Ex.神代流哉のあくる日の出来事/肉の日限定ビーフシチューとビーフカレー
流哉の視点となります。
楽しんで頂ければ幸です。
・流哉⇒世界に残された数少ない魔法使い
・立花⇒宇深之輪大学の教授、流哉とは浅くない付き合い
・燈華⇒魔法へ至る為の修行中の身、歳相応の学生
※Exエピソードになります。
時系列をある程度無視しておりますので、本編と関わりなく楽しめるようになっております。
開いた本のページで言うと二から三ページほど読み進めることが出来た。時間にして三十分。
流哉の読み進める速度が遅いのかと言われるとそういう訳ではなく、
「ねぇ、リュウちゃん。聞いている?」
隣から覗き込んでくる燈華の視線に一つ溜息をつき、本へ栞を挟んで閉じる。
注文を終えて席に戻ってから本を開いたのだが、燈華の話しに耳を傾け、返答をしているとそこまで読み進めることは出来なかった。
さてと、燈華の方へ視線を向けると、そこには少し不満そうな表情を浮かべていた。
「……聞いているよ。今日のテストの事だろう?」
「そうだけど……もうちょっとしっかり聞いて欲しいんですけど」
「はいはい。それで、何を聞きたいって」
本を閉じ、机の上に置く。話しは聞こえているし、聞いているのだが、聞いているという態度を取る事が必要なのだろう。
燈華の表情が綻んだので、この対応は彼女の好みだったようだ。
「世界史のテスト。最後の問題を考えたのは絶対にリュウちゃんだよね」
「ああ、面白い問題だっただろう」
流哉はまだ私立宇深之輪高校で数える程しか授業を開いていない。それでも一問は制作して欲しいという事で最終問題を担当した。
新山由紀子から引き継いだ授業進度の報告と、同じく社会科を担当する教員たちと相談し、授業をしっかりと聞いていた者ならば解ける難易度の問題にしたつもりだ。
「ユキちゃんの話した内容をノートにメモしていたから助かったけど、そうでなければこんなの習った覚えがないってなるところだったよ」
「黒板に書かれた内容だけが授業の内容ではないということが、今回のテストで身にしみただろう?」
流哉の作った問題に関してだけ言うのであれば、実のところ由紀子が話したという内容を覚えてなくとも、その話したという内容を書き留めてなくとも回答は可能である。
教科書の隅の所に記載されている内容を問う問題でもあり、その記載を見つけた上で黒板の内容をノートに書き留めていれば、答えを導き出すことも可能ではある。
「そうだけど……意地悪な問題だってテスト後に文句言っている人一杯いたよ」
「勝手に言わせておけばいい。満点を取らせてもらえるようなテストに何の意味がある?
それに、最初に言っただろう。オレは自ら学ぶ気のない者へ差し伸べる手は持ち合わせていないと」
階段を上がってくる音と、料理を運ぶエレベータの音を聞き取る。
流哉たちが注文した物かどうかは分からないが、そっちの方へ燈華の興味が移るだろうと、あえて話しを切るような言い方をした。
「もう……あ、いい匂い」
想定通り、燈華の興味はエレベータを上がってくる料理の匂いの方へ移った。
階段を上がってくる速度から、昇ってきているのは孫娘のマリカではなくオーナーか奥さんのどちらかだろう。
気配を察知する為の魔術を使っている訳ではないので、誰がとまでは分からない。
「お待たせしました。まずはカレーのお客様」
上がって来たのはマスターで、配膳をする為に料理を乗せたカートを押して来た。奇しくも運ばれて来た料理は流哉たちが注文したものだった。
「私と彼女です」
秋姫が自身とクリスティアナである事を申し出る。
「ビーフカレーでございます。
お好きなようにご飯へカレールーをかけてお召し上がりください」
肉の日限定の一品、欧風ビーフカレー。
平皿に盛られたライスの上には軽くパセリが振りかけられており、ルーはグレイビーボートに入って提供された。シュテルンシュヌッペではカレーを頼むとこの形で提供されるので特別見新しさがあるワケではない。
