第144話.知らぬ間に
――そして、場面はポール将軍がロドグリス王国軍によって奇襲された直後に戻る。
最初こそ、予想だにしなかった襲撃に、思考が停止しかけたポール将軍であったが、咄嗟の対応は彼の得意分野である。
そのため、ものの数十分も経たないうちに事態は収束しかけていた。
とはいえ、最初の攻撃で少なくない被害は出ているし、ポール将軍としては冷静ではいられない。
(クソ……。一体何故ロドグリス王国がこんな完璧な奇襲を行うことが出来たんだ? こちらとしては、十分警戒していたはずなのに)
ロドグリス王国の奇襲により被害を受け、心の中で悪態を吐くポール将軍。
そもそもヘルト王国軍は、ゲルトに向かっているであろうロドグリス王国軍を追いかけていたのだ。
ロドグリス王国軍が行軍中に何かを仕掛けてきたら、そんなものすぐに看破できる。
だというのに、ポール将軍は見つけることが出来なかった。
無論、油断していたため見過ごしてしまった、などと言うことは無い。
ポール将軍だけは、この戦いの終局図が見えていたため、若干の油断はあったかもしれない。
だが、下っ端の魔術師たちは、この戦いが勝てそうなのか負けそうなのか、未だ分かっていないのだ。
油断などするわけがない。
となると……。
(この奇襲は今仕掛けられていた訳じゃない……。もしかして、もっと前から……。いや、だとすると一体いつ……?)
ついにポール将軍が、疑問の答えに気付き始める。
(しかも、もっと前から仕掛けていたということは、こうなることを予期していたということ……。奴は俺の掌の上で踊っていたのではないのか?)
急速に明らかになっていく、これまで見えていなかった本当の現状。
これまで正しいと思い込んでいたことが、実はそうでなかった恐ろしさ。
それはまるで、何の変哲もなかったはずの道が、地雷原であったかのようだ。
(俺の策略が全部初めから看破されていたのか? ま、まさかこちらの別動隊の場所まで読まれて……! ど、どうすればいい。どうすればいいんだ!?)
動けない。
今いる場所が地雷の巣窟であると判明しては、平然とした様子で歩いていた状態から一変。
一瞬で足が凍り付く。
しかも、これはポール将軍自身には知り得ぬことだが、彼の嫌な予感は、悪いことに的中していた。
如何に咄嗟の判断力に優れているとはいえ、これまでずっと頼りにしてきた策略が、根幹からダメになったとなれば、そう簡単には立て直せない。
それでも、ポール将軍の心は折れることなく、最後まで思考を続ける。
(クソ……。どこまで策が看破されているかは分からないが、とりあえず最悪の状況を想定して、策を練り直そう。もしもこちらの別動隊の居場所がバレているのだとしたら、間違いなくそれは各個撃破される。要する時間は1時間――いや、それは流石に早すぎるな。……大体2時間くらいか)
ポール将軍は今回、別動隊として1200の魔術師を、ゲルトへの道中に配置した。
1200もいれば、いくらリガルが3000の魔術師で襲い掛かろうとも、流石にそうすぐにはやられないはずだ。
だからポール将軍としては、なんとか1200の魔術師が全滅させられる前には、救出に向かいたい。
あの別動隊がやられてしまったら、兵力差がほとんど五分になってしまう。
いや、それどころか今の奇襲で、逆に兵力の上でロドグリス王国側に有利を取られてしまう可能性すらある。
(今はもう、ここで決着をつけるなどと言っている場合ではない。とにかく被害を出さないようにしなくては……。それを念頭に置いて行動するなら、まずは……)
これからやらなくてはならないことが、段々とポール将軍の頭の中で固まってくる。
(うん。とにかく別動隊の救出に向かう事が、最優先事項だな。そのためにはこの奇襲部隊を倒す、もしくは退却させることが必須。そして、それに時間が掛かれば掛かるほど、こちらはダメージを負うことになる。はぁ……冷静にまとめてみると、最悪な状況だな。だが、やるしかない)
リガルに完全に嵌められていたことに気が付き、そのせいで怒りに顔を歪めながらも、ポール将軍は決意を固める。
そして……。
「全軍に告ぐ! これより反転して攻勢に出るぞ! この敵の奇襲部隊を倒さなくては、我々に未来は無い! だがしかし、もしもこいつらを倒すことが出来れば、兵力的に大きく有利を取ることが出来る! 今は、この戦争で最も重要と言っても過言でない局面だぞ! 武勲を上げようという勇猛な奴は、この俺に着いて来い!」
ポール将軍は、自軍の魔術師たちに発破を掛け、自ら戦場の最前線に躍り出る。
元々、武に秀でている訳ではないポール将軍。
