8. 神よ、そこまでアナタは私が嫌いか『その捌』喫茶『シュテルンシュヌッペ』にて/ハンバーグとカニコロッケ
流哉の視点となります。
楽しんで頂ければ幸です。
・流哉⇒世界に残された数少ない魔法使い、待ち人ようやく来る
・立花⇒宇深之輪大学の教授、裏の顔は戦場を渡り歩く魔術師崩れ
引き続き、クリスの表記を『クリスティアナ』へ変更作業中です。
まだ終わってない箇所がありましたら、筆者の方へお気軽にお知らせください。
立花が来るのが遅かったという事もあり、昼食には遅すぎる時間だ。
研究室にまで来てくれと言っていたが、その約束は破棄するしかないだろう。流哉が空けると約束したのは三時まで、それ以上の時間を空けるには立花に対価を求めなければならない。
そもそも、流哉に時間を延長してまで付き合う気がない以上、どのような対価を提示されても交渉のテーブルに着くことはない。
「それで、どこのどいつだって?
オレを合わせると勝手に約束したのは」
席に戻り、水を飲んで一息ついている所の立花楓に話しかける。
水の入ったグラスを置く立花の表情に若干の陰りが見えた。表情を上手く誤魔化すことに長けた立花であっても、僅かな動揺を隠しきることは出来なかったようだ。
「あ……先に断っておくけど、君を嵌めようだとかそういう意図はコチラに一切ない」
「前置きはいいからさっさと話せ」
溜め息を一つ吐き、先を話せと促す。もともと厄介ごとを持ち込まれたというのは既に自覚している。
大学の卑しい連中の下で言いなりになるくらいならと引き受けた立花の提案。高校への出向は今よりも自由が減るというのは業腹だが、仕方のない事と諦めていたのは数日前までの事だ。
連盟内で明確に流哉に対する敵意を顕わにした者たちの出現によって、身の回りの状況は刻一刻と変わっている。
「時間は有限だ。今日は朝に言った通り、三時までしか時間を空けられない。
連盟から押し付けられた雑事を片付けなければならない。それが済めばいつ来るかも分からない襲撃者への備えを面倒だがしなければならない。
面倒事尽くしで困るよ、本当に」
内心を素直に吐露したのは、立花への嫌味も兼ねてだ。
もっとも腹立たしいのは勘違い野郎のロバート、その次に怒りをぶつけるとすれば大学の下卑た研究者もどきの連中とそいつらを御しきれない学長、そして自身の描いた空想図に沿わそうとした立花だ。
ロバートには最も効果的な嫌がらせを連盟で施した。数十年という単位でガウルンの家が注力した連盟の権威の強化という奴は、この先の数年から数十年という単位で地に落ちることになるだろう。
大学の学長は来期以降に戦々恐々する仕掛けをしてある。それに伴い幾ばくかの研究者たちはそのツケを支払わされることになるだろう。
あとは、目の前に座る男に対してどのような罰を下すべきか……
「君が怒りを僕にぶつけるだけの正統な理由がある。僕は君からの信頼に対して裏切るという選択をした。
学長から内密に聞かされたが、来期以降の大学内は少しばかり慌ただしくなるということだ」
「それはそうだろうな。最大の寄付元であったジンダイがその寄付を止めた。
己の醜く肥大した欲望の清算をしなければならない時が来たということだ。
学長の椅子も、来年には挿げ替えになるだろう。好き放題していた研究者もどきの連中は自身の愚かさによって椅子を失うことになる。
これ以上に無いほど分かりやすい展開だろう?」
事実、大学内での不祥事は地域中に知れ渡っている。立花が来るまでの間にマスターから借りて読んだ今朝発行されたばかりの新聞の一面には、多額の資金の着服という形で記事が掲載された。
町一番の企業であるジンダイが真っ先に降りたという事実は、記事の内容に真実味を帯びさせるのには十分だったらしい。
「会って欲しい相手だけど、僕の元教え子で君とも旧知の間柄である新山由紀子君だ。
彼女は職場でセクハラを受けていてね。相談を受けた私が産休に合わせて大学の方で僕の助手をするのはどうかと持ち掛けたのが始まりなんだ。
彼女を引き抜くにしても代わりの人材が居た方が話しはスムーズに行くという思惑があったことを否定しない。タイミングよく学長が相談に来たこと、回りの同僚の中で君を陥れようと画策していたこと、上手く利用できると思ったこと。
