私は間違っていない、はずだ。〈アグスティン〉
あまりのことに呆然とした私は、優雅な身のこなしで立ち去っていく女の無礼を咎めることすらできなかった。
人いきれに満たされた休憩所で一人佇む。
白いワンピースの後ろ姿が消えてしばらく、何が起きたのかを理解した頭が急激に熱くなった。
何なんだ、あの女。
見たことがないほど聡明そうな女だと思い、声をかけてやったのに。
この私の申し出を断った挙句、最低だと……⁉︎
この国の王太子に向かってなんたる無礼だ!
腹が立つ……腹が立つ! どいつもこいつも、私をコケにしおって——。
「アグスティン様、お待たせしました」
怒りに爪を手のひらに食い込ませた時、売店からヒセラが帰ってきた。
紙袋を手にして、未だに不機嫌そうに顔を歪めている。
この女の態度も、全てが私をイラつかせるのだ。
「ヒセラ、もう終わりにしよう」
別れの言葉は思いの外するりと口から飛び出してきた。
ヒセラはディープグリーンの瞳を丸くして、血の気の下がった顔を私に向けた。
「え……」
「そもそも私たちには将来があるわけでもないのだから、この辺りでやめておくべきだ。わかるだろう」
一夏を共に過ごした。男爵令嬢であるヒセラからすれば、王太子と恋人になれただけでもまたとない幸運だったはずだ。
「そんな、アグスティン様……! どうしてですか、私はあなたのことが!」
「私が決めたことだ、お前に拒否権はない。楽しい時間をもらったことに感謝する」
とは言っても、近頃は疲れてばかりだった気がするが。
さて、もう王城に戻ろう。ヒセラとはこれ以上一緒にいても仕方がないから、そこらに潜んでいる護衛に送らせればいい。
「……残念です。もっと扱いやすい人だったはずなのに」
踵を返そうとした瞬間、ヒセラが低くつぶやいた。
……何だ? この背筋が凍るような、冷たく美しい微笑みは。
「やっぱり、あの女のせいね。あの女が一度目の記憶を取り戻して、アグスティン様を避けて……障害がなくなったから、全部が上手くいかないんだわ」
「おい、ヒセラ?」
「まあいいです。とにかく、アグスティン様……また私のこと、好きになって?」
ヒセラのディープグリーンの瞳が、じわじわと黒に染まっていく。
その目を見ているうちに、私は何故だか頭の中がぼんやりとしていくのを感じた。
胸の内を焦がす怒りも、今しがたの会話も、全てが黒い靄の向こうに閉ざされていく。
ああ、何だったか。私は、ヒセラと別れ——。
わかれ、たい?
……いや。別れ、たい、はずがない。
理想を具現化したような、美しいヒセラ。
そんな彼女を手放すなんて、恐ろしいことは考えたくもない。
「可愛いヒセラ。買い物は済んだのか?」
「はい、アグスティン様! 私、とっても満足です」
「一人で行かせてすまなかったな。荷物を持ってやろう」
「わあ、ありがとうございます! アグスティン様、大好き!」
嬉しそうにはしゃぐヒセラは純真無垢で愛らしい。
だからきっと、この気持ちに間違いなんてあるはずがないのだ。