第102話.グレンの成長
――一方その頃、留学という名の人質の務めを果たすため、アルザート王国にいるグレンは……。
「やぁ、グレン。おはよう」
「おはようございます。ワーゲン義兄さん」
暖かい日差しが差し込む朝の中庭に、グレンはいた。
グレンが言葉を交わす相手は、ワーゲン・アルザート。
アルザート王国の現国王である、エレイア・アルザートの嫡男である。
つまり、アルザート王国の第一王子だ。
年齢は18歳。
グレンよりも3つ年上だ。
2人はグレンがアルザート王国にやってきてからずっと仲が良く、いつも兄弟のように一緒にいる。
「朝食の用意はもう出来ている。早速食べよう」
「はい」
今も、いつものように朝食を2人で取ろうとしているところだ。
まぁ、誰も知り合いがいないアルザート王国では、コミュニケーション能力はまぁまぁ高いグレンとはいえ、話せる相手が年の近いワーゲンくらいしかいないというのもあるが。
だが、そんなことよりも、一番の大きな変化がグレンには起きていた。
それが、誰が見ても一目瞭然で分かるように、言葉遣いが王族らしいものになっているということである。
グレンがアルザート王国に留学してから、2年ほどの月日が流れたが、それだけ長い時間が経過したとはいえ、リガルが八方手を尽くしても治らなかったことを考えると、これはあまりに驚くべきことだ。
まぁ、言葉遣いが治っても、声が低く喋り方が少し荒々しい印象を受けるため、あまり優雅な王族のイメージには合わないのだが。
まぁ、グレンが目指す先は将軍なので問題ないかもしれない。
正確には将軍ではなく、対魔物の魔術師を纏める名称未定の騎士団長だが。
ともかく、グレンは大人しく席について、ワーゲンと共に朝食に手を付け始めた。
「そういえば、グレンの母国であるロドグリス王国が、最近ヘルト王国と戦争をしたらしいじゃないか。失礼かもしれないが、まともに当たっては勝ち目がないように思えるのだが……」
そんな和やかな朝食の最中、ワーゲンが口を開く。
口にした話題は、つい先日に終幕したロドグリス王国とヘルト王国の戦争の話だ。
ワーゲンとしては何か少しでも情報を得ようとしての問いかけなのだが、グレンはそんなことは全く気付かず、ただの世間話をするように……。
「あー、確かにだいぶ苦しい状況になったようですね。戦争が終わってから、父上より手紙が届きました」
あっさりとグレンは答える。
言葉遣いは多少治っても、頭が良くなってたりはしないようだ。
もっとも、アドレイアもそんなことは百も承知。
重要な情報をグレンに教えるような真似はしていない。
そこら辺は、無い方が喜ばしい信頼関係があるようだ。
「その手紙の内容は?」
それを聞いたワーゲンは、さらに問いかける。
当然、グレンは疑う素振りなど微塵も見せず……。
「うーん、兄上が敵軍を撃破したらしいですが、父上と我が国の将軍が敗北してしまったらしく、結局まともにやりあうのは厳しいと判断したようですね。で、結局講和した模様です」
「兄上……というのはリガル殿下だよね? 彼は勝利したのか。それは凄いな……」
「ははは、兄上は天才ですからね」
リガルがワーゲンに賞賛され、グレンも自分の事のように得意げだ。
2人で過ごしている間は、敬意など微塵も感じられないが、なんだかんだグレンもリガルの事を尊敬しているのだろう。
「へー、昔彼がうちの国にやって来た時に、もう少し話しておけば良かったな」
「兄上も、そんな忙しいわけではないでしょうし、今度こちらに来るように手紙を送ってみましょうかね」
「ははは。そんな簡単に一国の王子が動けるかなぁ……。まぁ、その話はともかくとして、なるほどね」
グレンの言葉に、ワーゲンは少し残念なような安堵したような、微妙な表情を浮かべた。
別にワーゲンとて、アホなグレンを騙して情報を掠め取ってやろうなどと、卑怯なことを考えていたわけではない。
ワーゲンがグレンと仲良くしていることに目を付けた、エレイアの命令だ。
具体的にロドグリス王国とヘルト王国の間で起こった戦争について、グレンから話を聞いて来い、と言われた訳ではない。
ただ、定期的にグレンからロドグリス王国とそれに関係する情報を聞き出せ、と言われてある。
そのため、ワーゲンとしては仕方なく、こうしてグレンから情報を引き出そうとしていたのだ。
というかワーゲンは、頭の中では真っ黒なことを考えているエレイアとは正反対に、かなりの聖人だ。
グレンの言葉を聞いて、ワーゲンが安堵したのは、彼が善人であったが故である。
まぁ、エレイアのやり方が、卑怯であるとまでは言えないかもしれないが、仮にもロドグリス王国とアルザート王国は同盟国であるため、少なくともあまり褒められたことではない。
「まぁでも、とにかくロドグリス王国が無事でよかったよ」
これは、本心だ。
ワーゲンとしても単純に友人の母国が心配だし、アルザート王国としても、同盟国が突然滅ぶのは大惨事――とまでは行かないが、少なくとも好ましいことではない。
貿易などもそれなりに行っているので、輸入品がなくなったり逆に輸出が出来なくなったりすれば、経済的に大きな打撃だ。
国家運営においては、変化と言うのは非常に望ましくない。
別に悪い変化では無くとも、国家レベルの規模となると、その影響は計り知れない。
どんな出来事も、万人に受けるという事は稀だ。