結果的にだけど君を利用したことは謝るよ」
立花の考えていたことなどどうでもいいことだ。結局は絵にかいた餅、どれだけ画策しようともその流れに流哉が乗ってやる必要は無い。
「……ハァ、無様だな。戦場を駆け抜けていた頃のお前であったのなら、このようなつまらない企てはしなかっただろうよ。
まさかとは思うが、お前のような半端者が魔法使いを操れるとでも思ったか?」
その問い掛けに反応する立花の顔を見ればそのような事を考えていなかったというのは直ぐに分かった。しかし、そのことですぐに許しの答えをやるほど甘くはない。
考える時間を、『本当にそのような事を心の片隅にでも思っていなかったのか』と自問する時間を用意する。
もう少し、自問する時間をと思っていたが、せり上がってくる注文した料理を乗せたエレベータの音と漂ってくるハンバーグにかけられているのであろうデミグラスソースの香り。
食事をしながらこんなしけた面を見ているのはこっちまで気が滅入ってくる。
「今更何を言っても時間が戻る訳でも無い。お前たちが何をしても時間の流れは変わらないし、大きな力の前で烏合の力は無意味だ。
一度交わしてしまった以上、約束は守る……が、完全な履行が不可能であるという事は理解して欲しい。
幾つかの条件をつける。
まずは一年ごとでの契約更新である事。翌年どころかいつ消えるかも分からん。
次にオレが保証するのは由紀子さんが受け持っていたカリキュラムの範囲のみでそれ以外の何も請け負わない。教科書の範囲を教えることでの教師の真似事は出来るかもしれないが、受験生の面倒や部活の顧問等までは保証外だ。
そして、オレの条件を相手側に伝え、交渉するのはお前の役割だ。オレが妥協することや譲歩することは一切ない」
驚いたように顔を上げる立花の視線を覗きこむ。隠しきれない動揺、僅かばかりの迷子のような救いを求める揺らめき。
流哉がそれらに応える事はありえないが。
「君が許してくれるとは思わなかったよ。その役目、しっかりと果たさせてもらう」
「明日どうなるのかも分からない奴に頼みごとをする気が知れないよ。
オレの周りの厄介ごとがこの街にも持ち込まれるかもしれない。そのような事に他の者を巻き込む気はないが、ソレをどう判断するのかは相手側だ。
必要以上に関わらないというのは、『魔法使いは隠れ蓑にしているだけで、そこで何があっても出てくることはない』と判断させる為だ。
今まで通りに大学に居たとしよう。そこを襲われたとしてもオレが何かをすることはない。
オレたち魔法使いにとって、表の場所と言うのはその程度の場所であると肝に銘じることだ」
ゴロゴロと音を立てるカートが近づいて来る。料理が来る前に話しは終えられたと思う。
後は美味しい料理を食べて英気を養い、未だに積み重なった書類に目を通す作業に戻るだけだ。
「お待たせいたしました。『ハンバーグ、シェフの気まぐれセット』でございます」
マスターが立花の前に置いた鉄板に乗ったハンバーグは未だにジュウジュウと音を立てていて、サラダ、スープ、パンを順番に並べる。
「それではソースをかけさせて頂きますね」
ハンバーグに既にかけられていると思っていたデミグラスソースはソースポッドで運んできており、未だに熱気を発し続ける鉄板でソースを加熱したならば、今以上に濃厚でお腹を空かせる匂いが漂うことは間違いない。
「この鉄板で熱されたソースの香り。コレがとてもたまらないんです」
先ほどまでとは全く違う、嬉しそうな表情とテンションで立花はソースをハンバーグにかけているマスターに話しかけている。
「恐縮でございます」
ナイフとフォーク、スープ用の匙に箸が入ったカトラリーケースを置き、マスターはワゴンを押して流哉の隣に来る。
「二代目のご注文、シェフのおまかせ『ハンバーグとカニコロッケ、コーンスープとパン』でございます」
流哉の前に置かれた鉄板の上には、立花の前に置かれた鉄板と同様にハンバーグが音を立て、彩り豊かな野菜が添えられていた。異なるのはハンバーグの横に俵型の揚げ物が二つ、櫛切りの一欠けらのレモン、スープ皿の中身はコンソメではなくコーン、そしてマスター特性のドレッシングで和えられた新鮮な生野菜のサラダが無い。
「二代目のハンバーグにもソースをかけさせて頂きますね」