「続きまして、ダブルセットのお客様」
「あ、私です」
立花の前に置かれたのは、平皿に盛られたライスは変わらないが、カレールーは一回り小型になったグレイビーボートで、楕円型の少しだけ大きめのココット皿の中でビーフシチューがグツグツと音を立てている。
見た目だけの豪華さだけで言えば、一番だろう。
「ビーフシチューの入っている器は大変熱くなっておりますので、ご注意ください。
ビーフシチューをご注文のお客様、直ぐにお持ちしますのではもう少しだけお待ちください」
カレーを頼んだ秋姫とクリスティアナの所へサラダが置かれ、マスターはカートを押して戻っていく。
「コチラを気にせず、冷めないうちに食べて。
……一人、一切気にすることなく食べ始めている者もいることだし」
流哉たちに気を使っている秋姫とクリスティアナに食べるよう促す。料理が届いた瞬間に食べ始めている立場の方へ視線を向ける。
「そう……ですね。では、お先にいただきます」
カレーを羨ましそうに見つめる燈華の姿に、そういう所だけは歳相応なのにと思った。
「ビーフシチューをご注文のお客様、お待たせしました」
エレベータで上げられた料理をカートへ乗せて、マスターは引き返して来た。
待っていましたと言わんばかりの燈華の前に鍋敷きが置かれる。
ビーフシチューを注文した面々の前に鍋敷きが置かれ、その上に小さな一人用の鍋が置かれ、サラダ、パンが二切れ乗った皿が置かれた。
「鍋の方は大変熱くなっておりますので、鍋そのものに障らないようにして頂くのと、蓋を取る際はご注意ください。
それでは、ごゆっくりお食事をお楽しみください。お飲み物はお食事が終わる頃にお持ち致します」
マスターは一礼すると、カートを定位置であるエレベータの前へと押していく。
流哉は燈華たちと共に食前の挨拶を済ませると、鍋へ触れないように気を付けながら木製の蓋を取り外し、ナイフとフォークを手に取る。
鍋蓋を取った瞬間から爆発的に広がるデミグラスソースの香り。シュテルンシュヌッペの看板メニューでもあるハンバーグへ用いられるものと大きく変わらない濃厚な香りだ。
具材は大ぶりのサイコロ状にカットされた牛肉、小ぶりのジャガイモは半分に切った程度で、ニンジンは一口大の乱切り、添えられたサヤインゲンの緑はブラウン色の鍋の中によく映えていた。
メインである牛肉へナイフを入れると、見た目とは裏腹に柔らかく煮込まれていることが分かる感触だった。
煮崩れないよう表面は下処理でしっかりと焼き固められているが、雑多に煮込まれたのではなく丁寧な仕事ぶりを感じずにはいられない。
頬張ると口の中にソースと肉の旨味が広がる。
デミグラスソースからは野菜の優しい旨味と甘さ、柔らかいトマトの酸味、牛骨の出汁によるコク、複雑に入り混じった食材の旨味を感じ、牛肉を噛み締めるとホロホロと崩れ、肉の旨味があふれ出す。
添えられた二切れのパンは硬めのフランスパン。ソースに浸して食べるとコレがまた絶品であった。
「両方食べましたが、どちらも美味しいですね。
ビーフカレーは辛い本格的なものではなく、万人に受け入れられる優しい味なのにコク深く、奥深い味わいです。
ビーフシチューは一口めで感じる満足感、二口めで感じるコクと旨味、三口めで感動が来ます」
立花へと視線を向けると、ほぼ半分ほど食べ尽くし、ポエミーな感想を言っていた。
確かに、一口で満足感を得る美味しさであり、二口めでコクと旨味を感じる余裕が生まれ、三口目で美味しかったという感動を得る。
一口めで美味しいと、満足だと感じさせるという味は、言い換えれば濃い味付けであるという事なのだが、ソレを見越してのソースの量と食材の大きさ、シェフの力量の部分なのだろう。
