第165話.不動
「さて、と。助けに来たは良いが、これから10000の兵を相手に、こちらはたったの3000。一体どうやって戦うべきか……」
リガルを救援すべく、帝国の地に足を踏み入れ、そして無事にリガルの下に辿り着いたポール将軍。
しかし、肝心の帝国との戦いに関する策は、全く考えていなかった。
何故なら、これまではリガルの下に辿り着くことで精いっぱいだったからである。
何せ、リガルは元々行軍ルートもはっきりとは決めていないし、相手の動きに合わせてフラフラと進路を変更するのだ。
おおよそここら辺にいるだろう、と予測を立てて向かっても、いつの間にか全然違う場所に行ってしまっていたりする。
そのため、合流してから後の事なんて、考えている余裕がなかったのである。
とはいえ、今になってゆっくり作戦を考えている暇もない。
ポール将軍がやってきた現在は、リガルがもう今にも帝国軍に追いつかれる、というタイミングなのだから。
「やれやれ、思った以上に骨が折れるし、こんな大変な仕事安請け合いするんじゃなかった……。なんて言っても仕方ないからな……」
失敗した、とため息をつきながらぼやくポール将軍。
しかし……。
「とりあえずこっちは相手の力量すら把握できていないんだ。まずは様子見に徹するしかないな」
今更やめることはできないので、早速ポール将軍が動きだす。
奇しくも一手目は、リガルが最初に帝国と戦う時に取った戦略と同じであった。
やはり、天才同士通ずるところがあるのか、二人とも相手の情報を得ることには重点を置いているようだ。
「さて、ハイネス将軍。元々はあんたが言い出したことだ。あんたにもしっかり働いてもらうぞ」
「もちろんだ。で、私に何をしろと?」
「これから帝国とやり合うに当たり、まずは兵を左右に分けて戦いたい。鶴翼の陣を中央で二分して左右に広げたような形だな。その時、あんたには俺が指揮を執っていない方の部隊を率いてほしいんだ」
鶴翼の陣とは、V字の角度を広げたような形をした陣形のことだ。
日本では三方ヶ原の戦いという、若き日の徳川家康と、武田信玄が戦ったということで、非常に有名だ。
徳川家康が、生涯で唯一敗北を喫した戦いでもある。
特徴としては、初めから敵を取り囲むような形をしているため、包囲殲滅を狙う時に用いられることが多い。
が、今回は包囲殲滅を狙っている訳ではない。
「了解だ。しかし、どうしてそんな変わった陣形を使うんだ? どちらかを狙い撃ちされたら、面倒なことになりそうだが……」
ポール将軍の指示に対して、ハイネス将軍は反対したりはしないものの、その意図が気になり尋ねる。
確かに、鶴翼の陣は別に変った陣形ではないが、その中心から左右に引き裂いたような形というのは、この世界どころか地球でも見ない形だ。
それは、ハイネス将軍の指摘する通り、隙が生まれるためだが……。
「いや、むしろそれが狙いだ。どちらか片方を狙い撃ちしてきたら、鶴翼の陣に似た陣形を取ったことにより、もう片方の軍勢が背後を突いて包囲が狙える」
「な、なるほど……」
「だから、こちらの動きに、釣られるか釣られないか。また、どう対応するのか。手始めにそれを観察するんだ。いきなりから有利に事を進める必要性はない」
「……!」
ハイネス将軍は、ただただ感心することしかできなかった。
これが天才の戦略。
普通なら7000もの兵力差があったら、一か八かのような、派手な戦略に出がちになる。
しかし、ポール将軍にはそんな状況下で、冷静に事を進めることが出来る腰の重さがあった。
「さあ、では俺は右翼を担当する。あんたには左翼を任せるぞ」
「あぁ。分かった」
そう言って、2人はそれぞれ隊列を整えつつ部隊を二つに分け、別れていくのであった。
敵がすぐそこまで迫っているのに、そんな呑気な準備をしていられるのか、と思うかもしれないが、そこは問題ない。
帝国軍とて、ポール将軍たちの出現は予想外なのだ。
これまではリガルを追うことに集中していたし、まだ距離はあった。
そのため、陣形なども全く整っていない。
つまり、お互いに陣形などを整えたいので、ある程度の時間はあるという事だ。
とは言っても、相手の準備が整った場合は、その時点ですぐに攻めてくる。
そして、それは互いに同じことであるため、両者ともあまりのんびりはしていられないという焦りがあった。
結局互いに、自分たちが先に終わらせようという気持ちで、高速で陣形を整えた結果、終わったのはほぼ同時だった。
しかし、要した時間は同じでも、そのクオリティには差があった。
多くの人間が天才と評するポール将軍と、指揮に関しては一流のハイネス将軍。
その二人は焦りがありながらも、完璧な仕事をいつでもこなせる実力がある。
対して、帝国軍はまぐれでリガルを追い詰めただけの、平凡指揮官。
焦りに駆られた状態でまともな陣形が構築できるわけもなく、一部ぐちゃぐちゃのままだ。
