孤児院にて
夏休み直前、ボランティア部による孤児院訪問の日がやってきた。
今日は全員が時間通りに集合するという快挙が起きた。
テレンシオも無事追試を終えたらしく、いつものように欠伸をかましている。
ちなみにリナ先生は今日も終わりがけに合流する予定だ。
「まあまあ、いらっしゃいませ! いつもありがとうございます」
既に見知った院長先生が出迎えてくれる。笑顔の素敵な老婦人で、子供達の信頼を一身に集める人格者だ。
「院長先生、今日もよろしくお願いします」
部長を筆頭に挨拶をした私たちは、いつものように活動にあたることにした。
全員で連れ立って食堂を兼ねた奥の部屋に向かう。
「わーい! こんにちは!」
年齢は7歳から13歳くらいの子供たちが、部屋に入った途端に一斉に沸き立つのもいつものことだ。
しかし今日は一様に目を瞬かせて、一人の人物に視線が集中していくのが判った。
「知らない人がいる。だれー?」
子供たちが見つめていたのはカミロだった。興味が自分に集中したことに動じた様子もなく、カミロはなんのてらいもない笑みを浮かべてみせる。
「カミロだ。今日から俺も仲間に入れて貰えるか?」
「いいよー! 僕たちみんな、おにいちゃんたちのこと大好きなんだ!」
一つも裏のないやり取りは、見ていて温かい気持ちになる。
カミロは子供達に誘われてさっそく輪の中に入っていった。凄い、これは才能だわ。
「こんにちは。みんな、宿題は終わったかしらあ?」
「勿論終わったよ、ほら!」
クルシタさんが問いかけると、一番元気の良いベルタが宿題用のノートを取り出してみせる。
テーブルを取り囲んで座った全員が、見て見てと一斉にノートを差し出してきた。
「よし、みんな偉いぞ!」
部長が労いの笑みで宿題を受け取ると、皆が得意げな顔になるのが微笑ましい。
私もまた微笑んで、子供たちと共に宿題の確認を始めた。
全ての民が学校に通えるようになるまでは、まだ時間がかかると言われている。
教育には貧富による格差があって、孤児院に住まう子供ともなれば、一度も学校に通うことがないまま生涯を終えることも多い。
だからこそ、私たちは孤児院の子供たちに勉強を教えに来ているのだ。
一月に一回程度しか来ることができないけれど、何もやらないよりは彼らの将来の助けになると信じている。
「それじゃあ、私は大きい子達を見るわねえ。レティシアちゃんは小さな子たちに読み書きを教えてあげて」
クルシタさんの指示のもと、小さな女の子たちと一緒に勉強を始める。
一番小さな子でもそろそろ文字そのものを覚えてきたから、単語の書き取りを行っていくと良いわね。
「えへへ……」
何やらベルタが文字を書きながら嬉しそうにしている。どうしたのかと問いかけると、ベルタは自分で書いた『レストラン』の文字を大事そうに撫でた。
「最近ね、お店の看板が読めるの。レティシアちゃんたちのおかげだね」
「ベルタ……」
自分がとても恵まれていることに、私はここへと通うようになってから気付いた。
偽善かもしれない。けれど、私はこの笑顔が見たいと思う。
贖罪なんて関係なく、少しでも力になれたらと思うのだ。
「ベルタが頑張っているからよ。もっと頑張ったら、本だって読めるようになるわ」
「本当⁉︎ 私、頑張るね!」
ベルタが子供らしい溌剌とした笑みを見せてくれたので、私も心から笑った。
勉強の時間を終えたら、今度はフリータイムだ。
元気な子は庭で、大人しい子は部屋の中で遊ぶ。
クルシタさんは先ほど大きな女の子たちとお菓子作りに向かった。私は女の子たちと刺繍をしていて、ルナと部長とカミロはかくれんぼに混ざることにしたようだ。
「なあケイゼンおばけーー! キャッチボールやろうぜ!」
テレンシオは基本的に室内にいるのに、なぜか活発な男の子に絡まれがちだ。
げんなりとした様子を隠そうともせず、テレンシオは男の子のつむじを押した。
「……ケイゼンおばけは酷いんじゃないの?」
「だってお前ケイゼンしかやらねえじゃん! 俺はキャッチボールがやりたい!」
俺も俺もと集まってきた子供たちによって、ケイゼンおばけは孤児院の前へと引き摺り出されていった。
私は私で3人に刺繍を教えなければいけないので助けている暇はない。頑張って、テレンシオ!
