第16話.魔術オタク
研究所の中は、リガルが想像していたような、内装ではなかった。
まず中に入ると、建物のサイズに比べて、広々としたエントランスが出迎えてくれる。
壁や床は木造。
余計な装飾はほとんど施されておらず、せいぜい観葉植物が置いてあるくらいだ。
あとは、ソファとテーブルのセットがいくつか置いてあり、ちょっとした休憩所のようになっている。
右の端の方には、受付みたいな人がいる。
基本的には、部外者の立ち入りを禁じている王立魔術研究所であるが、例外もある。
国のお偉いさんや、魔道具の流通を担う、有力商会のトップなどだ。
そういう来客のために、一人くらいは受付を用意しているようだ。
(他に人もいないし、あの受付のお姉さんに話しかけてみるか)
しかし、リガルがそう思い、足を運ぼうとした瞬間、受付のお姉さんもリガルたちの様子に気が付く。
「え、子供!?」
突然の来客に、驚いているお姉さん。
しかも、それが子供であるのだから、その驚きもひとしおだろう。
「すみません。ここの研究員の方に会わせて貰えないでしょうか?」
この様子だと、無理そうだなと思いながらも、物は試しとリガルはお姉さんに尋ねてみる。
「え、えぇ……。そう言われても、ここは部外者立ち入り禁止だし……」
(まぁ、そうだよな……。魔術が分かる人間じゃないと、切り札であるアイスシールドを見せても意味がない。さて、どうしたものか)
案の定許されない。
しかし、引くわけには行かない。
軽く悩んだ末にリガルは、とりあえず嘘を吐いてみることにする。
「実は俺たち、魔術学園の生徒でして。ここの研究員の方に言伝を学園長に頼まれているんですよ」
「え……。でもそんな話は聞いていませんが……」
だが、そんな雑な策では通らない。
「あれー? おっかしいなぁ」
適当に誤魔化す。
嘘であることは認めない。
(来客が来るときは、このお姉さんに話がちゃんと通るのか)
一度嘘を吐いてしまうと、新しく嘘を吐くことも難しい。
(やれやれ、どうしたものか……)
リガルが悩んでいた時だった。
「何をしているんだ?」
不意に、後方から低い壮年の男の声がする。
「しょ、所長!」
その声に、お姉さんが反応する。
(所長だと!? はは、ラッキーな人物と出会えたぜ)
リガルは自然と口角を吊り上げる。
「実は、この子たちが勝手に入ってきちゃって……」
「ふむ、それはいかんな。ここは部外者立ち入り禁止なんだ。すまんが出て行ってくれ」
所長は、リガルたちを追い出そうとする。
まぁ、普通はそうなる。
だが……。
(所長が相手なら、切り札が通用する!)
「お願いします! 少しだけ話を聞いてください!」
「ん?」
真剣な声音と表情で言ったのが良かったのか、話くらいは聞いてくれそうだ。
こうなれば、リガルの思い通りだ。
「これを見てほしいんです」
早速、杖を構えて、アイスシールドを発動する。
「……ん? あ、な……!」
それを見た所長は、眼を最大限に開いて驚く。
「こ、これは……! まさか氷なのか!?」
(キター! 釣れた! 釣れました! よしよし、魔術師なら、これを見て興奮しないわけがないと思ったんだよ!)