「野菜は一緒に煮込んだのではなく、別添え。それぞれに処理が異なっているから、ガルニチュールという扱いなのかしら?」
紡が指摘する通り、恐らくだがビーフシチューそのものは立花に提供されているものと変わらないのだろう。
ビーフシチューを頼んだ客にだけ付け合わせと共に提供されている。小ぶりのジャガイモはビーフシチューの味を邪魔しないように手を加えるのは蒸かす程度に抑え、乱切りの一口大のニンジンはグラッセに、色鮮やかなサヤインゲンは驚くことに出汁で下茹でされている。
洋食であるビーフシチューに一欠けらの和のエッセンス。シェフであるマスターの腕が最大限に発揮されている。
「ビーフカレーもとても手が込んでいますよ。
野菜は全てルーに溶け込むまで煮込まれているので形がありませんが、カレーの深いコクの一部になっています。
メインの牛肉も柔らかいですが、しっかりと味がしみ込んでいます。
カレーは本格的なスパイスの効いた辛いものでなく、具材と最低限のスパイスによる複雑なコクと旨味で子供から大人まで幅広く美味しく食べられそうです」
珍しく秋姫が饒舌だ。決して長い付き合いとは言えないが、普段の彼女がここまで饒舌である事は無く、静かに堪能しているという様子だ。
そこまでテンションが上がっているという事なのだろう。
よくよく見渡してみれば、燈華も紡も、秋姫もアレクサンドラもクリスティアナも、皆笑みを浮かべて食事をしている姿は歳相応に見えた。
無論、食べているすがたをまじまじと見つめるような不躾なことはしない。いつまでも見つめるなどご法度だ。
ただ一人、誰よりも満面の笑みを浮かべ、満足げに食べている一人の男を除けばだが。
目の前で今にもたいらげそうな立花の姿に流哉も食事を再開することにした。せっかくの料理が冷めてしまっては味気ないし、美味しく食べなければ作ってくれたマスターに申し訳がない。
「ご注文のお飲み物をお持ち致しました」
流哉が食べ終える頃、マスターが飲み物を乗せたカートを押して静かに歩いて来ていた。
それぞれに飲み物が行き渡り、最後に流哉の下へ注文したコーヒーをマスターが置く。
「ご注文の商品はお揃いでしょうか」
「はい」
「どうぞ、ごゆっくりしていって下さい」
マスターがゆっくりとした足取りで戻っていくのを見送り、コーヒーの受け皿の下に置いた紙を誰かに気付かれることなく懐へしまう。
美味しかった食事も、後はコーヒーを飲んで一息付けば終わりだ。
今日の限定メニューのドコが美味しかったと語り合う燈華たちの話し声を聞き流しながらコーヒーを飲み進める。
マスターが流哉にコッソリと伝票を渡したのは、流哉が支払うというのを分かっているからだ。
流哉は誰かに奢って貰うという経験は祖母と父親以外にはない。それは今後もない事で、燈華たちと食事を共にするのであれば、その会計を持つつもりで居る。
立花の分も込みになっているが、たまには良いだろう。
「マスターと少し話してくるから、待っていてくれ」
隣でまだ注文したレモンスカッシュを飲んでいる燈華に言伝をし、席を立つ。
紡だけは流哉の意図に気付いていそうではあるが、ソレを口にするほど野暮ではないだろう。
「マスター、ご馳走さまでした」
一階にいる客は既にまばらであり、マリカの姿も無かった。忙しい時間を乗り切ったので奥の方で遅めの昼食でも取っているのではなかろうか。
厨房のコンロの上は既に片付いており、入り口の方を見れば看板は既に『準備中』に変わっている。
「二代目、お食事はお楽しみ頂けましたか?」
「はい。とても美味しかったです」
「それは何よりでございます」
マスターに伝票を渡すと、彼はエプロンのポケットからもう一枚の伝票を取り出す。
「それでは二代目のお会計に、良祐様のお会計を合わさせて頂きます」
「無理を聞いて頂き、ありがとうございます」
