ゴミ拾いをしよう! ①
アラーニャ学園は王都から数十キロ離れた田舎町に存在する。山に囲まれた風光明媚な土地であり、モレス山は徒歩15分の有名な観光スポットだ。
瞬く間にやってきた週末。モレス山の登山口にて、私たちボランティア部のメンバーは集合していた。
みんな山歩きに相応しく、背にはリュック、服装はシャツにズボンの軽装をしている。
「晴れてよかったですね!」
「そうねえ。6月にしては涼しい気もするし」
ルナとクルシタさんも準備万端だ。もちろん私も。
淑女は乗馬以外でズボンを履いたりはしないのだけど、スカートではゴミ拾いなんてできないから今日は特別なのだ。
「ふむ、やはりテレンシオ君は遅刻か」
苦笑気味に言った部長は最早慣れた調子だが、私は責任を感じて眉を下げた。
遅刻者一名。いつものこととはいえ、先輩を待たせるなんてやっぱり良くないと思う。
「申し訳ありません。同級生として一応は伝えたのですが……」
「テレンシオ君?」
カミロが首を傾げるので、私はようやく彼らがまだ会ったことがないと気付いた。
「テレンシオ・カスティージョ侯爵令息。私たちと同級生のボランティア部員よ」
ボランティア部には幻の五人目がいる。
カスティージョ侯爵と言えば、近衛騎士団長を務める傑物だと聞く。
その長男であるはずのテレンシオは悪い人ではないのだが、基本的に無気力で遅刻欠席の常習犯なのだ。
この間もミーティングにいなかったので後で声をかけたら、「6限の間ずっと寝てたら授業が終わっても誰も起こしてくれなかった」とのこと。
恐らくは今日も朝寝坊だろう。もう少し待つべきかと提案しようとしたところで、遠くから歩いてくる人影があった。
私たちと目が合っているにもかかわらずまったく急ぐ様子がない。ゆったりと到着したテレンシオは、これまたゆったりとした動作でお辞儀をした。
「皆さん、おはようございます。お待たせしてすみません」
透明感のある榛色の瞳。低めの身長と、文化部らしくひょろりとした体つき。
端正な顔立ちはアッシュグレーの髪に隠れ気味で、その表情は起き抜けのようにぼんやりとしている。
「おはよう、テレンシオ」
全然早くないけど。みんなが優しく挨拶を返した分も言外に嫌味を込めて言うと、テレンシオはまず欠伸で返事をするという暴挙に出た。
「ごめんて……。そう棘のある声を出さないでくれよ、レティシア。昨日は遅かったんだ」
「またケイゼンの研究でしょ。今日は山登りなのに、大丈夫なの?」
テレンシオはケイゼンというボードゲームが大好きらしい。入れ込んでいると言ってもいい。
それならケイゼン研究会に入ればいいのにと思ってしまうが、彼曰くレベルが低すぎて話にならないから、比較的活動時間の少ないボランティア部に入った方が都合がいいとのこと。
アラーニャ学園は帰宅部がないのに部活動強制参加だから、やりたい部活がない人は活動時間の少なさで選びがちなのだ。それでも中々ボラ部を選ぶ人は珍しいんだけどね。
ちなみに、テレンシオはケイゼンの大会で一位になったとの噂を聞いた事がある。私は詳しくないけど、界隈では結構名が知られているとか。
「頑張るよ……と、あれ?」
テレンシオはあくびを噛み殺しつつ、ようやくカミロの存在に気付いて視線を止めた。
「初めまして。二年のカミロ・セルバンテスだ。つい最近入部したばかりだから、いろいろ教えてくれ」
カミロがいつもの笑みで手を差し出す。こうして見ると、彼らは拳二つ分ほどの身長差がある。
「テレンシオ・カスティージョ、同じ二年生だよ。よろしく」
まったく動じた様子もなく微笑みを返したあたり、テレンシオはカミロのことを知らないのかもしれない。
何せケイゼン以外に全く興味がない男なので、学園で一二を争う人気者を知らなくても不思議はない。
しかし二人が握手を交わしたところで、テレンシオが不自然にも笑顔のまま固まった。
みるみるうちに眉間に皺が寄っていくのだが、一体どうしたのだろうか。
「ええっと……カミロだっけ。力、強いんだけど……」
「ん? ああ、悪かったテレンシオ。運動部仕込みの握力なんで、ついな」
顔を引き攣らせての訴えに、カミロはすぐに握手をやめて青白い手を解放した。するといつになく素早い動きを見せたテレンシオが、私の後ろに回り込んでくる。
「ねえレティシア、この人何? ちょっと変わってない?」
「ええまあ、変わってはいるかもしれないけど……」
テレンシオも大概変わっているし、お互い様だと思う。
男子生徒という生き物は初対面でもじゃれたりできるのだから羨ましい。一人微笑ましい気持ちになっていると、カミロがすっと目を細めた。
何だろう、あまり見た事がない顔だわ。何となく怒っているように見えるけど、特別なことなんて起きてないし気のせいよね。
「若人は元気だな。ほら、集まったなら早速活動始めるぞ!」
部長がからりとした笑みで場をまとめてくれたので、私たちは山に向かって歩き始めた。そのため、カミロの違和感ある態度について問うことはできなかった。
まずは登山口の受付で入山と清掃活動の申請をする。
