ゴミ拾いをしよう! ②
「貴女は確か、クラスメイトの……!」
まず初めに声を上げたのはヒセラ様だった。
女神もかくやといった美貌で微笑めば、森に囲まれた登山道ですらとても神聖なものに見えてくる。
私はこの状況も含めて圧倒されてしまい、挨拶を返すので精一杯になった。
「ご、ご機嫌よう。レティシア・ベニートです。ヒセラ様」
「こんにちは、レティシア様! 大変な偶然ですね。デートですか?」
わ、わあ! ヒセラ様がぐいぐい来る……!
普通ならアグスティン殿下を放っておいて会話をするなんてありえない。けれど平民として育ったという彼女の奔放さこそが、この王太子殿下を射止める要因になったのだろう。
二人はまだ出会って数日で、学園の外に共に出かけるほど仲良くなったのだ。
「ヒセラ、そう踏み込んだ質問をするものではないぞ」
「あっ! そうですね、アグスティン様。わたしったら、つい……」
ヒセラ様を諌めるアグスティン殿下の目が優しい色を湛えている。一度目の時、数えることもできないほど眺めてきた二人のやりとり。
二度目の人生となった今生でも、見かけたら胸が痛むだろうと覚悟していた。けれど実際に目の当たりにしてみた今、いい意味で予想は外れたようだ。
全然苦しくないし、お幸せにとしか思えない。今日の空の如くすっきりとした心情を確認して、私はそうとわからないほどに小さく笑った。
けれど、カミロはそうは思わなかったらしい。
「……紹介してくれよ、アグスティン。そちらの御令嬢は一体どなただ?」
一見微笑んでいるけれど、問いかける声はいつもより数段低い。
かつてのカミロは二人が仲良くしているところを見かけては、私に対する不義理だと怒っていたものだ。
それは二度目の人生でも変わらないらしい。
でもね、もういいのよ。私、苦しくない。もう傷ついたりなんてしていないから。
「ヒセラ嬢だ。彼女は転校してきたばかりでな、近隣の案内を頼まれたのだ」
アグスティン殿下がカミロと私を交互に見る。その瞳は当然冷たいーーと思ったのだけれど。
何だろう。どことなく、探るような慎重さを感じる。
この間は婚約のことで一悶着あったから、気にしてくださっているのかしら。そんな気遣いをする方じゃなかったと思うけど。
「へえ。王太子殿下が直々にね」
カミロが薄い笑みを浮かべて短く言った。
本来なら王太子殿下に案内を頼むなんて不敬にも程があるし、アグスティン殿下は分を弁えない者が嫌いだ。
それなのに快く引き受けたということは、ヒセラ様のことを憎からず思っていると示したことに他ならない。
「アグスティン様、お友達ですか? 仲がよろしいんですね」
ヒセラ様が明るい笑みを振りまく。王子様の特別になったことを理解していなさそうな透明感のある笑顔だけど、もしかすると彼女は全てわかっているのかもしれない。
何せヒセラ様は、自らハンカチを落としたくらいなのだから。
「従兄弟のカミロだ」
アグスティン殿下の紹介はそっけないものだった。
そういえばこの従兄弟たちが話しているのをあまり見たことがなかった。この間は状況のせいで喧嘩腰になっていたと思っていたのだけど、もしかして本当に仲が良くないのだろうか。
「どうも。カミロ・セルバンテスだ」
「ヒセラ・エチェベリアです。よろしくお願いしますね」
二度目においては初対面の二人が自己紹介をしたところで、アグスティン殿下がカミロへと視線を向けた。
「私からも聞くが、婚約者と逢引きか?」
……え? 何、その質問?
アグスティン殿下はヒセラ様といる時他に興味を示さない。それなのにどうして、そんなことを聞いてくるの。
私が驚いて呆然としている間、ついにカミロの顔から笑顔が消え去った。剣呑に目を細め、私を隠すように前へと進み出る。
「今はボランティア部の活動をしているんだ。俺たちは忙しい、そろそろ失礼する」
私はこの時、途方に暮れるような顔をしていたと思う。
カミロが庇ってくれたことが、すごく嬉しくて。
どうしてこんなに嬉しいと思うのかわからなくて、戸惑っていたから。
「ボランティア部……?」
アグスティン殿下は私たちの格好を上から下まで眺めた末、ぴたりと私に視線を据えた。
「君は、ボランティア部だったのか」
話しかけられたことにも、君という二人称で呼ばれたことにも、私は腰を抜かしそうなくらいに驚いてしまった。
一度目の人生の時も、この間会った時も、お前という呼び方が揺らぐことはなかったはずなのに。
そもそも、どうしてボランティア部に興味なんて持ったのかしら。奉仕精神から一番対極にいる人だと思ったけど……?
