かの男爵令嬢は何者か
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私は一人で王城の廊下を歩いている。
陛下が病に臥せって以降、私の味方はもうカミロと両親しかいなくなってしまった。
そしてカミロは今『国境にて隣国に怪しい動きあり』との報を受けて出撃しており、その精悍な笑みに出会うことは叶わない。
今日もひそひそと後ろ指を指されるのを感じるけれど、気にしていたらキリがないから無視をしよう。
目立つと思って選んだカナリア色のドレス。今日こそアグスティン殿下は褒めてくださるかしら……?
しばし王城の中を歩いたのち、すらりとした姿を見つけられずに庭へと出る。
爽やかな空気が頬を撫でる中、アグスティン殿下は前庭のガゼボにいた。
そう、ヒセラ様と一緒に。
仲睦まじい様子で身を寄せ合い、お互いにしか聞こえない大きさの声で囁き合っている。
二人の唇が触れそうな距離にまで近付いたところで、私は目を逸らして歩き出した。
……そうよね、わかっていたわ。ずっとこの繰り返しだもの。
アグスティン殿下はまるで私を空気みたいに扱う。最低限の同行は許してくださるけど、全く興味がないのを隠しもせずに、空っぽな瞳で私を見る。
旦那様と素敵な家庭を築きたいと思うのは、そんなに間違ったことだったのかな……?
*
暗闇に沈んでいた瞳を、瞼を透過した光がぼんやりと照らしている。
私は寮の自室にて目を覚ました。
今日は新学期の2日目。学校が始まって嬉しいはずなのに、最悪な気分で眉間を揉む。
「……嫌な夢」
どうやら昨日の会議のおかげで一度目の人生の記憶を呼び覚まされてしまったらしい。
アグスティン殿下は婚約者として出会った瞬間から私に興味がなさそうだった。まだヒセラ様は転校してきていなかったから、他に愛する人がいるからこそというわけではない。
結婚してからもそれは変わらなかったし、当時はそういうものだと思っていたけど、改めて考えてみれば白い結婚だなんて流石におかしい。
世継ぎを作るのは国王の義務なのだから、洗脳されていたが故だとすれば全てに説明がついてしまう。
鮮明になった思考についていけずにため息をついてから、ベッドを出て顔を洗った。
夏服に着替えておさげを結い、大事な相棒を装着すれば、鏡に映った私はいつも通りのガリ勉地味眼鏡だ。
「……よし。今日も頑張ろ!」
まだ何もわからないんだから考えたって仕方がない。元気にひとりごちてから、朝食を取るべく部屋を出る。
するとちょうどアロンドラがやってきたので、私は目を白黒させた。
「おはよう、レティシア。昨日取り決めた通り、君の護衛をしに来たよ」
「あはは……おはよう、アロンドラ」
そう、過保護を発動させた三人によって、しばらくの間一人で動かないようにとの厳命が下されてしまったのだ。
何でも魔女の魔力は基本的に違法だから、誰かといる時にヒセラ様が仕掛けてくる可能性は低くなるらしい。
うーん、いくらなんでも考えすぎだと思うんだけどなあ。
「心配してくれてありがとう。でも、人目があるところなんだし大丈夫よ?」
「駄目だ。何かあってからでは遅い」
アロンドラがにべもなく言うのに苦笑を返して、二人連れ立って歩き出す。
食堂はいつものことながら女生徒しかおらず、華やかな活気に満ちていた。
寮の食堂はいつでもバイキング形式だ。私はパンとサラダ、スクランブルエッグを皿に盛ったけど、アロンドラはゆで卵とコーヒーしか手に取らなかった。
「相変わらず少食ね」
「今は空腹ではないのでね」
アロンドラはとても華奢で、実際にあまり食べない。クルシタさんの10分の1くらいだろうか。
空いている席を見つけて対面に腰掛ける。食べ始めようとしたところで、一つ離れたところに座った女の子たちの会話が聞こえてきた。
「えー! カミロ様がどこぞの美女と動物園に⁉︎」
「そんなあ、ショックですわ!」
「黒髪の大変な美女だったんですって。見たことない方だったそうよ」
会話はヒートアップし、声が高く聞き取りやすくなっている。
……はい! おこがましいけど、それ、私だ!