切り札がきっちりハマったことで、リガルは心の中で大喜びするが、表向きには冷静さを保って……。
「この魔術を使って――」
「貸してくれ! これを調べたい!」
氷の魔道具を作ることをお願いしようとするも、興奮した所長がそれを遮る。
それどころか、リガルの手に持つ杖を奪い取ろうとする。
別に、盗みを働こうとしているのではなく、単純にこのアイスシールドの魔術を研究したいだけだろうが。
しかし、今この切り札を奪い取られたら、この所長はリガルの話を聞かずにどこかへ行ってしまうだろう。
「ちょ、落ち着いて話を聞いてください!」
子供の弱い力で、必死に杖を守りながら、所長の理性を取り戻そうと奮闘する。
(くっ、完全に想定外だ。まさかここまで我を失ってしまうとは……。実に恐ろしいな、アイスシールド)
だが、暴走してしまっている所長は中々抑えきれない。
攻防の末、リガルが奪い取られそうになったその時……。
「ちょっと! 何をするんですか!」
レイが割って入って、危機一髪リガルを救う。
「た、助かった……」
安堵するリガル。
それに対して……。
「か、返せ! それは革新的な魔術なんだ!」
レイに取り押さえられたまま、じたばたと暴れる所長。
返せ、などと言っているが、アイスシールドの魔術は所長の物ではない。
アイスシールドにあまりに驚愕したためか、完全におかしくなっている。
幼女に拘束されている爺さんという絵面も、中々に新鮮だ。
レイの助けにより、ひとまず安全になったリガルは……。
「お願いします。話を聞いてください。それさえ聞いてもらえれば、報酬とは別にこちらの魔術――アイスシールドの術式盤を差し上げます」
冷静になって、所長の説得を再開する。
なお、勝手に「アイスシールドの術式盤を差し上げます」などと、言っているが、本来の持ち主はテラロッドである。
「……なんだ? 話とは」
しかし、効果はてきめんだったようで、聞く耳を持ってくれたようだ。
リガルは、この機を逃すまいと話を進める。
「はい。実はこの魔術を使って、氷の魔道具を開発できないかと考えまして」
「……! 詳しく聞かせてもらうとしようか」
そう言って、所長はどこかへとゆっくりと歩き出す。
(ついて来いってことかな?)
リガルは、テラロッドとレイの2人の合図を送りながら、所長の後を追う。
無言のまましばらく歩いていると、建物の2階にある、とある部屋に通された。
部屋の中はあまりに簡素で、とても来客を通す部屋とは思えない。
不必要なものを可能な限り取っ払っていると言った感じだ。
「ここは私の仕事部屋だ。適当に掛けてくれ。今飲み物を淹れよう。紅茶でいいか?」
「え、えぇ」
もちろん、クライス商会の時のように、給仕をしてくれるメイドもいない。
棚からティーカップと茶葉を取り出して、所長自ら用意する。
逆に珍しいものだから、リガルは辺りを見渡しながら硬いソファに腰を落ち着けた。
テラロッドとレイもそれに続く。
「ほれ」
一息ついたところで、ちょうど紅茶が出される。
「ありがとうございます」
礼を言って、それに口をつける。
所長の方も、自分で淹れた紅茶で喉を潤すと……。
「で、氷の魔道具の話について早速詳しく聞かせてもらおうか」
前置きは嫌いなようで、すぐに本題を切り出す。
「はい、今自分の中で思いついた魔道具は2つ。製氷機と冷房です」
「せい……ひょうき? れいぼう?」
どうやら、リガルが挙げた、地球に存在した電化製品の名称は、どちらもこの世界では馴染みのないものだったようで、所長は首をかしげる。
「えぇ、1つずつ説明していきます。まず製氷機というのは――」
リガルは、丁寧にその電化製品の役割を説明していく。
氷の魔術を使って再現できる電化製品は、これ以外にもありそうだが、とりあえずはこれだけだ。
本来の冷房は氷とは一切関係ないが、この世界においては魔力から氷を生成することができるので、氷から発せられる冷気を利用する方が手っ取り早い。
本来の冷房は、気体の性質を利用して作られている。
今はその話は割愛するが。
「なるほど、部屋に冷気を送る魔道具と、氷を作り出す魔道具という訳か。氷を作り出す魔道具の方は簡単だが、冷気を送る魔道具の方は中々難しそうだな」
話を聞き終えて、所長は早速考えだす。
「あ、冷房の方は、考えがあります。少し紙を貰えませんか? 図にして説明するので」
「紙か。ここにある」
そう言って、所長は散らかった仕事机に、紙とペンとインクを取りに行く。
そして、リガルに渡した。
リガルは、早速ペンを持つと、紙に何やら書いていき……。
「このように、氷の魔術と風の魔術を組み合わせるんですよ。氷を作り出し、そこから漏れる冷気を風で室内に送り出す」