「は、はい殿下。とてもやりがいを感じております」
「……そうか。励むといい」
アグスティン殿下が頷くと同時、カミロの広い背中が視界を遮った。
以前婚約を断って一悶着あった時に私が怯えたから、心配して庇ってくれたのだろう。
正直に言ってアグスティン殿下に関わるのはとても怖いし、できることなら会話もしたくない。だから私はそっと息を吐いて、カミロの背中越しに恋人たちの会話を聞いた。
「ヒセラ嬢、モレス山はまたにしよう」
「え? ですがアグスティン様、せっかく連れてきて下さったのに」
「ボランティア部とやらに鉢合わせすると面倒だ。案じずとも機会はいくらでもある」
ヒセラ様は残念そうにしていた様だったが、アグスティン殿下に迷いがないこと知るとすぐに引き下がった。
短く挨拶をして去っていく二人の背中を見送り、木立の中に消えていったところで体の力を抜く。
はあ、驚いた。こんな偶然ってあるのね。
「レティシア、大丈夫か? 顔色が悪い」
「ええ。大丈夫」
問われて顔を上げると、カミロが心配そうに私を見つめていた。目を細めて眉を顰めたその表情を見るに、私はよほど顔色を悪くしていたのだろうか。
「ありがとう、カミロ。庇ってくれたのね」
「そんなの当たり前だろ。びっくりしたな」
カミロがもう大丈夫だよと言って笑うので、私も彼に心配をかけないように微笑んで見せる。
アグスティン殿下が話しかけてきたのは驚いたけど、ただの気まぐれよね。私を気にかけるなんてこと、どんな意味でもあり得ないはずだもの。
「やっぱり君はまだ、あいつのこと……」
カミロが小さく呟いたことに、動揺を引きずっていた私は気付くことができなかった。
その後、私たちは他愛のない世間話をしながらゴミを拾った。
一度目の人生の時と同じ、どうでもいいからこそ楽しい会話。時間はまたたく間に過ぎ去り、集めに集めたゴミを抱えた私たちは、昼前には頂上にたどり着いたのである。
頂上には観光地らしく売店があって、お土産や軽食などが売られていた。店の外にまでたくさん配置された木製ベンチの一角に、朝別れて以来の顔が集っている。
「あ、先生もいらっしゃるわ」
既に部員全員が集合していて、その中には私のクラスの担任でもあり顧問でもあるリナ先生の姿もあった。恐らく観光用の魔導ゴンドラを使ってここまで登ってきたのだろう。
「レティシアさん、カミロさん、お疲れ様でした」
リナ先生がにこやかに手を振る。栗色の髪を高い位置で結んだ髪型がよく似合っていて、カジュアルなシャツとパンツ姿も素敵だ。
ボランティア部の活動はいつも休日なのだけど、リナ先生は必ず顔を出してくれる。
「先生、来てくださってありがとうございます」
「ふふ、もちろんです。むしろ遅くなってごめんなさいね」
今日に関しては確か午前は新聞部の取材を見にいくと言っていたので、終わってから大急ぎで来てくれたのだろう。本当に頭が上がらない。
「新入部員さんもよく集めましたね。立派です」
「ええ、張り切ってしまって」
カミロは入部届提出の際、リナ先生に挨拶を済ませている。
誰よりも巨大化したゴミ袋をぶら下げたカミロは、特別驕るでもなくいつもの笑顔だ。
「それでは皆さん、お疲れ様でした。ご馳走しますのでアイスクリームでも食べていきましょうか」
リナ先生の提案に、部員たちは一斉に沸き立った。特にクルシタさんの反応は誰よりも明るい。
寮暮らしの私たちにはこのまま学園に戻れば昼食が待っている。けれど売店も気になるなあというのが、なかなか学園の外に出ない寮生の本音なのだ。
本当にリナ先生って優しいし、粋な人よね。
「先生、リュックを持ちましょうか!」
「本当にマルティンくんは気遣いの人ですね。大丈夫ですよ、ありがとう」
部長は内申点稼ぎ狙いの平常運転、そして全てを察したリナ先生が笑顔で受け流すのもいつものやりとりだ。
運動とは無縁のテレンシオがぐったりとした様子なのも、クルシタさんとルナが余裕そうなのも、まったくいつもの光景で安心する。
つい先ほどアグスティン殿下とヒセラ様に会ったのが、何だか嘘みたい。
私たちはぞろぞろと連れ立って売店へと向かった。
クルシタさんが懐から財布を取り出して、リナ先生が人数分のアイスを注文したところで前へと進み出る。
「名物シナモンドーナツと黒ソーセージのホットドッグ、あとは焼き芋。全部3つずつくださいな」
まさかの3周。相変わらずクルシタさんは凄い。
私たちはみんなで外のベンチに座ってアイスクリームを食べた。
緑と土の香り。柔らかく照らす太陽の下で、仲間の笑顔が輝いている。
一度目の人生での孤独と比べると、今の人生はなんて幸せなのだろう。
労働の後のバニラアイスは格別で、冷えた感触と甘味が全身に染み渡るようだった。この味も黒薔薇のままだったら知らずに生きていたんだと思うと、感慨深くなる私なのだった。




