は目を休ませてくれるし、陽の光は肩のこりを和らげる効果があるように思う。
その日も私は近所を歩いていた。人気のない路地に差し掛かった時、私の目の前に現れたのは、この世のものとは思えないほど美しい女性だった。
彼女は自らを時の女神シーラと名乗った。何でも遥か昔から時間というものを管理してきたと言う。
これ程の美女がうだつの上がらない研究者を捕まえて、わざわざ冗談を言う理由はどこにあるのだろう。
私は最初こそ警戒したが、近くのベンチに腰掛けて話すうちに、頭がすっきりとしてくるのを感じていた。
彼女は聡明で、話せば綺麗に打ち返してくれて、全てを見通すような瞳の持ち主だった。
もしかすると本当に女神なのかもしれない。そう信じたくなるほどには、不思議な魅力を秘めていたのだ。
◆
私は大きく目を見開いたまま、何度もその項を読み返した。
アロンドラも同じようにしていたのだろう、なかなかページをめくる気配がない。
「そうだ、レオカディオはこの地上で女神シーラと出会った。時期は定かではないが……」
小さくつぶやいて、何かに突き動かされるように一番最初の著者のページを開く。
「彼の生きた時代は、ちょうど千年ほど前だ」
「千年……!」
そのまま反復した声に驚愕が滲んだ。
千年。つまり、魔女の黒い魔力が登場した時期と一致する。
「……もしや、こういうことなのか? 黒い魔力が出現したことによって、女神は地上へと視察にやって来た」
「そして魔女が悪さをする度に、時を戻してやり直しをさせた……?」
衝撃に揺れる瞳を見合わせた私達は、もう一度レオカディオの手記へと視線を落とした。
研究についての詳細な記述が続くが、その後女神シーラが登場することは二度となかった。
これ以上の情報はどうやら手に入ることはなく、私達の仮説は推測の域を出ない。けれど、やはりこの研究者の手記が妄言だとは、どうしても思えなかった。
「証明する手段が見つかることは無いだろうが……もしこれが本当なら、歴史的発見だな」
アロンドラがこぼした苦笑は武者震いにも似ていた。
もしこの推測が真実なら、女神様はヒセラ様を止めるのを望んでいるのかもしれない。
ひとまず図書室を後にした私たちは、寮に帰る道すがら、廊下の向こうにカミロの姿を見つけた。
友人と楽しそうに談笑する横顔を視界に捉えながら階段を下っていく。
図書室で得た女神と魔女の推測について伝えたいけど、友達と居るところを邪魔してまでする話ではない。エリアス様も含め、後で共有しておけば十分だろう。
「本当にいつもいるな、カミロ殿は。あれはいっそのこと、護衛を口実にして君のことを見ていたいだけなんじゃないのか?」
「ええ? そんなまさか。申し訳なくなっちゃうくらい、心配性なだけよ」
アロンドラが苦笑気味に冗談を言うので、私は困り果てて首を横に振った。
近頃のカミロは凄い。
何が凄いって、ものすごくさりげなく、それなのに常に視界の端に居るのである。
婚約しているのがバレないようにとの配慮とはいえ、ここまで面倒をかけるくらいならいっそ発表してしまってもいいかもと思わされるくらい、とにかくいつも居る。
それはアロンドラと移動教室をするとき、食堂に向かうとき、寮に帰るとき。
カミロはエリアス様と談笑していたり、友人の男子生徒達とじゃれながらの通りすがりであったり、はたまた先生に付いての荷物持ちをしながら、とにかく一度は現れるのだ。
以前に興味があってスパイ小説を読んだ時、尾行は後ろからとは限らないと書いてあったのを思い出す。
竜騎士は要人警護なんかも仕事のうちだから、殺気を出さずに張り込みをする訓練を受けているんだろうけど、それにしたってやりすぎだ。白昼堂々ヒセラ様が仕掛けてくるわけないと思う。
マルディーク部の助っ人だって頼まれているのに、練習時間は取れているのだろうか。
「魔女についての調べ物は仕方ないけど、すぐに寮に戻りましょ。アロンドラだって自分の研究があるだろうし」
「私は別に構わないがね。まあ、寮の自室が一番安全なのは確かだな」
心なしか面白そうなアロンドラを連れて、私は寄り道せずに寮へと戻った。
近頃はずっとこんな感じなのだ。
アロンドラにも面倒をかけているから、何も無いようならそろそろ護衛を解いてもらうべきだと思うんだけど、なかなか許してもらえない。
エリアス様は無事に陛下に報告をして下さって、調査するとのお言葉を賜ったとの事だったから、結果が出る頃にはこの生活にも変化が訪れるのかしら。
そんなことを考えている間はヒセラ様にも特に動きはなく、更に二週間ほどが経った週末。
ついにカミロが参加するマルディーク部の練習試合当日がやってきたのである。
「アロンドラは本当に来ないの?」
「ああ、私は研究で忙しいのでね」
相変わらず書類や実験道具で溢れたアロンドラの自室は、やっぱり部屋の主によく似合っていると思う。
実験用の黒いワンピース姿は、ここ最近は見かけなかったものだ。一緒にカミロを応援できないのは残念だけど、アロンドラの研究を邪魔するつもりはない。
対する私は今日から衣替えをして冬の制服姿になった。10月になった現在、日中でも寒さを感じる日が増えてきている。
日曜日ではあるけれど、校内で行われる演習試合なので、恐らくは皆制服を着てくるだろう。
「じゃあ、行ってくるわね。アロンドラは研究頑張って」
「ああ、ありがとう。レティシア、君は十分身辺に気を付けて、一人にはならないように」
「わかってるわ、大丈夫よ。心配性なんだから」
子供にでも言い聞かせるような言い回しに頬を膨らませて見せると、アロンドラは楽しそうに、小さな苦笑をこぼした。
クルシタさんとルナとは寮の玄関で待ち合わせをしており、男子メンバーは会場にて落ち合う予定だ。
カミロの試合が見られるなんて、少し前までは考えたこともなかったのにね。本当に楽しみだわ。