とはいえ、俯瞰している訳でもないので、ポール将軍やハイネス将軍にそれは分からない。
臨戦態勢で油断なく敵が襲い掛かってくるのを待った。
ポール将軍たちは、時間を稼ぐことが目的であって、別にここで帝国軍を倒す必要性はない。
そのため、自ら攻撃を仕掛けたりはせず、相手からの攻撃を待っているのだ。
それに、兵を動かすと、よほどレベルが高い軍隊でもない限り、陣形が大きく乱れてしまう。
ロドグリス王国軍のような、世界トップレベルの実力を持つ軍隊でも、全く乱れることなく前進するのは難しいだろう。
だから、自ら動くと言うのは実はリスキーでもあるのだ。
しかし、帝国側はリスキーなどとは言っていられない。
ポール将軍を倒すべく、一気に全軍を以って襲い掛かってきた。
とにかく、こんなところでポール将軍と、ゆっくり戦っている暇など無いのだ。
ここは速攻でカタを付けて、どこかへ行ったリガルを再び追いかけたいところである。
まぁ、帝国軍の指揮官が、そこまで頭が回っているかは不明だが。
じわじわと距離を詰めてくる帝国軍。
そして、ポール将軍の方も……。
「よし、こちらも射撃開始!」
敵が150m程度の距離にまで近づいてきたところで、魔術の射撃を開始する。
もちろん、使っている兵はスナイパーでもないため、この距離を狙って当てることは不可能だ。
しかし、これだけの人数がいれば狙う必要はない。
むしろ、この射撃は相手に当てるためというよりは、相手の動きを鈍らせることが目的。
時間稼ぎが目的とは言え、防御に集中していたら、相手にプレッシャーを与えることが出来ず、そのまま守り一辺倒になってしまう。
逆に敵は、自分たちが攻撃されることを考えずに、思いっきり攻めることが出来るだろう。
そうなれば、一方的な展開になってしまう。
それが、仮に実際の戦況的には不利でなくとも、兵たちの心境的には、追いつめられているような気がするはずだ。
そして、気の持ちよう次第で、パフォーマンスは簡単に変化してしまう。
そうなれば、せき止められていた水が溢れだすかのように、一気に崩壊してしまうはずだ。
特に、ロドグリス王国軍は、兵力の上で帝国軍に圧倒的に負けているのだから。
時間稼ぎが目的とは言え、攻める気持ちを忘れてはいけない。
そのポール将軍の狙いがハマり、帝国軍の前進は一気に鈍る。
だが、それでも完全に止まった訳では無いので、じわりじわりと距離が詰まっていき、ついには狙って魔術を当てることが出来るほどの距離にまで両軍が近づく。
ただ、そこまでくると敵の狙いもはっきりしてくる。
「なるほど……。こっちが部隊を均等に分けたように、敵も部隊を均等に分けて来たか。次善手ってところだな。とはいえ、こっちの予想ではもっと悪手を打ってくれると思ったから、想定外だ」
悪手というのは、前にも言った通り、各個撃破を狙ってポール将軍とハイネス将軍の率いる、どちらかの部隊を集中的に狙ってくること。
そして、ポール将軍の考える最善手というのは、兵を2000と8000に分けること。
2000の兵で片方の部隊を足止めしつつ、8000の兵で残った部隊を片付ける。
これが、最も兵力差を活かした戦術だと言えるだろう。
しかし、均等に分けるのも悪くない。
そもそも兵力差が圧倒的なのだ。
5000対1500の戦いを二つの戦場で行っても、普通は簡単に勝利できるだろう。
ロドグリス王国軍にとっては、ポール将軍が悪手と言った攻撃を、敵が行ってくれることが、唯一の活路に思える。
(やれやれ……。最善でも最悪でも無い……。一番見分けにくい手で来たな……。しかも兵を均等に分けると言う非常に単純な手であるため、まぐれで悪手を回避できたとも考えられる。敵の指揮官の評価はまだ保留するしかない……)
ポール将軍は参ったな、とため息を吐く。
しかし、それは戦況が苦しいことに対してではない。
単に相手の力量がはっきり分からなかったことに、ため息を吐いただけである。
(とはいえ、少なくとも敵が非常に優秀である可能性は低い。恐らく良くて、中の上ってところだ。その程度の実力の奴に俺は、俺がやられることはない)
ポール将軍は、自分が負ける想像は微塵もしていなかった。
「さぁ、まずは右に展開しろ! 包囲されるのが一番最悪の展開だ! 広がりながらじりじりと後退して、相手の攻撃を上手く受け流すんだ!」
ポール将軍は指示を出していく。
それを受けたロドグリス王国軍の魔術師は、さらに右へと移動していく。
ポール将軍が受け持つのは、右翼。
先ほどハイネス将軍と左右に分かれたところから、さらに広がる形になる。
対する帝国軍も、じりじりと下がるロドグリス王国軍を逃がすものかと、どんどん前進して攻撃の手を緩めない。
耐えるロドグリス王国軍に対して、帝国軍は好調。
すでに大勢が決しているかのように見えるが……。
「掛かった」
ポール将軍が笑みを浮かべて呟く。
そう。
実はこれはポール将軍が仕掛けた罠だった。
ここから、ポール将軍の反撃が始まる。