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食事会の裏側〈カミロ〉

 目を合わせた瞬間、息と時間が同時に止まった。

 食事会の日になって公爵家へとやって来たレティシアが、言葉では言い表せないほど綺麗だったから。


(若草色のドレス……俺の、目の色? 夢でも見ているのか)


 ただぼんやりと彼女を見つめながら、夏休み前にエリアスとアロンドラ嬢も交えて話し合いをした時のことを思い出す。


 アグスティンとヒセラ嬢の仲が上手くいっていないと聞いて以来、俺はずっと澱む胸の内を持て余していた。


 もしあの二人が本当にうまくいかなければ、レティシアがアグスティンを諦める必要はなくなるかもしれない。

 もしまだレティシアが一度目の人生での想いを失っていないのであれば、俺は身を引くべきなのかもしれない。


 考え出すと止まらなかった。頭ではどうするべきなのか解っているのに、それでもレティシアを手放すなんて選択肢が存在するはずがなかった。


 次に会ったら、婚約を無かったことにしてほしいと言われるんじゃないか。


 そんなことまで考えついたせいで、俺はずっとこの日が来ることに恐怖を覚えていたというのに。



 今日のレティシアは、俺の醜い独占欲を浄化する天使だった。



 黒薔薇妃と呼ばれていたかつてのレティシアも綺麗だったけど、今の彼女が格別に美しいと思うのは俺の思い上がりではないはずだ。


 輝く薔薇色の瞳。

 若草色のドレスが白い肌に映えていて。

 緩くウェーブを描いた黒髪には真珠の髪飾り。

 形のいい唇は艶めき、頬は抜けるような透明感を宿す。


「……これはこれは。想像よりもずっと素晴らしいお嬢さんだ! なあ、カミロ!」


 父上に背中を叩かれたせいで体が前に倒れ、視界からレティシアが消えた。

 何なんだ、やめてくれよ父上。もっとレティシアを見ていたいのに、邪魔しないでくれ。


 俺は無言で体を起こした。

 すると絶妙に開かれた胸元に、磁石のように視線を吸い寄せられてしまう。


 制服のボタンをきっちり留めている人がドレスを着ているとこんなに色っぽく見えるものなのか。


 ていうか、知ってはいたけど大き……駄目だ駄目だ、心を無にしろ。

 胸ばっかり見ていたら流石に気付かれるぞ。レティシアに軽蔑されたら死ぬしかない。


 父上にはもう一度背中を叩かれたけど、俺は必死で欲望に抗っているところだったので反応できなかった。






 食事会は和やかに進んだ。


 ベニート侯爵夫妻は俺がレティシアに骨抜きになっていることを察したみたいで、揃って微笑ましげな表情を浮かべていた。

 緊張を隠しきれないひよっこに対しても優しいし、レティシアが大事にするのもわかる素敵な二人だ。


 隣で父上と母上が終始上機嫌なのも居た堪れなかったけど、婚約を喜んでくれているのはありがたいことだよな。


 とは言っても、レティシアを気に入らない筈がないか。


 こんなに綺麗で、礼儀作法も完璧で、更には学業まで優秀ときている。

 俺の両親はうわべの情報だけで判断する人たちじゃないけど、話しているうちに人柄にもすっかり魅了されたみたいだった。


「レティシアさんはとっても頑張っておられるのね。ご立派なことだわ」


 母上が穏やかに言う。するとレティシアはとても嬉しそうに、太陽のように笑った。


「ありがとうございます。好きなことで褒めていただけるなんて、とても嬉しいですわ!」


 可愛すぎるだろ。


 両親が「癒される〜」とでも言い出しそうな緩んだ顔になっているけど、俺は二人の比じゃなかったと思う。

 本当にだめだ。今日のレティシアがあまりにも魅力的すぎて、まともにものが考えられない。




 ぼんやりとしたままレモンシャーベットが運ばれてくるのを見守っていた時のことだった。

 隣に座るサムエルの口元が汚れていることに気付いたレティシアが、ナプキンを手に取ったのだ。


「こっちを向いて、サム」


 聞いている者まで微笑んでしまいそうなほど、慈愛のこもった声でレティシアが言う。

 弟が可愛いっていうのは前に聞いたことがあったけど、本当に可愛がっているようだ。確かに素直でいい子って感じの男の子だな。


 レティシアは甲斐甲斐しくサムエルの口元を拭っている。嬉しそうに目を細めるサムエルの様子を見ていた俺は、ついこう思ってしまった。


(……いいなあ)