部長が連絡してくれていたお陰でスムーズに受付を済ませた私たちは、その場で方々に散っていくことにした。
地図でいくつかの脇道や分かれ道が存在することを予習した私たちは、それぞれの担当箇所を隈なく清掃する計画を立てているのだ。
モレス山は標高が低く子供でも登る事ができる山。この辺りでも屈指の観光名所なので、休日である今日は観光客で賑わっている。
ボランティアは挨拶が基本だ。すれ違った人と挨拶をすると皆笑顔で返してくれるし、気さくな人はゴミ袋を持っていることに気づいて「偉いね頑張って」と声をかけてくれたりする。
こういうやりとりの楽しさも醍醐味のひとつよね。王太子妃だった頃では到底味わえなかった感覚だわ。
道端に落ちていたお菓子の紙袋を麻でできたゴミ袋に放り込む。ちゃんとトングを持ってきたので効率も良く、目についたものを片っ端から拾い上げていく。
澄んだ空気も美味しいし、緑の色は目に優しい。
私は気分を良くしたのだが、隣を歩く赤髪を見上げれば、気になることもいくつか生まれるというものだった。
そう、各自解散したというのに、私はいつの間にかカミロと合流してしまったのである。
やっぱり私って何かをやらかしそうだと思われているのかしら。カミロが側にいる方が、婚約が露見する可能性が高くなると思うんだけど。
やっぱり離れた方がいいわ。そう提案しようと口を開きかけたところで、ふいにカミロがこちらを振り向いた。
「……なあ、レティシア。テレンシオと仲が良いのか?」
そして脈絡のないこの質問、カミロは一体どうしてしまったのだろうか。
私は訝しみながらも一応頷いた。ゴミが落ちているのを見つけて、また麻袋に放り込む。
「そうね、部活仲間だもの。優しいし話しやすいわよ」
「それなら、俺だって優しいだろ」
ええ? 何の戦いをしているの、この人?
そんなことよりゴミを拾って欲しいんだけど……って、カミロのゴミ袋、ぱんぱんだわ。いつの間に!
もう一度カミロと視線を合わせる。若草色の瞳が何かを切実に訴えかけているような気がして、私は思わず立ち止まってしまった。
「やっぱり入部して正解だった。レティシアは結局、面倒見が良くてお節介焼きだし、良くも悪くも芯が強いから……どれほど目立たずいようとしても、人を惹きつけるんだ」
「え? そう、かしら……?」
褒められているのか諌められているのかよくわからないことを言われ、私は反応に困って首を傾げた。
カミロがすっと目を細める。そう確か、つい先ほどテレンシオとじゃれた後に見せた表情だ。
「なあ。まさか、テレンシオのことが好きとか言わないよな」
「はいぃっ⁉︎」
私は今度こそ我慢できずに馬鹿みたいな声で叫んだ。
いきなり何を言い出すんだろう。私にとってテレンシオは友達以外の何者でもないし、テレンシオの恋人はケイゼンなのに。
「そ、そんなはずないじゃない! どうしてそう思ったの?」
「レティシアは一度目の時から数えても、俺の体調を心配したり、嫌味を言ったり……そんなことしてくれなかっただろ」
「ええ? それはカミロがいつも健康で、怪我すらしなかったからでしょう。竜騎士は危険な仕事だってわかっていたから、もちろんいつも心配していたわ。嫌味だって、言う必要がなかったからで……」
特に深く考えずに言葉を返した私は、ようやく閃くものがあって口を閉じる。
「レティシア、君の婚約者は誰だ?」
暗い熱を宿した瞳に見つめられ、私は無様にもゴミ袋を落としてしまった。
がちゃりと鈍い音が足元から聞こえたけれど、気に留めることすらできなかった。
今がゴミ拾い中でなかったなら抱き寄せられていたかもしれない。何の根拠もないのに、妙に確信めいた想像が頭の中を掠めていく。
もしかして。
うぬぼれかもしれないけど。
嫉妬、してるの?
「答えてくれ、レティシア。今すぐに君の口から聞かないと、俺は」
だってそんなこと、想像すらしないじゃない。
私は愛された事がなくて、振り向いてくれない人を追いかけることしか知らなかった。
だから、こうして真っ直ぐに私を見つめてくれる人とどう向き合えばいいのか、わからないんだもの。
「そ、それは……もちろん、カミロ、よ」
頬に熱が集中して、真っ赤に熟れた林檎のように染まったであろうことがわかった。みっともない顔を見られたくなくて、私は慌てて俯いた。
「……ん。ありがとう、レティシア」
カミロが一歩前に歩み出てきて、私の額に口付けをした。
柔らかい感触が触れたのは一瞬のことで、驚くことすらできなかった。私は反射的に周囲に誰もいないことを確認して、抗議をするべくカミロを見上げる。
それなのに間近にある彼の笑みが、幸せそうに綻んでいたので何も言えなくなってしまった。
その時のこと。ふとカミロが目を見張るので、私は彼の視線の先を辿って背後を振り返った。
そして登山道を登ってきた二人の人物を認めるなり、血の気の引く音を聞いたような気がした。
「アグスティン……」
カミロが地を這うような声で名前を呼ぶ。
アグスティン殿下とヒセラ様はどう見てもお忍びデート中といった様子の距離の近さで、揃って驚いたような顔をしてこちらを見つめていたのだった。