「レティシアちゃん、ここうまくいかないよ」
「どれ? 直してあげるから、ちょっと貸してね」
エプロンにウサギの刺繍だなんて可愛らしい。これはリスになってしまう前に、なんとかしてあげないと。
ちくちくと手直しすることしばらく、終わった頃になって庭に面した食堂の窓が開いた。
どうやら早々に見つかったらしく、カミロが苦笑しながら顔を覗かせる。
「いやー、まいった。子供の探索能力を甘く見てた。あれじゃすぐにでも竜騎士になれるんじゃないか?」
「ふふ、そうかもね」
カミロは第一回目の訪問にして、すっかり溶け込んでしまったようだ。
一人っ子だけど子供は好きそうだものね。元気な男の子の相手をしているところなんて、まるで慣れているみたいに上手だったし。
……そういえば。
カミロは一度目の人生で、子供がいたのかしら?
久方ぶりの疑問に行き当たった私は、思わず口をつぐんだ。
いいえ、もしそうなら私と結婚しようとはしないはず。
産まれるはずだった自分の子供を無かったことにするような人じゃないもの。
じゃあ、結婚は?
そんなの当たり前じゃない。カミロはこんなに格好良くて優しいのだから、綺麗な奥さんがいたって少しもおかしくないわ。
当たり前だと思うのに。
どうして、こんなに苦しいの……?
「……レティシア?」
私が顔色を悪くしたのに気付いたのか、カミロが怪訝そうに首を傾げる。
この疑問は今口に出していい話じゃない。
だから私は誤魔化すように笑って、あえて話題を変えた。
「カミロがすっかり馴染んでるから感心していたのよ」
「そう見えるか?」
「ええ、すごく楽しそう」
「それはそうかもな。俺は今、レティシアへの尊敬を新たにしているところなんだから」
真っ直ぐな目で真っ直ぐな言葉を投げかけられてしまうと、どうしたらいいのかわからなくなる。
私は何も立派な人間じゃない。
孤児院という場所を知らなかった。
一度目の時は王妃にまでなったのに、勉強をしたくてもできない人がいるなんて、考えたこともなかったのだから。
「カミロはもっと大きなところで皆を助けられる人じゃない。私なんて小さなことしかできないもの」
「そんなことないだろ。君だって、たくさんの人の力になれるよ。それだけ勉強してきたんだから」
照れを誤魔化す言葉を並べたら、また大きな肯定が返ってきた。
私は今までになくじんわりと、胸が温かくなっていくのを感じた。
カミロの目にお世辞も嘘も存在していないのがわかる。
だから背中を押されるようにして、今まで一度も口にしたことがなかった夢の話がころんと転がり出てきたのだ。
「……私ね。誰でも通える読み書きの教室を開きたいって、思ったことがあったの」
この国では貧富による教育格差がある。
私はボランティア部で活動するようになってから、読み書きの教室を開きたいと思うようになった。
でも、あまりにも現実味のない夢であることもわかっていた。
将来は就職して細々と暮らしたいと願っていた私。お金も場所も時間も、何もかもが足りないのは明白だったから。
「えー! レティシアちゃん、教室開くの?」
「いいなあ。私通いたい!」
「私も!」
刺繍をしている手を止めて、女の子たちが一斉に顔を輝かせる。
私の無責任な言葉にこんなに喜んでくれるなんて思わなかった。ぼやけたシルエットでしか存在しなかった夢が、彼女らの笑顔を見ていると輪郭を成していくような気がする。
「いいなそれ。レティシアらしい」
そして、カミロまでもが優しい笑みを見せてくれるから。
「……本当?」
「ああ。応援するよ、絶対に」
胸が熱くて落ちつかない。
本当にできるのかなんてわからないけれど、子供たちが、カミロが背中を押してくれたことが、こんなに嬉しいだなんて。
「……ありがとう」
私は声が震えそうになるのを我慢して、やっとの思いでお礼を言うのだった。
事件は帰りがけに起きた。
リナ先生もやってきて、そろそろ部員たちを集めて帰ろうかという時のこと。
男の子たちが木の枝を振り回しながら走ってきたのだ。
「ルナ、危ない!」
彼らが前を見ていないことと、その先にルナがいることに気付いた私は、咄嗟に前へと踏み出してしまった。
そんな経緯があって、男の子たちとぶつかった拍子に眼鏡が落ちたのである。
相棒が地面に落下した音を聞きながら、私は開けた視界にルナの姿を捉えた。
まん丸な目で私を見つめる、かつての侍女の姿を。
もしかして私、またやらかしましたか……?