「ふむふむ」
事前に考えていた魔道具の案を説明していく。
所長も、リガルの話を聞いているうちに、創作意欲が溢れ出てきたのか、どんどんと興奮しだし……。
「よし、早速開発に取り掛かるぞ!」
しまいには、話の途中だというのに、立ち上がってしまう。
やる気なのは、リガルにとってもありがたいことだが、まだまだ話たいことがあるので、今すぐに開発を始められるのは困る。
(やれやれ、テラロッドだけじゃなく、この爺さんも趣味人なのかい。全く厄介だよ)
所長の様子に、心の中でため息を吐くリガル。
しかし、レイがそれを聞いたら、間違いなくリガルも同族だと突っ込むことだろう。
そんな自分の事を棚に上げたリガルは、暴走する所長を止めようと……。
「待ってください。話はまだ終わっていません」
氷の魔術のサンプルとして、アイスシールドの術式盤の入った杖を持っていこうとするのを防ぎながら、言葉をかける。
「一体何だ……。わしは一刻も早くこの世紀の発明に取り掛かりたいのだが……」
少しだけ声を荒げながら、振り向く所長。
見本となるアイスシールドの術式盤がなければ、作業に取り掛かれない。
そのため、リガルの話を聞かざるを得ない。
別にリガルとしても、嫌がらせで話を長引かせている訳でもないし、そんなことをする理由もない。
手早く話を終わらせようと、脳内でやらなければならないことをまとめると……。
「では手短に話します。私から求めるのは、知的財産権が私にあることを認めていただきたいことです」
「うむ。それくらいは当然だろう。そもそも原案はお前だ」
氷の魔術を、魔道具に利用することは、確かにリガルが一番最初に考えたので、原案はリガルだと言えるだろう。
しかし、実際のところ、氷の魔術自体を発明したのはテラロッドだ。
所長はそれを知らない。
そのため、テラロッド目線だと、かなり横暴な気もする。
テラロッド本人は、自分の発明の凄さを理解していないので、不満には思わないかもしれないが。
「次は、開発にかかる期間についてです。開発にはどれくらいの時間があればいいでしょうか? 私としては、出来れば早めにお願いしたいところですが」
「ふむ……それならば……」
リガルの言葉に、悩みこむそぶりを見せる所長。
リガルとしては、口には出さなかったものの、できれば、3か月以内には完成させてほしいが……。
氷の魔道具の需要が最も高まるのは、当然暑い季節。
今は4月の上旬。
できれば、暑さがピークになる8月を迎える前に販売まで漕ぎ着けたい。
そんな思惑を持っているリガルは、祈るように所長が次に紡ぎ出す言葉を待つ。
「2週間で完成させて見せようじゃないか」
「えぇ!?」
その言葉に、リガルは驚きのあまり、思わず叫んでしまう。
長くて3か月、早くて2か月と考えていたリガルとしては、その回答はあまりに予想だにしていなかったのだ。
「そ、そんなに早く完成させることが出来るんですか?」
「簡単ではない。しかし、氷の魔術などという全く新しい魔術を使った魔道具だろう? 自然と寝る間も惜しんで開発の手を進めてしまうだろう」
「な、なるほど」
(徹夜で開発って……。魔術オタクもここに極まれりって感じだな)
「それに……」
「ん?」
「その開発を終わらせれば、氷の魔術の開発に着手できる!」
(あー、なるほど)
これにはリガルも苦笑いだ。
まぁ、これほどまでの魔術の熱意を持つ人間が、この国に存在するという事は、順当に行けばこれからこの国を背負うことになるリガルにとってもいいことだ。
「では、最後に報酬の話です。金貨800枚でどうでしょうか?」
事前に予定していた額を提示するリガル。
だが、所長はそれに対して……。
「そんなものいらんよ。そもそもこの研究所の存在意義は、この国の魔術のさらなる発展。お前の依頼も、受けることでこの国の魔術はさらに発展する」
(た、確かに……)
元々、この王立魔術研究所は、金によって動くようなものではない。
受けたのは、ちゃんと研究所の仕事内容にそぐう依頼だったからだ。
「ありがとうございます」
「あぁ。で、話はこれで終わりか?」
リガルの礼に対して、どこか落ち着かない様子で応える所長。
「え、えぇ」
「そうか。では、私は早速開発に向かうとしよう!」
そう言うと、所長はリガルの持っていた杖から、手慣れた動きでアイスシールドの術式盤を取り出す。
そして、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「え、そんなあっさりどっか行っちゃうのかよ……」
リガルは、その背中を見つめながら、呆然と呟くのだった。