これより緊急会議を招集する
絶望感に満ちた時間は、実際よりも長く感じられた。
ルナから侮蔑の視線を向けられることを想像して、私は足をすくませる。
遅れてやってきたカミロがすぐに状況を悟って眼鏡を手渡してくれたけど、どう足掻いたところで後の祭りだった。
驚愕に目を丸くしたルナが、一度目の記憶を理解するのに時間はかからないだろう。
ああ、短い夢だった。ルナに先輩と慕ってもらったこの数ヶ月、本当に楽しか——。
「……知りませんでした! レティシア先輩がこんなに美人さんだったなんて!」
——んん?
ルナが興奮した様子で両手を握り込んでの力説を始めたので、私は思わず首を傾げてしまった。
「どうしましょう、傾国の美女って感じじゃないですか! 分厚い眼鏡なんて勿体無いですよ⁉︎」
「あの、ルナ……?」
「はい、何でしょうか!」
「何だか変な感じはしない? 気分が悪くなったりとか、頭が混乱したりだとか……」
私の問いかけに対して、ルナはキョトンとした様子で目を瞬いた。
「何ですか、それ? 美女を見て気分が悪くなるわけないですよ!」
この純粋な笑顔が嘘であるはずがない。
私は安堵のため息を必死で飲み込んだ。
ルナの記憶は、戻らなかったのだ。
卑怯だと言われてもいい、私はルナに嫌われたくなかった。
だってルナは、本当に良い子で。叶うならずっと優しい先輩として、この子と一緒に活動していきたいと思っていたから。
ちらりとカミロと目を見合わせると、難しい顔をして微かに頷いた。ルナが例の侍女であることは彼にも既に話してある。
エリアス様の記憶は戻ったのに、ルナは戻らなかった。この二人の差は一体どこにあるのだろう。
夏休み前最後の日。最後の機会を生かし、私たちは情報共有を目的とした会議を開くことにした。
場所は図書室の例の机、周りにはカミロの結界。
参加者は私とカミロ、そしてエリアス様にアロンドラ。
この世界が二度目であることを知る、貴重にして優秀な粒揃いのメンバーだ。
直接関係のない二人を巻き込むのは心苦しかったけれど、自ら参加を申し出てくれたのだから有難い。
どうやら二人とも、この特異的な状況にいたく興味があったようだ。
唯一初対面のカミロとアロンドラが自己紹介を済ませたところで、さっそく会議が始まった。
私はまず、ルナに素顔を見られても記憶が戻らなかったことを話すことにする。聞き終えて一番に発言したのは、やはり興味津々の顔をしたアロンドラだった。
「記憶の蓋が開くかどうかは魔力量が関係しているのだったな。そのルナ嬢とやらの魔力量はどの程度なのかね?」
記憶が戻るには条件が二つある。
一度目の時に深い関わりがあった人から刺激を受けること。
そしてその刺激が、記憶の蓋の役割を果たす自身の魔力を上回ることだ。
「うーん、よく知らないけど……。魔力の量は普通だって言っていたことはあったわね」
確かそんな会話をした覚えがあるが、それ以上の情報はない。
では、エリアス様の魔力量は如何程なのか。
「僕も魔力量は多くないよ。まさに普通くらいかな」
エリアス様は苦笑しつつ言った。カミロとアグスティン殿下の魔力量は王族でも突出して多いと言われているけど、エリアス様の魔力の評判は聞かないから、おそらく本当のことなのだろう。
アロンドラは考えを巡らせている様子で、ゆっくりと口を開いた。
「では、二人ともレティシアの一度目の人生ではそれなりに関わり、かつ魔力の量は普通。それなのに記憶を取り戻すか否かではっきり分かれたと、そういうことかね」
「ええ、そういうことになるわね」
私が慎重に肯首すると、三人とも難しい顔をして黙り込んでしまった。
これは明らかに不可解な状況だ。エリアス様が記憶を取り戻したのなら、ルナも取り戻さなければおかしいはずなのに。
「やっぱりさ、女神様が言った以外に、もう一つ条件があるってことなんじゃないか?」
カミロが言ったのは、恐らくは全員が思い当たっていたであろう可能性だった。
「そうね。そう考えるのが自然よね」
人と人との関わり方はそれぞれ違うし、魔力量だって測れるわけじゃない。
だからそのあたりの差異のせいである可能性もあるけれど、もう一つ条件が存在する可能性も否定できない。
「時の女神シーラは、大昔の魔法学研究者が会ったことがあると書物に記しているんだ」
「そうなのか⁉︎」
アロンドラの言葉にカミロが目を剥いた。
このことについては私もアロンドラに教えてもらって知ったのだけど、びっくりよね。
「ああ。今までの研究者たちも、その記述については半信半疑で捉えていたのだがね。真実だったと知って、私は正直興奮を抑えきれない」
「そうか。驚いたな……」
「恐らくは原始の頃からの超越的存在だ。人間に対する隠し事の一つや二つあってもおかしくはないだろう」
人が作り出したわけではない本物の女神様は、一体何を考えているのだろう。
案外伝え忘れていただけだったりして。ふふ、流石に罰当たりよね。
エリアス様も驚いている様子だったけど、しばらくして気を取り直したように笑みを浮かべた。
「なるほど。ではその隠し事を探るために、ひとまずはルナ嬢と、僕とカミロの相違点について考えてみようか」
「ええ。それが良いでしょう」
アロンドラが静かに肯定する。
カミロとエリアス様に共通して、ルナに共通しないもの……何かしら。
すると、カミロが思いついたと言わんばかりの調子で声を上げた。
「王族と王族じゃない者ってのはどうだ。俺も一応王族の末端だし」
「言われてみれば、カミロも僕も王族という共通点はあるね」
エリアス様は思案げに顎に手を当てる。確かにこれは明確な相違点だと言ってもいいのかもしれない。
ただし、王族だから記憶を取り戻すという根拠が不明だ。
「好感度……」
考え込むようにしていたアロンドラがぽつりと呟いた。
「一度目の人生でのレティシアに対する好感度の差、というのは考えられないか。エリアス殿下は事故で亡くなったがために、王太子妃になってからのレティシアの問題行動を知らない。
反対に、ルナ嬢とやらは流刑にまで処された訳だが」
う! 友人が古傷を抉ってくる!
