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第二王子殿下は良い人です ①

 6月も中旬となったこの時期、私にとってはとても大事なイベントが待ち構えている。


 そう、期末試験である。


 週末が明けて月曜日。ついにテスト週間に突入したアラーニャ学園では、二週間後の試験本番に向けてピリピリとした空気が漂い始めていた。


 隣の席のアロンドラも、いつもなら魔法学の本を読むところを数学の参考書を開いている。

 この才女は魔法学研究院への進学を希望している。エリートが集まるアラーニャ学園だが、卒業後はすぐにお嫁入りをする女子が多い中で、彼女のような進路希望はとても珍しい。


「はあ。魔法学だけ勉強していればいいなら楽だったのだがな」


 これはアロンドラの口癖だ。彼女は魔法学以外に一切の興味を持たないが、進学のためにはその他教科も勉強しなければならないので、テスト週間になるといつも気怠げにしている。


 とは言っても、必要最低限の勉強時間で10番以内をキープしているのがアロンドラの凄いところなのだけれど。


「来年は受験勉強があると思うと心底憂鬱になるよ。魔法学の研究時間が減るなんて本末転倒だ」


「アロンドラなら大丈夫よ。きっと受かるわ」


 私もまた数学の参考書をめくりながら笑うと、ふとこちらを見たアロンドラが不思議そうな顔をした。


「そう言えばレティシア、君はどうして勉強をするのだね。婚約が決まった今となっては、もう頑張らずとも良いのではないか」


 確かに私はもう就職を目指しているわけではない。

 けれど、知的好奇心を制限する必要はないと思う。


 一度目の人生では勉強なんてしたことがなかったけれど、やってみたら案外楽しかったのだ。


 知への欲求などというものが自分にもあると実感した時は、目から鱗が落ちる思いがした。

 勉強したことは裏切らない。それは何も学校で学んだ知識がそのまま活かせるということに限らず、勉学で得た経験そのものが糧になるということを、今の私は知っている。


 例えば、効率のいい宿題のやり方。


 自分にとっての集中しやすい環境の作り方。


 疲れた時に休憩を取ることの大切さ。


 頑張って結果が出た時の達成感。


 それらは全て、二度目の人生で得たものなのだから。


「楽しいからいいのよ。何が役に立つか、わからないしね」


「ふむ。その笑顔……確かに自称ガリ勉かくあるべしといった調子だな」


 アロンドラは呆れたように笑って、また参考書と睨めっこを始めた。


 私も頑張らなくちゃ。最近は色々ありすぎてあまり勉強に時間を割けなかったし、今日も図書室で集中しようかしら。




 授業が終わって放課後、私は図書室へ向かうべく廊下を歩く。

 そろそろ夕日の赤が周囲を染め上げ始めている。既に生徒たちが帰宅した今、廊下を行き交うものは殆どいない。


「やあ、レティシア嬢。ご機嫌いかがかな?」


 背後から声をかけられたので足を止めて振り返ると、そこにはこの国の第二王子、エリアス・リコ・オルギン様が立っていた。


 兄であるアグスティン殿下と血の繋がりを感じさせる整った顔立ちに、麗しくも優しげな笑み。

 サラサラのプラチナブロンドは夕刻の日差しに映え、サファイアブルーの瞳は吸い込まれそうなほどの輝きを放つ。


 カミロやアグスティン殿下と同じくらいの人気を集める彼もまた、この学園のスーパースターなのだ。


「ご機嫌よう、エリアス様。お久しぶりですね」


 覚えていてくれたことが嬉しくて、私は笑みをこぼした。


 テストで毎回学年一位を取るエリアス様は、アグスティン殿下に負けず劣らずの優秀さで先生方からも一目置かれる秀才。


 一年の時には同じクラスだったので、私のガリ勉ぶりを面白がってよく声をかけてくれたものだ。


 確か授業の内容について討論し合った時のこと、不意にエリアス様が「君、本当は一位が取れるんじゃないの?」と図星すぎる指摘をしてきたことがあった。


 その時は適当に誤魔化して納得してもらったのだけれど、私は彼をとんでもなく勘が良くて鋭い人だと認定することにしたのだった。


 二人揃って歩き出す。恐らく、エリアス様も図書室に用があるのだろう。


「本当に久しぶりだね。調子はどう?」


「うーん、そうですね。勉強の調子としては、あまり良くないかもしれません」


 何せ最近は色々あったので勉強に集中できなかった。

 そんな言葉だけは飲み込んで苦笑すると、エリアス様は少し首を傾げて、すぐにああと得心したような声を出した。


「そういえばカミロと婚約したんだってね、おめでとう。あいつに頼まれたよ、兄上に広めないように言っておいてくれって」


 私は驚きのあまり無様に口を開けた。


 そうだ。そうだったわ。

 エリアス様とカミロは同じクラス。そして二人は従兄弟であると同時に仲のいい友人同士なんだった……!


