第149話.使者
――しかし、その翌朝の事だった。
「何? ランドリアの使者が来ているだと?」
「え、えぇ。恐らく降伏に来たのだと思いますが。追い返しますか?」
「は……? そんな訳ないだろ。連れてこい」
「ですよね」
早朝、早速行軍を開始しようとしていたところに、レオから使者が来たという話が告げられたのだ。
(降伏か。こちらとしてはラッキーだ。正直、この機会に一気にヘルト王国を奪い取りたいとは思っていたが、やはりリスクは犯したくない。ここで講和を結べば、ヘルト王国の全ては奪えなくとも、かなりの利益は手に入る。ここはもう、それで手を引くべきだろう)
ここでの降伏を受け入れるかどうかの選択は、ギャンブルでダブルアップを行うかどうかといったようなものだ。
ギャンブルならロマンを求めてダブルアップを行うのもまた一興かもしれない。
だが、国家運営は運否天賦に委ねることなどしてはならず、常に堅実でなければならない。
これ以上欲張るのは良くないだろう。
程なくして、レオが使者を連れて帰ってくる。
「連れてきました」
「そうか、じゃあお前は下がってろ」
「はい」
この使者との話は、ヘルト王国の存亡にかかわる、かなり重要な内容になると推測できる。
使者の方も、レオのような一般人が同席していることは、納得しないだろう。
別にレオを同席させたい理由も無いし、そんな下らないことで相手の反感を買いたくはない。
その意図を、レオも正確に読み取ったのか、リガルの言葉に大人しく頷き、この場を去った。
と、入れ替わる形で、今度はヘルト王国の使者がリガルの下にやってくる。
「お初にお目にかかります。リガル陛下。私は、ヘルト王国の魔術師で、ウルバスと申します。此度は、我らが王の使者として参りました」
「ほう……。して、ヘルト王の使者が、この私に一体何の用だ?」
深々と頭を下げるウルバスに対して、リガルは尊大な態度で構える。
また、リガルの声音はどこか芝居がかった様子であった。
しかし、ウルバスは、それを気にすることなく……。
「はい。本日は陛下に、こちらの書状に目を通して頂きたく」
「ふむ。いいだろう」
ウルバスの差し出した書状をリガルは手に取ると、早速封を切り、中身に目を通し始める。
そこに書いてあった内容を、簡単にまとめると、だいたいこんな感じだった。
まず、自らリガルの下に出向けないことの謝罪と言い訳。
それと、講和の申し出だ。
(恐らく、ヘルト王が自らこちらに来ないのは、自分の身の危険を案じての事だろうな……)
当然、リガルが現在ランドリアの身柄を確保しようとしていることは、ランドリア自身よく分かっている。
そんな中、自らノコノコと降伏の申し出に向かったら、どうなるか。
そんなのは、火を見るよりも明らかだろう。
しかし、「自分で行ったらお前に殺されそうだから、代わりに使者送るよ」などと、ストレートに言う訳にも行かない。
かといって、降伏したいとお願いする立場の人間が、使者を送って「こちらに来い」などと言うのはあまりにも無礼だ。
そのため「怪我をして自ら出向けない」などという嘘をついて、リガルの方から来てもらうようにしたのだろう。
リガルも、相手よりも現状優位な立場にいるにも関わらず、相手に動かされるのは不愉快だが……。
(まぁ、仕方ないか。これ以上リスクを冒してまで戦争を継続したくないというのは俺としても同じ。その舐めた態度も、とりあえず黙っておこうじゃないか)
自分の方が優位な立場にあるからと言って、何でもかんでも自分の言い分を通そうとしても、上手くいかない。
譲り過ぎるのもどうかと思うが、時には自分が折れた方が上手くいくこともある。
何事も匙加減が重要だ。
「そうか。そちらの要求は分かった。しかし、こちらからも一つ要求させてもらう。話し合いの舞台は、この先にあるリノ村とし、護衛の魔術師の人数は互いに10人以内とすること」
しかし、リガルも何もかも受け入れるわけではない。
リガルの方からも要求を伝える。
「それは……」
ウルバスはリガルに予想外の要求をされ、返答に窮する。
しかし、この要求は、リガルにとって当然の事であった。
確かに、この状況でヘルト王が自らリガルの下にやってきたら、リガルは本気で暗殺を狙っただろう。
だが、それは逆も然りだ。
ヘルト王国はリガル率いるロドグリス王国軍によって、滅亡の危機に瀕している。
