第161話.立ち込める暗雲
――予想外の帝国軍の夜襲により、2日目の戦いはまだ真夜中のうちから幕を開けた。
これにロドグリス王国軍は激しく動揺するも、不幸中の幸いと言うべきか、敵がすぐそこまでやってくる前に、何とか気が付くことが出来た。
そのため、帝国軍の魔の手から逃れることに成功。
そのまま、昨日と変わらぬ鬼ごっこが始まった。
しかし、その内容は昨日とは若干の違いを見せる。
その「若干の違い」というのは、行軍のスピードだった。
午前中は、特に大した変化は見られなかったのだが、午後になるにつれて、兵の疲労が色濃く露わになったのである。
連日の行軍、満足に取れない睡眠――。
これらの要因により、体力に定評があったはずのロドグリス王国軍の魔術師たちが、ついに限界を迎え始めたのである。
おまけに、兵たち以上に疲労している者がいる。
そう。
ロドグリス王国の頂点に君臨する王にして、今回の戦いの総大将でもある、リガルだ。
リガルは昨日の時点ですでに限界を迎えていた。
一昨日の戦い。
ほとんどの兵は、帝国軍と戦っている間に、交代交代で休息を取っていた。
だが、リガルだけは戦いの合間を縫って、少し体を休める程度。
とても休息の部類には入らないような、気休め程度の休みしか取れていない。
そんな状態で、一睡もせずに帝国領に侵入したのである。
その後睡眠はとったものの、それは僅かに4、5時間程度。
そしてまた今日も4、5時間程度の睡眠で、行軍を開始したのだ。
体力トレーニングもまともにしていないリガルが、平常でいられるわけがない。
無論、リガルは自分の足で歩いているわけではなく馬を使っているので、多少はマシであるが。
しかし、馬に乗っていると言っても、体力消費が無いわけではない。
すでにリガルは限界を突破していて、今は気合だけでギリギリ持ち堪えている状態だ。
もはや体はおろか、脳も動かないだろう。
結果、行軍ルートも無駄のあるルートを選択してしまい、兵の疲労による行軍スピードの低下に拍車をかけた。
対する帝国軍も、疲労はあるだろうが、まだまだこの程度では音を上げたりしない。
いつも通りの行軍スピードを保てている。
それにより、正午を過ぎたあたりから、徐々に1時間ほどあった距離が詰まり始めたのだ。
とはいえ、ロドグリス王国軍も意地がある。
簡単には土俵を割らないとばかりに、粘りを見せた。
だがそれでも、夕方ごろにはいよいよ30分ほどの距離まで詰めらてしまう。
このままでは今日の夜頃には戦闘になってしまうのではないか――。
そんな焦りがリガルの中に生じてきた。
そうなれば、絶体絶命。
一巻の終わりである。
だが、ここは偶然がリガルに味方した。
何と、帝国軍が突如その動きを止めたのである。
どうやら、道中で魔物の大軍に襲われてしまったようだ。
行軍中に魔物に遭遇することはよくある。
しかし、それも基本的には数匹程度。
軍と呼べるほどの数の魔術師がいれば、問題なく対処できる。
だが、今回帝国は弱い魔物ながら、大きな群れに襲われたようだ。
魔物の強さが大したことが無かったことが、帝国軍にとっての不幸中の幸い。
逆に、ロドグリス王国軍にとって残念だったところだ。
結局帝国軍は、この魔物の大軍を3時間程度で殲滅。
被害はほとんどなかった。
しかし、これによりロドグリス王国軍は、帝国軍との交戦の危機を回避。
何とか這う這うの体で、近くにあった帝国側の都市を奪い取り、そこで休息を取ることが出来た。
この偶然により、ロドグリス王国軍は、都市での休息に加えて約2時間半の猶予を手に入れた。
とはいえ、これは延命でしかない。
今日は何とか生き延びることが出来ても、まだ鬼ごっこは5日間続く。
何かしらの打開策を打つことが出来なければ、ロドグリス王国軍に未来は無い。
それは、明らかであった。
ー---------
――翌日。
今日は昨日と違って、敵が夜襲を仕掛けてきたりすることも無かった。
そのお陰で、十分な時間の睡眠を、まともな寝床で取ることが出来たリガル。
体調も、朝起きて感じた限りでは、普段にかなり近い状態にまで復活していた。。
それでも、リガルの機嫌は最悪だった。
昨日は完全に帝国軍の指揮官に出し抜かれた形となり、自分がミスをしたという屈辱的事実を突きつけられたのだから。
まぁ、それはリガルの勝手な想像で、実際は完全なる偶然により起こった不幸なのだが。
そんな訳で、とにかく打開策を考えなくてはならないのだ。
しかし……。
(打開策って言ってもな……。敵と戦うことは出来ない。しかも、ここは帝国のテリトリー。おまけにこっちは帝国とやり合う前にヘルト王国軍と戦っていて、すでに消耗しまくっている。こんな状態でどうやって乗り切ればいいんだ?)
――1週間逃げ切ればいい。
帝国軍と戦う前、リガルはそんなことを思った。
もちろん、それが間違っているわけではない。
ただ、見通しは甘かった。
一週間逃げ切るという事は、言葉で耳にするよりも圧倒的に難しい。
帝国と戦う前、リガルが脳内で行ったシミュレーション。
そこでは間違いなく成功していたし、そのシミュレーションに誤りは無かった。
だが、そもそもシミュレーションを行う前の条件設定が間違っていたのだ。
兵は駒じゃない。
士気や体調によって、その時の能力が良くも悪くも大きく変化したりと、不確定要素が存在する。
それをも考慮しなければいけない訳で、命令一つで完璧にその能力を発揮してくれる駒とは違うのだ。
このミスも含めて、今回は全体的にリガルの経験不足が、浮き彫りになる結果になったと言えるだろう。
センスだけではカバーできない部分が、全て一斉にリガルに牙を剥いてしまった。
(だが、そんなことは言ってられない……。どうすればいい? この状況を打開する策……!)
しかし、リガルは必死に考え込むも、すぐに答えが出ることは出なかった。
そのまま出発の時刻がやってきて……。
「陛下、準備が整いました。いつでも出発できます」
レオが報告にやってくる。
「よし、じゃあ行くか」
そろそろ帝国軍も近くまで迫ってきている。
リガルも思考を一度止めて、腰を上げる。
確かに、何か打開策を考えなければ、このままではジワジワと追い詰められる一方だ。
だが、事態はそこまで差し迫っている訳ではない。
もちろん、今の状態は余命宣告をされたも同義ではあるため、楽観視は出来ない状況だ。
それでも、昨日の帝国軍が魔物の群れに襲われた事件のお陰で、かなり体力も回復できた。
少なくとも、今日捕まってしまうということはないだろう。
現実的に厳しくなってくるのは、恐らく4日目の夕方から5日目の午前中辺り。
考える猶予はある。
焦り過ぎるのは、閃きを阻害する。
ピンチと言えども、ここは慌てず落ち着いて対応するべきだろう。
リガルは、焦りや不安に駆られながらも、冷静さは失っていなかった。
こうして、ロドグリス王国軍と帝国との鬼ごっこは、三日目が幕を開けたのであった。