 穏やかで物静かなエリアス様と快活なカミロ。どう見ても正反対の彼らだけれど不思議と馬は合うらしく、よく一緒に行動しているのは有名な話だ。


「ありがとうございます……」


 結局のところ、私は顔を赤くしてお礼を言うことしかできなかった。

 見上げた先のエリアス様は、ますます笑みを深めた様だ。


「ふふ、聞いたときは驚いたよ。どこで知り合ったの?」


「えっ⁉︎ それは、ええと……図書室、です」


 一度目の人生を考えなければそういうことになるだろう。

 しどろもどろになったことを照れている故だと勘違いしたらしく、エリアス様は揶揄う調子で続ける。


「へえ、何だかいいね、そういうの。運命的な感じがする」


 穏やかに笑うエリアス様は、私とカミロがどう見ても釣り合わないことについて疑問にも思っていない様子だ。


 公平で気さくな第二王子殿下。

 一度目の人生で学園に通っていた頃、よく私のことを気にかけてくれていた。


 兄が不義理をして申し訳ないと、困ったように眉を下げて。王子殿下なのに身分も気にせずに謝ってくれるから、むしろ私の方が申し訳なくなって、気にしないでくださいと笑ったものだ。


 エリアス様はとても気が付く人で優しくて、ものすごく勘が鋭いところがある。

 学園の人気者でもあるのだから、目立ちたくない今の私にとってはあまり近づくべき相手ではない。


 それでも仲良くしてきたのには、ある決定的な理由があった。


 エリアス様は卒業後の留学先にて事故で命を落としてしまう。私はその悲劇的な未来を防ぎたいと思っているのだ。


 一度目の人生で学園に通っていた頃、エリアス様にはすごく勇気付けてもらった。

 海外での事故を防ぐことなんて私にはできないけれど、何とかして留学を考え直してもらうことならできるかもしれない。


(……あら? そういえば、カミロは記憶を取り戻していて、エリアス様とも仲がいいのよね。もしかして、協力できるんじゃないかしら)


 その思いつきがあまりにも希望に満ち溢れたものだったので、私は思わず息を呑んだ。

 そうだわ、どうして気が付かなかったの。今度カミロに確認してみなくちゃ……!


 私は心の中で決意を固めて、動揺を誤魔化すべく自分から話題を振ることにした。


「エリアス様は、ご結婚は?」


「そうだなあ。いずれは結婚するとは思うけど……まだあんまり実感湧かないかな」


 この国での平均結婚年齢は20歳くらいだ。アラーニャ学園は18歳で卒業なので、在学中にも結婚を意識し出す者が多い中、エリアス様に焦りはないらしい。


 それはそうよね。こんなに素敵な方である上に王子殿下なんだから、いくらでも素敵なお嫁さんが見つかるもの。


「君たちみたいな運命的な出会いをしてみたいものだよね?」


「なっ……! 揶揄わないでください、エリアス様」


 頬が太陽にでも照らされたみたいに熱くて、どれほど赤くなっているのかを想像したら余計に恥ずかしくなった。

 私の必死の抗議が笑顔で受け流されたところで、ちょうど図書室にたどり着く。

 どちらともなく口をつぐんで中へと入ると、エリアス様は私だけが聞き取れる程度の小声で言った。


「あ。もしかして、カミロと勉強するんだ?」


「え? 違いますけど……」


 エリアス様にしては的外れな指摘だ。私はもちろん否定したのだけれど、少し上にある美貌は笑みを絶やさない。


「いいや、これは逢引と見た。だって君たち、図書室で出会ったんだろう?」


「だからってそんな……違います、私は一人で勉強しに来たんです」


「怪しいなあ」


 にやにやとでも形容すべき笑みを浮かべたエリアス様が、軽い足取りで後をついてくる。私は早々に諦めて、気さくな王子殿下とのやりとりを受け入れることにした。

 まあいいか。一人で勉強を始めるところを確認すれば、きっと諦めもつくだろう。


 と思ったのに。


「よ、レティシア。……エリアス?」


 カミロはいた。まさに二度目の人生で再会した時の、あの椅子に腰掛けて。

 驚いたように目を丸くしたカミロを認めた途端、背後のエリアス様が小さな歓声を上げたのが聞こえた。


「やっぱりそうじゃないか!」


「ちっ、違いますよっ!」


 エリアス様はかつてないほどの喜色に溢れた笑みを浮かべており、私は真っ赤になって応戦しなければならなかった。


 うう、なんで! なんでこんな時に限っているのよお!


「ははあ。冗談半分のつもりだったんだけど、これはお邪魔だったな。いいもの見た」


「う、え、エリアス様! ですから、揶揄わないで下さい……!」


 私は必死になるあまり、周囲への気配りを疎かにした。一応小声で話すことだけは忘れなかったけれど、足元まで見る余裕なんてどこにもなかった。


 カミロが何かを叫ぶ。それと同時に、私は本棚の前に置かれた踏み台に蹴躓いて、大きく体を傾がせた。


 倒れると思った瞬間、素早い動きを見せたエリアス様に抱きとめられてしまう。

 私は大失態を演じたことを自覚して、すぐさま謝ろうと顔を上げた。


 そんなわけで、転びかけた衝撃で眼鏡がずれているだなんて思いもしなかったのである。


 綺麗なサファイアブルーの瞳をまん丸にしたエリアス様が、たっぷり10秒ほど固まっている間に、カミロがやってきて私たちを引き剥がした。


 そうして改めて目を合わせたエリアス様は、掠れた声でこう呟いたのだ。



「レティシア妃……?」



 頭のすぐ上で低いため息が吐き出されたのを感じる。


 ……うん、ええと。

 これはわりと、今生でも最大級のやらかしですねえ!


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