「エリアス殿下からすれば、レティシアは自分を顧みない婚約者を持った悲劇の女。ルナ嬢からすれば小さなミスも許容できない最低の主人、と言える」
「アロンドラ……? あ、あのね、もう少し言い方を」
「カミロ殿については説明不要だろう。いくら関わりがあろうとも、好感度がマイナスに振り切れている限りは記憶の蓋に影響しないとなれば、辻褄は合う」
「ねえアロンドラってば、いろんな意味で辛すぎるんだけど⁉︎」
悲痛な声での制止にも構わず、今度はエリアス様が話を引き取った。
「なるほど……あり得るかもしれない。僕の中でのレティシア嬢は『良い子なのに虐げられている』という印象だよ」
「凄いな、アロンドラ嬢。ルナ嬢との違いという点においては、間違いないかもな」
カミロまで! 確かにルナには嫌われていただろうけど、みんな本当に容赦がないのね?
アロンドラは完全に面白くてしょうがないっていう顔になっているし、エリアス様も楽しそうだし。
「面白い。時間に関する魔法学の研究に生かすとしよう!」
「なんだかこういうのって楽しいね。こう、新たな謎が解けていく感じがさ」
二人とも完全に他人事だけど、相談に乗って貰えること自体は有難いので気にしないでおこう。そうしよう。
それにしても、私への好感度だなんて自分では絶対に気が付かなかったわね。流石はアロンドラ。
もしそうなら私の素顔で記憶を取り戻す可能性がある人は、殆どいないことになるんじゃないのかしら。
アグスティン殿下とヒセラ様にだって嫌われていたと思うし、二人とも記憶を取り戻さない可能性の方が高いことになる。
私としてはその方が助かるけど、複雑な気分だわ……。
「ところで、エリアス。アグスティンの婚約が決まったなんて話はないのか?」
カミロが尋ねた内容は、私にとっても非常に気になることだった。
一度目の人生の時は、私と先に婚約してしまったせいで結ばれなかったアグスティン殿下とヒセラ様。
今回は邪魔者もいないから、身分違いとはいえ婚約が決まってもおかしくないと思っていたんだけど。
「それが……あの二人、あんまり上手くいっていないみたいなんだ」
「何だって? 本当なのか、エリアス」
エリアス様のまさかの答えに、カミロと私は目を丸くした。
おかしい。だって私がいないのだから、何の憂いもなくいちゃいちゃできるはずなのに。
「僕もあまり兄上とは仲が良くないから、何か聞いたわけでもないんだけどね。お顔の色が何となく晴れないんだよ。一度目の時よりもべったり引っ付いていない気がするし」
私も一度目の人生でのことを思い返してみる。
ラブラブだった二人。彼らが仲良くすればするほど、私の孤独は浮き彫りになって、お気の毒だと噂された。
言われてみれば確かに、一度目の時よりも二人が一緒にいるのを見かけない、かも……?
「これは僕が思うになんだけど。君には失礼な話、障害があったから燃え上がったのかなってね」
「エリアス様、それはつまり……?」
「そう、君だよ。一度目の人生の時は、名門貴族の令嬢で正式な婚約者であるレティシア嬢がいた。
だからこそ二人の恋は燃え上がり、結婚後も続くに至った。そう考えると納得もいくような気がする」
エリアス様が苦笑気味に言ったことが事実なら、私はいつの間にか道化を演じていたことになる。
怒ってもいいのかもしれないし、ざまーみろって思ってもいいのかもしれない。
だけど何だかもう本当に、純粋にどうでもいいって思えるわ。
「ふふ。だとしたら、冗談みたいな話ですね」
「だとしたらだけどね。まあ、放っておけばいいよ」
私はついおかしくなって笑った。アロンドラは呆れ顔をしていたし、エリアス様に至ってはちょっと申し訳なさそうだった。
カミロは何だか難しい顔をして腕を組んでいたけど、たぶんアグスティン殿下に怒りたいのを我慢していたのかな。
窓の外を見ると、四角く切り取られた向こうでは入道雲が立ち上がっていた。外に出ればからりとした日差しが全身を照らすことだろう。
去年とは違う、夏がやってくる。