第83話.2つ目の謎
「もう一つの聞きたい話?」
「はい。アルザート軍があの場面で撤退した理由を聞きたかったのです。我々は最後に夜襲を仕掛けましたが、何の成果も得ることが出来無かった。なのに、陛下は撤退の判断を下されました。その理由がずっと分からなかったのです」
「……なるほど」
エレイアは、リガルの言葉にそう呟くと、紅茶を口に含みしばらく間を取る。
10秒ほどの静寂の後、エレイアは口を開いた。
「まぁ、それも話せないような内容じゃない。全て話そう」
そしてエレイアは、リガルに対してスナイパーであるレオを警戒したこと、それからエイザーグを逆侵攻してもアルザートにとっては然程利が無いことなどを話した。
それを聞き、リガルは非常に納得した。
まず、レオを警戒したという話。
夜襲が失敗した時点で、リガルは敗北決定に近い大ピンチに陥ったと考えていた。
しかし、レオというチート過ぎる存在がいれば、使い方次第でまだまだチャンスは生まれる。
実際、夜襲の時もエレイアを討ち取りかけた。
エレイアが警戒するのも当然の話だし、現時点で冷静に振り返ると、敗北決定は大袈裟だったように思える。
もう一つの、エイザーグの逆侵攻が、アルザートにとって大した利益が無いというのも、言われてみると当たり前の話である。
リガルがもしもアルザートの視点に立って、あの戦争を考えていれば、もしかしたらもっと早くエレイアの撤退の意図を理解できていたかもしれない。
「なるほど。完全に合点がいきました。ありがとうございます」
「それは良かった。今度はこちらからも教えてもらいたいことがある。夜襲の時も使ってきた、あの遠距離攻撃。あれは一体なんだ?」
「それは……」
エレイアの問いに、リガルは口ごもる。
スナイパーはロドグリスの機密情報――とまではいかないが、そう簡単に他国の人間に教えるわけには行かない情報だ。
とはいえ、これだけ話を聞いておいて、リガル側からは何も話さない、などということがまかり通るかどうか。
父上に聞いてみないと話して良いか判断が付きません、などといって先延ばしにすることは可能だろうが、そんなことをすれば心象が悪くなるかもしれない。
リガルは頭の中で少し考える。
(いや、そもそもアルザートとこれから戦うつもりはない。これからはヘルトとの戦いに集中するのだ。アルザートと再び敵対することになるのは、少なくとも10年以上は後になるだろう。となれば、こちらの切り札であるスナイパーについて、多少なら話しても良いか)
結局、リガルは話すことを決断する。
「分かりました。完全に話すのは無理ですが、軽くならお話ししましょう。まず、あの遠距離攻撃を行っている魔術師を、私は『スナイパー』と名付けています」
「スナイパー……。聞いたことが無い言葉だな」
「ははは、それはまあ、私が適当に名付けただけで、意味や語源なんて全くありませんから」
このリガルの言葉は完全なる嘘だが、まさかスナイパーが異世界の職業である、などと本当の事をいう訳にはいかない。
そんなことを言えば、頭がおかしい奴だとしか思われないだろう。
「そうなのか。して、そのスナイパーというのは一体どんな戦い方をするんだ?」
「戦い方……。そうですね、やることは基本的に遠距離から隠れて魔術を撃つこと。それだけです。ただ、当然50m程度では簡単に見つかってしまいますから、その2倍、3倍以上の距離は離れる必要があります」
リガルはエレイアの言葉に答えていく。
しかし、流石はリガル。
スナイパーの全てについて話している訳ではない。
リガルが話したのは、スナイパーの狙撃する距離などの、誰でも簡単に想像がつくような大したことのない情報。
だが、この情報を話したことで、将来アルザートがスナイパー部隊を組織して、エイザーグやロドグリスと敵対することになっても、リガルに大打撃を与えることは絶対に出来ない。
その理由は、別にレオのように長距離狙撃が出来る人材を育成できないだろうという予測ではない。
実際、レオ程ではないが、それなりの距離を狙撃できる人材は育てることに成功している。
狙撃技術だけならば、それなりに時間を掛ければ、大体の人間が習得できるとリガルは思っていた。
だが、スナイパーに求められるのは、狙撃技術だけではないのだ。
――掩蔽技術。
これが重要なのだ。
スナイパーのことを知らない相手ならば、ガバガバな隠れ方でも見つからないだろうが、スナイパーについてある程度知っている――少なくともこの世界においては誰よりも知っているリガルには、通用しない。
また、単純な狙撃でも、スコープのような道具を使うことを思いつかなければ、厳しいかもしれない。
スナイパーについて話しても、どこまで話すのかはリガルの裁量次第だ。
いくらアルザートと敵対するつもりが無くとも、これくらいの警戒はしておくべきだろう。
「なるほど、随分と良い話を聞かせて貰った。色々落ち着いたら、少し試してみたりもしたいものだ」
エレイアも、隠していることに気が付いているのか、気が付いていないのかは不明だが、この説明で納得したような様子を見せる。
仮に気付いていても、リガルが隠しているという証拠は出せないので、余計な追及は無意味だからだ。
「流石に一朝一夕では身に着くものではありませんよ?」
試す、というエレイアの言葉を聞いたリガルが、そんなことを言う。
これには、リガルがエレイアに試すのをやめさせたいという裏の意味が隠されている。
例えリガルには通用しなくとも、エイザーグ相手には通用するだろうし、リガルが関わっていないロドグリス軍にも通用するだろう。
僅かながらリスクが無いわけではない。
僅かでもリスクがあるのなら、それをケアしようとするのは当たり前の事。
「まぁ、スナイパーの育成が無理でも、遠距離射撃の訓練を行うことは、射撃精度の向上が見込めるし、ちゃんと意味があることだからね。もののついでのようなものだ」
「さようでございますか。しかし、あまり他人に口外するのは避けていただけるとありがたいです。秘密と言うほどではありませんが、同盟相手のエレイア陛下だから話したことですので」
そこまで言われては、リガルが止めては逆に違和感を覚えてしまう。
大人しく引き下がるしかない。
とはいえ、何もしないリガルではない。
貪欲に、出来る限りの利益を上げ、損失を抑えようとするリガルは、最後にエレイアに話した情報を口外しないようにお願いすることも忘れない。
これは、単なる口約束で、拘束力など全くといって良い程無いし、何よりそれを破ったかどうかなど、リガルが確かめようがない。
それでも、こう言っておくだけで多少の牽制にはなる。
また、『同盟相手のエレイア陛下だから話した』などと言っておくことによって、特別感を出して恩を着せる。
こういった言葉による細かい駆け引きも、リガルは中々得意なようだ。
「もちろん口外などしないさ」
エレイアとしても、わざわざ他国にスナイパーの事を教えるメリットが無いので、簡単に言質を与える。
言われなくとも口外などするつもりはない。
「そう言って頂けるとありがたいです」
その後もリガルとエレイアは、互いの国の軍事制度などについて色々と話した。
互いに、別段隠している訳では無いような、調べれば簡単に分かってしまうような内容を教え合っただけであるが、リガルとしては随分と有意義な時間を過ごせたようだ。