やっぱり誰かに見られてたのね。けど私だと気付いた人はいないみたいだし、一応安心だと思ってもいいのかな。
「ふふ、そういえば動物園の話は聞いていなかったな」
噂の当事者を前にして、アロンドラが楽しげに微笑む。コーヒーを飲む仕草はまさに淑女なのだけど、目の下のクマは相変わらず存在感がある。
……あれ? いつもより、クマが濃い、ような。
「アロンドラ、寝てないの?」
「ん? 別に、寝ていないのはいつものことだろう」
怪訝そうに首を傾げるアロンドラに、別段変わった様子はないように見えた。
うーん……たまたまいつもより寝不足だったとか、そんなことだったのかな。
ちょっと心配だけど、元気そうではあるものね。
「動物園ね。ええと、目当てのクサカバがとっても可愛くて——」
私は小声で話し始めた。
カミロの名前さえ出さなければ、例え聞かれたとしても関連付ける人はいないだろう。
放課後がやってきた。
魔女調査隊の4人は今、垣根の側にしゃがんで中庭を覗き込んでいる。
視線の先にいるのはヒセラ様とアグスティン殿下。木製のベンチに腰掛けて、親密な距離感でおしゃべりに興じているようだ。
あ、ヒセラ様が膝の上に置いたクッキーを手に取って差し出したわ。
アグスティン殿下はそれを……食べた! 俗に言うあーんってやつね! ラブラブじゃない!
「肉親のラブシーンって、改めて見るとキツいものがあるな……」
「エリアス様、あの、なるべく見ないようになさった方が」
エリアス様がげっそりとした顔で言う。
お気の毒に思って何とか元気付けようとした私とは反対に、アロンドラは容赦がなかった。
「何をおっしゃいますエリアス殿下。私だけで結構だと言ったのに、着いてきたのはあなた方ですよ」
そう、どうして覗きなんかをしているかと言うと、実はヒセラ様が魔女であることを確認しに来ているのだ。
アロンドラが魔道具を所持しているらしく、それを使えば判定が出るらしい。
結界を張ると魔道具の使用を遮ってしまうので、何の防御もないまま行わなければならない。
「目立っては困るので一人で行く」と言ったアロンドラだけど、心配したエリアス様によって最終的には全員で行く事になったのだ。
「こんな危ないこと、女の子に任せられないよ。それに一応は自分の目でも確認しないと」
エリアス様がいかにも嫌そうに、兄王子カップルを斜めに見ながら言う。
あ、今度はアグスティン殿下が食べさせているわ。カミロも呆れ顔をしているし、みんなどうでも良さそうね、本当に。
「そりゃそうだな。まあ、とっとと済ませて戻ろうぜ」
「そうだな、カミロ殿。あれだけ二人の世界なら大丈夫な気もするが、バレる前に退散せねばなるまいよ」
言いつつアロンドラが鞄から取り出したのは、大きな虫眼鏡のような代物だった。
人の顔くらいはあるだろうか。初めて見る道具に興味を惹かれていると、アロンドラが得意げに腰に手を当てた。
「これは魔女眼鏡といって、魔女であるかどうか確認するための貴重な魔道具だ。これで覗き込むと魔女の魔力が視覚化されて、黒いもやが見えるらしい」
「まあ、すごいのね」
「お祖父様の研究室からぬす……借りたんだ。ではかざすぞ。皆、覗き込んでみてくれ」
垣根の中で大きな隙間が空いた箇所を見つけ、アロンドラが魔女眼鏡をかざす。
私たちは4人で顔を寄せ合って、レンズの向こうを覗き込み——この世の物とは思えないほどの禍々しい黒を見た。
多分だけど、全員表情が止まったと思う。
お互いに困惑を隠しきれない瞳で目配せをし合ってから、また魔女眼鏡を覗く。
それはもやというよりも、生き物のようだった。
黒い粘着質な物体がヒセラ様の周りで渦を巻いている。
その黒はもはやアグスティン殿下を覆い隠すほどの大きさだった。
ぞろぞろと蠢く様は見ているだけで気分が悪くなるような形状をしていて、私は思わず口元を押さえた。
「こ、これは……」
「ああ、すごいな」
そう言ったカミロはいつになく真剣な表情をしていた。
アロンドラは顔を青ざめさせているし、エリアス様も同様だ。
これでヒセラ様が魔女であることが確定してしまった。
私たちはもしかしなくとも、とんでもない人を相手にしているのかもしれない。