恐らく、大陸全土の指揮官と比較しても、その実力は平均以下だ。
そしてポール将軍は、もちろんそれを自覚している。
それでも敢えて前線に出たのは、これくらいの危険を冒してでも兵の士気を上げる工夫をしなければ、この状況を打破することなど出来ないと考えたからだ。
(戦場で敵魔術師と戦うのなんて、人生で初めてだ。しかし、恐れるな。多少の危険が生じたところで、周りの魔術師たちがフォローしてくれるはずだ。それに、武に自信が無いとはいえ、一般兵と比較すればそこそこ上位に来る程度の実力はある。やられる可能性は冷静に考えて低い)
普段戦い慣れていないため、恐怖で僅かに手が震える。
しかし、ポール将軍も名家で生まれているため、貴族としての教育は一通り受けている。
武に秀でている訳ではないとはいえ、全然戦えないということもない。
何より、指揮官であるポール将軍を失う訳にはいかないというのは、他の周囲のヘルト王国軍魔術師も理解している。
何かあれば、助けてくれる。
そういうことを自分に言い聞かせ、最前線で杖を振るい戦い続ける。
だが、勇気を出して自ら前線で戦った甲斐はあった。
ポール将軍の演説と、自ら兵を引っ張ろうという背中に、元々士気が高かったヘルト王国軍魔術師の士気は、更に爆発的に上昇する。
これをきっかけに、ロドグリス王国軍の奇襲部隊に防戦一方だったヘルト王国軍が、突如敵の魔術師を押し返していく。
元々兵力的に、ロドグリス王国軍の上を行っていたヘルト王国軍が、士気までも最高潮になったのだ。
勝てないわけがない。
これまでの展開が嘘のように、ヘルト王国軍魔術師が怒涛の勢いでロドグリス王国軍魔術師を蹴散らしていく。
しかし、ロドグリス王国軍の奇襲部隊を率いるレオも、この程度であっさり敗北するようなタマでは無かった。
ヘルト王国軍が勢いづいていると見るや否や、あらかじめ想定していた動きであるかのように、鮮やかな撤退を見せる。
それを見たポール将軍も、逃してなるかと……。
「敵を逃がすな、このまま追いかけ――」
ロドグリス王国軍を追撃するように命令を出そうとするが、言葉の途中で黙り込む。
(いや、これは罠だ。敵の最初の攻撃。どこから飛んできたのかまるで分からなかった。恐らく敵にはスナイパーがいるのだろう。このまま突っ込んでは、その先で待ち構えているであろうスナイパーにやれてしまう……)
そう、ポール将軍はこれまで培ってきた天才的な勘で、レオの策を看破したのだ。
しかし、それを警戒しすぎて追撃できなければ、別動隊の救援になど向かえない。
レオたちロドグリス王国軍の奇襲部隊は、そもそも足止めが目的なのだ。
ここで立ち止まっては、思うツボである。
(かと言って、無策で突っ込むことも出来ない。ならば……)
「追撃しないのですか? 将軍!」
黙り込んだポール将軍に対して、周囲の魔術師たちが、焦れたように尋ねる。
それに対して……。
「もちろん追うとも。だが、敵は罠を張っている。普通に突っ込んでは危険だ。だから、隊列などはもうぐちゃぐちゃになっていい。その代わり、ジグザグに走れ!」
「……? よく分かりませんが、まぁ了解です!」
そう、これがポール将軍の考えた打開策である。
まぁ、正確には考えていないが。
これは、ポール将軍がロドグリス王国軍に対してスナイパーを使った時にリガルが使った対策だ。
この対策をリガルが実際に使ったところをポール将軍は見ていたわけではないが、帰ってきた何人かのスナイパーに聞いたのである。
(恐らく、ジグザグに走る意味は、スコープの枠内に姿を捉えられにくくすることなのだろう。流石はスナイパーを生み出した本人。その対策もばっちりという事だな。あの時は上手く凌がれてしまったが、今度は貴様に教わった対策で暴れさせてもらうぞ)
そして、その効果は覿面だった。
案の定ポール将軍が予想した通り、ロドグリス王国軍はスナイパーを使ってくる。
しかし、この対策により被害はかなり抑えられていた。
ほとんどのヘルト王国軍魔術師は、敵の狙撃を搔い潜って、一旦退いたロドグリス王国軍の一般魔術師に激しい追撃を浴びせていく。
対するロドグリス王国軍を率いるレオも、意地の粘りで何とか被害を出さずに持ち堪えて見せた。
互いに非常にレベルの高い攻防が繰り広げられる。
しかし、それでも今のヘルト王国軍の勢いには敵わず、1時間ほどで退却せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
こうして、ヘルト王国軍は無事に、ロドグリス王国軍の奇襲を退けることに成功したのである。