第二王子殿下は良い人です ②
図書室の見慣れた奥の一角。
いつかのようにカミロが作り上げた結界の中、エリアス様が机に肘を突いた姿勢で頭を抱えている。
記憶を取り戻したエリアス様に事の次第を説明するのに時間はかからなかった。あとはご本人が受け入れられるかどうか、というところだけれど。
「……帰って寝たい」
——ですよね!!!
ごめんなさいエリアス様。私がヘマをしなければ、こんなに混乱させることもなかったのに……!
「思い出したもんは諦めろ、エリアス。むしろ俺は、近々お前には記憶の蓋を開けてもらおうと思ってたんだぜ」
カミロは特に動じた様子もなく、腕を組んでエリアス様の対面に腰掛けている。私はカミロの隣に座っているので、ようやく起き上がったエリアス様の顔が青ざめているのがよく見えた。
「……僕が記憶を取り戻すと、何か良いことがあったかな」
「あるだろ。自分が何で死んだのか思い出せば、回避することができるだろうが」
(えっ……! 本当だわ!)
私は目から鱗が落ちる思いだった。
どうして考えつかなかったのだろう。エリアス様本人が記憶を取り戻すことは、死を回避するために最も確実な方法ではないか。
とは言っても、何の前置きもなく記憶を取り戻してもらうのが最善だとは到底思えない。
青い顔をしたエリアス様に心配になった私は、無礼と知りながらも口を挟むことにした。
「エリアス様、混乱させてしまい申し訳ありませんでした。
ご自分の最期を思い出すなんてお辛いでしょう。無理にお話していただかなくても結構ですから、本日はお休みになられては如何ですか」
学年1位のエリアス様に、よりにもよってテスト週間でのこの仕打ち。
本当に申し訳なくてちょっと泣きそうだ。
「……いや、大丈夫だよレティシア嬢、何一つ君のせいじゃない。確かにカミロの言う通り、僕はどこかで記憶を取り戻すべきだったんだ。むしろ感謝しないと」
エリアス様は優しいお言葉と共に、青白い顔で微笑んでくださった。
うう、どれだけ優しい方なのかしら。歳の近いご兄弟だけど、苛烈なアグスティン殿下とは正反対の性格よね。
「しかし、留学先で馬車の事故で死亡、か。僕も運がないな」
エリアス様が苦笑して見せる。
カミロは当時を思い出したのか、若草色の瞳を伏せた。
この二人はもちろん一度目の時も仲が良かったから、エリアス様が亡くなった時のカミロはすごく落ち込んでいた。
私もとても悲しくて、棺に眠るお顔を見られなかった。
「ともかく、記憶を取り戻したことは僥倖だったね。あの馬車に乗らなければ死なずにすみそうだ」
「留学自体やめた方がいい気がするけどな。まあ、時間はあるしゆっくり考えたらいい」
安堵の息を吐いたカミロが椅子に深く座り込む。
エリアス様はまだ青白い顔をしていたけれど、一応は自分なりにこの事態を消化してくれたみたいだった。
私としては申し訳ない気持ちを拭い去ることはできないけれど、聡明な方で良かったと思う。死を回避できるのなら、彼が言った通り何よりの僥倖に違いないのだから。
安堵に胸を撫で下ろしていると不意にエリアス様と目が合った。
思慮深いサファイアブルーは、幼子でも見るように細められている。
「兄上と婚約していた頃、いつも寂しそうな君のことが心配だった。僕が死んだ後まさか処刑されていただなんて……」
エリアス様は本当に、いつも心配してくれていた。
自分の兄に嫁いだ女が処刑されたとあっては、感じるものもたくさんあるのだろう。
「国外にいた僕にはわからないことの方が多い。けど、兄が不実だったことは確かだ。申し訳なかった、レティシア嬢」
「そ、そんなっ……! エリアス様が謝られるようなことではありません!」
まっすぐに頭を下げた第二王子殿下に、私は青ざめて首を横に振った。
本当に人が良すぎる。私は稀代の悪女と罵られて死んだような存在で、その評判は決して嘘ではないというのに。
「私が悪かったんです。あの頃は、本当に、馬鹿で……。アグスティン殿下に見限られて当然です」
「話を聞く限り、君は人を殺すようなことをしたわけじゃない。処刑されなければならないほどの罪だとは、僕には思えない」
エリアス様が難しい顔をして返した言葉は、否定する材料のないものだった。
確かに私は、法の面で見れば処刑されるほどの罪を犯したわけではない。
それなのにいつの間にか税金の横領と反逆罪の汚名を着せられて、結果として断頭台にかけられたのは、恐らくは私が邪魔だったから。
アグスティン殿下は手を尽くして王妃を処刑に追い込んだ。恐らくは自分の恋人を、正式に王妃へと迎えるために。
「よせよ、エリアス。レティシアの言うように、お前が謝ることじゃない」
カミロが放った声は明るかった。私が死んだ原因を認識し合ったことで淀んだ空気が、結界の外に流れ出していくような気がした。
「そうですよ、エリアス様。もう無しになった未来での出来事ですもの」
私も同じようにエリアス様に笑いかける。
そう、二度と起きない未来での出来事であって、起きることのないようにこれからも頑張ればいいだけのことだ。
決意を固めて両手に握り拳を作っていると、不意にエリアス様が悪戯っぽく笑った。
「……そうだね。何せ二人は婚約したんだから」
にっこりと微笑んで首を傾げるエリアス様。そのお顔は麗しく、周りに纏う空気までもが輝くようで、正に絵本の中の王子様といった風体だ。
しかし、これは間違いなく揶揄いたい時の表情だろう。エリアス様はとても優しい方だけど、面白そうなものを見つけると悪戯心が湧く悪癖がある。
「カミロも隅に置けないよね。ついこの間までは恋愛なんかより男子とバカやっていたいタイプだったのに」
「おい、エリアス!」
カミロが俄かに顔を赤くしてエリアス様の胸ぐらを掴み上げた。下手したら罪に問われても仕方がない暴挙だが、そもそもカミロも王族だし、この二人は仲が良いので何をしようと無効のようだ。
……ん? 恋愛よりも男子とバカやりたいタイプ?
思い返せば確かにそういう風にも見える気がするけど、名だたる美少女たちに囲まれていたからそれなりに経験しているかと思ってた。
「あはは、慌てちゃって。良いじゃないか、人生悔いがないようにしないとね。
なあ、レティシア嬢が初恋なのかな? 僕にだけでいいからこっそりと教えてくれないか」
「お、お前いい加減にしろよ……! レティシアの前でよくもペラペラと!」
友人同士の二人はそのままぎゃあぎゃあと言い争いを始めてしまった。楽しそうな様子に苦笑しつつ、頬杖を突いて見守ることにする。
それにしても、私が初恋だなんてそんなことあるはずないのに。エリアス様ったら楽しい方ね。