大多数の人間がそれを好ましいことだと感じたとしても、やっぱり何人かはそれを受け付けないということがある訳で。
そうなると、不満を抱いた人間が騒ぎ出すわけで。
それを波風立てずに納めるのは中々に難しいし、出来たとしても時間も人員も要する。
だから、現状に問題があったり、変化を求めることで莫大な利益が得られたりしない限りは、現状維持に努めるのが一番なのである。
こうして色々と話しているうちに、2人は朝食を終え、さらに少し休んだ後……。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
2人はとある場所へ向かうのだった。
ーーーーーーーーーー
2人が向かった場所。
それは、王都の外だった。
王族である2人が、何故そんな危険な場所へ向かうかと言うと、それは魔物と戦うためだった。
と言っても、戦うのはグレンやワーゲンではない。
実際に魔物と戦闘を行うのは、一緒に引き連れてきている、アルザート王国の魔術師6名だ。
今日――というかアルザート王国にグレンが来てから、2人は暇さえあればこうして外に来ている。
目的は、グレンがワーゲンに、魔物との戦いにおける指揮を教えてもらうことだ。
実はワーゲンは、普段の温厚そうな様子とは裏腹に、結構な武闘派なのである。
対魔物に限らず、魔術戦闘の能力に秀でていて、グレン相手にもタイマンで7割勝てるほどの実力を持っているのだ。
また、戦闘能力オンリーで、戦術や指揮には疎いグレンと違って、戦術や指揮でも一流なのである。
まぁ、最近のグレンは、ワーゲンの指導のおかげで、前と比べると見違えるような良い指揮を執れる。
ただ、それでも平凡程度の実力なのが悲しいところだが。
ちなみに、戦術の方は全く成長しなかった。
ワーゲンが指導を始めて1日で匙を投げるほどに、グレンは戦術の才能がなかったらしい。
だいぶ話が逸れたが、ワーゲンが指導するものとして、相応しい能力を持っていることは間違いない。
グレンとワーゲンの2人と、愉快な仲間たち(連れ出されたアルザート王国魔術師)は、魔物を求めて王都近郊の森をひたすら歩いていると……。
「おっと、出たぞグレン」
突然ワーゲンが声を上げる。
「え、あ……!」
ワーゲンの言葉に慌てて周囲を見渡すと、グレンも遅れて魔物の姿を認識したようだ。
彼らの視線の先30mほどだろうか。
木陰に隠れながら、じっとグレンたちの様子を伺う、オオカミのような風貌をした魔物がいた。
「シャドーウルフ……。数は2匹か。やつらの連携は厄介だ。気を付けなよグレン」
――シャドーウルフ。
魔術師3人に匹敵する力を持つ、第2位階の魔物である。
地球に生息するカメレオンのように、毛の色を変化させる能力を持っていて、非常に隠密性に長けた魔物である。
また、仲間がいると、非常に巧みな連携を見せるため、数が多ければ多いほど実力以上の力を発揮する。
「大丈夫ですよ、義兄さん。もうこいつらとは散々戦ってきてますし、失敗するようなヘマはしません!」
それに対して、珍しくグレンは真剣な顔でワーゲンに答える。
確かに、グレンがワーゲンに対魔物との戦闘における指揮の指導を受け始めて、もう2年だ。
最初の頃こそ、アホみたいな失敗をしてきたグレンだったが、流石に学習能力がないわけじゃないので、今では随分と手馴れてきた。
「第一部隊は、左から回り込んで接近せよ! 第二部隊はこのまま真っ直ぐじりじりと距離を詰めるように!」
早速指示を出すグレン。
その言葉に頷き、魔術師たちが動き出す。
だが、グレンの声にシャドーウルフの方も気が付いたようだ。
警戒の色を滲ませながら、じりっじりっ、と歩み寄ってくる。
互いに少しづつ距離を詰め、緊張感が高まる中、いよいよ第一部隊と2匹のシャドーウルフの距離が10mを切り……。
「ゥオォーーン!」
その瞬間、シャドーウルフが雄叫びを上げ、第一部隊に襲い掛かる。
第一部隊の魔術師の方も、良いようにやられるだけではない。
3人のうち1人が部隊のメンバー全員を守りながら、残りの2人が攻撃を開始する。
だが、シャドーウルフも軽い身のこなしでそれを避けると、一気に懐まで潜り込んで、2匹で挟み撃ちをするように風をまとった爪で襲い掛かる。
しかし、この瞬間をグレンは待っていた。
「今だ! 第二部隊、行け!」
いつの間にか、シャドーウルフとの距離を5mほどにまで詰めていた第二部隊が、シャドーウルフの一匹に襲い掛かる。
予想外の場所からの攻撃を受け、狙われたシャドーウルフは避けることが出来なかった。
腹部をファイアーボールで焼き尽くされ、地面に転がりのたうち回る。
だが、すぐに力を失うと、ばったりと動かなくなった。
そんな仲間の様子に動揺したのか、もう一匹のシャドーウルフの動きも一瞬鈍る。
その隙をアルザートの魔術師が逃すはずもなく、あっさりともう一匹も仕留めた。
「よし!」
自分の指揮がばっちりとハマった形になったグレンは、嬉しそうにガッツポーズを見せる。
「はは、やるじゃないかグレン。もうこの程度の魔物では相手にならないな」
「へへ、ありがとうございます」
ワーゲンの賞賛の言葉に、照れたように礼をいうグレン。
しかし、その時……。
「ん?」
「これは……」
ドンッ、ドンッ、という地面を揺らすような物音が、グレンとワーゲンの耳に聞こえたのだった。