そんな状況でも、敵国の王であるリガルを殺すことが出来れば、一気に持ち直せる。
いや、平時ならそんな卑怯な手でリガルを殺せば、同盟国であるエイザーグ王国が黙っていない。
しかし、今は平時ではない。
ヘルト王国が滅亡し、ロドグリス王国が一気に強大化するのは、エイザーグ王国としても好ましくない。
そのため、今ならヘルト王国がロドグリス王国に対して、卑怯なことをしたとしても、エイザーグは黙認するだろう。
だから、リガルの方も迂闊に敵のテリトリーに踏み入ることは出来ないのだ。
そこで考えたのが、話し合いの場をリノ村という場所にすること。
まず、村だから防衛の魔術師がいない。
さらに10人以内という、護衛の人数に制限を設けることによって、お互いに手出しをしづらくする。
これなら、お互いにある程度安全だと言える。
無論、抜け道はある。
だが、それを怖がっていたら、話し合いなどできない。
ある程度の妥協は必要だ。
これくらいはヘルト王国側にも吞んでもらいたいが……。
(まぁ、一介の使者に過ぎない奴が、俺の要求に対して返答することなど不可能か)
「別に今すぐ答えろとは言わない。一度帰って確認を取ってくると良い。ただし、無駄な時間稼ぎは許さない。明日中に返答を持ってこい。そして、話し合いは明々後日までに行う事。それが守れなければ、この話は無しだ。いいな?」
「……かしこまりました。それでは、失礼させて頂きます」
ウルバスは、リガルの言葉に一瞬顔を引き攣らせ、眼を泳がせたたが、結局はそれを受け入れた。
そして一礼し、この場を去っていく。
恐らく、一瞬「そんな無茶な」と思ったのだろう。
今のリガルが時間に厳しくなっていることは、ウルバスも分かっている。
しかし、だからと言って、今日明日でリガルとランドリアの下を行き来しなければならないのは、あまりに大変だ。
さらに、話し合いも明々後日と、かなり性急な日程となっている。
だが、受け入れるしかない。
時間的にはギリギリ不可能ではないのだから。
(さて、後はヘルト王が大人しく俺の言う事を受け入れてくれるかどうか、だな。気が変わったりしないといいが……)
無いとは思うが、ランドリアが「明々後日までに来いだと!? ふざけるな!」と激昂して、徹底抗戦に路線変更する可能性もある。
それリガルは懸念し……。
「おい、レオ!」
先ほどこの場から追い出したレオを呼び出す。
「何ですか?」
「お前さ、部下の魔術師数人にさっきの使者の後を追わせろ」
「え、なんでわざわざそんなことを……?」
「いや、ヘルト王が大人しく講和の道を選んでくれるとは限らないからな……。もしも路線変更したときのために、別プランを同時に走らせておこうと思って」
そう、リガルが考えているのは、ウルバスの後をこっそり追わせることによって、ランドリアの居場所を特定しようという事である。
最も、ランドリアの居場所を掴んだからと言って、確実に殺すことが出来るわけではないので、やはりメインプランは講和で変わらない。
しかし、いざという時には、ヘルト王の居場所の情報は大いに役立つことだろう。
「なるほど……。しかし、何故わざわざ私の部下を使うのですか?」
「いや、スナイパーって隠密行動に長けてるじゃん。それに、ワンチャン隙を見せたら、そのまま狙撃して殺してくることも出来る。俺としてはそれが一番ありがたい。もちろん、無理して殺しにかかる必要はないがな」
「なら、私が自ら行きましょうか?」
確かに、そういうことなら、世界最強のスナイパーであるレオが行くのが一番いいかもしれない。
レオならば、ランドリアを殺すこともかなり期待できそうだ。
しかし……。
「いや、お前にもスナイパーの動き方の知識はそれなりに教えてあるが、まだまだ心許ない。それに言っただろ? 無理に殺しにかかる必要はないと。お前はお前自身が思っている以上に、ロドグリス王国にとって重要な存在だ。それを自覚しろ」
「は、はい。すみません」
こうして、リガルはやるべきことをすべて終え、後はランドリアの返答を待つのみとなった。
いや……。
(……っと、そういえば、アレの方の対応もやっておかないとな)
まだ一つだけ残っている。
疎かにしては痛い目を見ることになる、非常に重要な「やるべきこと」が。
それをリガルは思い出し、早速それを済ませようと、行動するのだった。