弟とその友人たちの分の食事代を流哉が払う。同じテーブルに居るか、伝票を預かり一緒に会計するのであれば問題も発生し難いが、会計する時間に差が出るのであれば踏み倒しや食い逃げという懸念点が出て来る。
流哉とマスターの間に確かな信頼関係があり、問題が起きないとマスターが判断してくれたので実現している特別対応である。
無理を聞いてくれているマスターに感謝し、その感謝を形にしなければならない。
「いつもご利用ありがとうございます」
「この場所は祖母との思い出の場所で、私にとっても特別な場所ですから」
レジスターに表示される金額。それにいつも通り上乗せして支払おうと財布を開くと、
「本日ですが、甘味処の大旦那から二代目の分をお預かりしておりますので、ココから引かせて頂きます」
甘味処の大旦那は祖母とも交流のあった人で、流哉を子ども扱いする数少ない人だ。祖母には世話になったと良く話してくれたが、まさか食事代をもってもらう日が来るとは思わなかった。
「今度、甘味処で奢って頂いた分買い物をします。多分、直接お礼を言ってもはぐらかすでしょうから。
それでは、これでお願いします」
全員分の食事代よりも多くお札を抜き出し、マスターへ渡す。
「二代目、多過ぎです。受け取れません」
必ず断られると分かっていた。だから相応の理由を用意してある。
「来月の、祖母の月命日の日に、持ち帰りで料理を予約したいのですが、引き受けて頂けますか?」
「それは……任せて頂けるというのでしたら、私のもてる限りを尽くさせて頂きます」
祖母の月命日、その日に祖母との思い出の料理を供えるのは悪くないと思った。
それに、こう言いだせば正当な理由にも出来る。
「まずは依頼料も込みという事にさせて下さい。そして、来月の時に改めて料金をお支払いさせてください」
「……分かりました。二代目も先代と同様で言いだしたら引きませんから。
用意させて頂く料理に希望はありますでしょうか?」
「祖母の好きだったものをお願いします」
「かしこまりました。来月の月命日の日に、必ず用意させて頂きます」
マスターを口説き落とし、料金を受け取ってもらうことに成功した。
後は燈華たちが飲み終わる頃合いを見て店を出れば良い。
「あ、リュウちゃん。またお会計済ませている」
そう思っていたら、燈華たちが階段を下りてきていた。
流哉が思っていた以上に話し込んでいたらしい。
「皆さま、お食事は楽しんで頂けましたでしょうか?」
「美味しかったです!」
燈華の感想に続き、皆が料理の感想を言っていく。
マスターの好々爺のような笑みに助け舟を出して貰ったことに気付く。
「それでは、マスター。来月の件、よろしくお願いします」
「はい。確かに引き受けさせていただきます」
マスターへ一礼し、シュテルンシュヌッペの店舗から外へ出る。
後から燈華たちが追いかけて来るが、何を話して、何を頼んだのか聞かれるのだろう。
その話しでもしながら、ゆっくり駅まで戻って行けばいい。今日はそういう気分の日だ。
今回の話し、お楽しみいただけましたでしょうか。
シュテルンシュヌッペという喫茶店で、常連客限定になりますが実はつけ払いが可能であったりします。
その為、大目の金額を払う常連客は多いですが、常連客は毎回料金をしっかり払うので、お店側からのサービスという形で飲み物が提供されるなどで還元されています。
普段、シュテルンシュヌッペでは料理の持ち帰りには対応しておりません。
常連客の特別な日にだけ対応してくれる限定のサービスで、頼む場合は一ヶ月以上前に直接店主へ頼む以外に方法はありません。
今回でExの話しは終わりになります。
シュテルンシュヌッペの特別な料理の話しでした。
次回、一話で終わる話しを投稿しまして、現在の章も終わりとなります。
次の話し、新しい章、楽しみにして頂ければと思います。
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