「どうしたの?」


 レティシアが怪訝そうに首を傾げる。子供じみた嫉妬心を知られたくなくて、俺は誤魔化すように「いや」と答えた。

 どうやら俺の思考回路は父上に筒抜けだったみたいで、またしても背中を叩かれてしまった。竜騎士の力で叩くので痛い。


 はあ、いいなあ。口元を拭いてもらうなんてこと、俺は頼んだってしてもらえるかどうか——。



 ニヤリ。



 その時のこと。

 サムエルと目が合った瞬間、何やら勝ち誇ったような笑みを浮かべたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。


 ……いやいやいや。気のせいだろ、普通に。こんなに小さい子があんな意地悪な笑い方をするはずがない。

 レティシアのことが好きすぎて、おかしくなっているんだ。シャーベットを食べて頭を冷やそう。


 ——ニヤリ。


(こ、こいつ、また……⁉︎)


 笑った! レティシアが目を離した一瞬、今度こそ明らかに底意地の悪い笑みを浮かべたぞ!


「さあ、シャーベットが溶けてしまうから、サムも頂いてね」


「はい、いただきます!」


 優しくサムエルの頭を撫でるレティシア。

 先程の笑みから一転して子供らしい純朴な笑顔を見せたサムエルは、美味しそうにレモンシャーベットを食べ始めた。


「ご姉弟の仲が良くて素敵ですわね」


「ええ、レティシアがよく面倒を見てくれるので、助かっていますわ」


 母親同士が笑みを浮かべる最中、サムエルがもう一度俺の方を見る。



 ——ニヤリ。



 こ、この、このガキ!


 なんて生意気な……! 

 完全にわざとだ! わざとレティシアとの仲の良さを見せつけてやがる……!



 その後、俺は敗北感に震える手でシャーベットを食べ続けた。

 そうして食事が終わった頃、両親たちが気を利かせてくれたことによって、俺はようやくレティシアとの二人きりの時間を得たのである。





 レティシアを案内して、公爵邸の庭を歩く。


 俺は花の名前なんてよくわからないけど、夏の今は鮮やかな色彩で満たされている。

 その中を日傘をさして歩くレティシアを見ていると、一度目の人生でよく王城の中庭で立ち話をしたことを思い出した。


 ああ、本当に綺麗だ。


 あの頃の君はアグスティンのものだった。

 そして今の君は、きっと誰のものでもないんだろう。


「本当に素敵なご両親ね。カミロは、お父様に憧れて竜騎士になったの?」


「え? あ……ああ、そうだよ」


 自らの思考に囚われていた俺は、レティシアが話しかけてくれたことに曖昧な返答しかできなかった。

 その不甲斐ない様子に何を思ったのか、花のような笑顔が陰り、俯いてしまう。


「……私、何かしてしまった? 今日のカミロ、変だわ。このドレスが似合っていないせいなら、もう着ないから」


 日傘の柄を握った手に、力が込められたのがわかった。


 苦笑気味に伝えられた言葉と悲しそうに揺れる瞳に、俺はようやくレティシアを傷付けていたことを知ったのだった。


 そうだ、俺は。

 こんなにも彼女を綺麗だと思うのに、それを一言も伝えていないじゃないか。


「違うんだ……! 俺の目の色を纏ったレティシアが、あんまり綺麗だから! 見惚れていたんだ、ずっと!」


 本当は他にも原因があったけど。サムエルとか、サムエルとか。


「似合っていないだなんて、そんなはずない! 今までで一番綺麗で、可愛い!」


 まったく芸がない上に必死すぎて滑稽な訴えを終えてしばらく、レティシアは呆然としたまま俺を見上げていたのだが、やがて頬を薔薇色に染め上げていった。


 頬だけじゃない。顔中から耳、品よく開かれた白い胸元まで、じわじわと染まっていく。


「あ……え……! あ、ありがとう……」


 レティシアはやっとの様子でそれだけ言うと、日傘に隠れるようにして俯いてしまった。


 あまりにも愛らしい仕草に俺まで顔を赤らめてしまう。

 君はどれほど俺を夢中にさせたら気が済むんだろう。


 もっと近付きたい。

 誰よりも俺が一番、君の近くにいたい。


「なあ、レティシア。君は家族にはレティって呼ばれているんだな」


「え? ええ、そうよ」


 唐突な話題転換に首を傾げる様が可愛らしい。俺はだらしなく緩んだ顔を晒したまま、一つの頼み事を口にした。


「俺もレティって呼びたいんだ。許してくれるか?」


「許すって……そんなの、当たり前じゃない」


 好きに呼んで、とレティシアが微笑む。


 俺にとって世界で一番大事な笑顔。

 この笑顔を一生側で守ることができたなら、どんなに幸せだろうな。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >>知ってはいたけど大き…… kwsk
[一言]  とりあえず。  問答無用で婚約した上に、入部までしやがった癖に、ここ最近のヘタレっぷりは何たる事だ、オイ(`ε´)。
[一言] 弟よやはりか、アザと可愛いな。
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