ハンバーグにデミグラスソースかけられていく。ソースポッドを置いたマスターがカトラリーケースと二つの陶器を取り出し机に並べる。
「右の陶器の中身はウスターソース、左の陶器の中身はトマトで作ったソースです。カニコロッケにお好みでおかけください。
それでは、ごゆっくり」
マスターが下がっていく姿を見届け、さて食べ始めようかと思うと、
「やはり、ココのハンバーグは最高です」
立花は既に食べ始めていて、そう時間のかからない内に食べ終えるのではないだろうか。美味しいという感想を顔全体で表現する姿を見ると、あれこれと考えていたのが馬鹿らしくなった。
カトラリーケースからナイフとフォークを取り出し、ハンバーグにナイフを入れ、一口大に切り分け口に含む。塩と胡椒で味付けされた合い挽き肉の適度な歯ごたえと旨味、噛み締める度に上質な肉汁があふれ出し、口内でデミグラスソースと交ざり合うと極上の一品として完成する。
美味と感想を口にするのは簡単だが、それ以上の表現を流哉は知らない。美味しいという感想を再び口に出せるようになったのは、思い返せば祖母が亡くなった後にこの店で食事をした時だった。
「付け合わせにまた一段と手が加えられたか……」
その昔、祖母と食べた時の付け合わせは茹でたブロッコリーとニンジンのグラッセ、櫛切りしたジャガイモの素揚げだった。今ではニンジンのグラッセが手を加えられて賽の目状に、解されたトウモロコシと、インゲンの豆と一緒に和えられたミックスベジタブルへ様変わりしていた。
大振りに切り分けられたニンジンのグラッセもたまに食べる分には悪くないが、今のようにミックスベジタブルという形で提供される方が万人向けだろう。見た目の彩りが豊かになり、食感が異なる野菜の組み合わせは食べていて楽しい。
「さて、カニコロッケの方はどうか」
カリカリの衣にナイフを入れると、サクッと小気味の良い音を立てる。割り開くと中身のカニとクリームの詰め物がトロリとあふれ出す。
衣は薄く、カニが混ぜられたクリームは揚げた際の熱でトロリと溶け出している。匂いは濃くなく、現在はデミグラスソースの香りの方が強い。
一口目は何もつけず、熱を逃がしながら口に含む。衣のサクサク感、クリームソース特有の甘み、濃厚な味にカニの身を解したものから出た海鮮特有の味。
「良い意味での昔から変わらない味だな」
二口目はレモンを絞り、ウスターソースをかける。クリームソースの白にウスターソースの黒が混じる。
口に含むとまずレモンの柑橘系特有の匂いが鼻を抜け、酸味が舌を駆ける。ウスターソースのパンチのある刺激、複数の果実による甘み、複雑な旨味と比喩されるソースの味はカニコロッケに非常によく合う。
レモンの酸味、複雑なソースの旨味、その後に濃厚で甘いカニクリーム。これ以上は無い組み合わせだろう。
(祖母もこの味が好きだった)
完成と判断したカニコロッケの三口目はトマトのソースで。ウスターソースよりも水分の多いトマトのソースはサクサクだった衣は水分を吸ってしっとりし、中身の詰め物との調和はコチラの方が一段上だ。
甘いカニのクリームにトマトの酸味はカニコロッケのまた違った一面を覗かせる。白に赤の色も映え、見た目の美しさもコチラに軍配が上がるだろう。
目の前で既に自身の注文した料理をたいらげた立花が物欲しげな表情をしているが、食べたければ追加で注文するだろうと無視することにした。
「はぁー、美味しかったです。もう入りません」
「それだけ食ってまだ入るって言ったら驚きだ」
立花はあの後追加でハンバーグが二段重ねになっていて、チーズも挟まっている料理を注文し、流哉が食べ終えるのと同時位に食べ終え、今は食後の飲み物を飲んでいる。
流哉の注文には飲み物が含まれていたが、立花も飲み物を追加で頼んでいたようだ。
互いに注文した食後の飲み物はアイスほうじ茶ラテ。
流哉はアイスコーヒーを頼もうとしたのだが、マスターに『コーヒーの飲み過ぎは身体によくないですよ』と釘を刺され、何を頼もうかと迷った時にマスターからアイスほうじ茶ラテを勧められ、勧められるままに注文したのだ。
「それにしても、アイスほうじ茶ラテ……ねぇ。若者向けのアイデアだな」
「そうですか?
暑い時期に冷たい飲み物はいいアイデアだと思いますし、ほうじ茶をラテにするなんてオシャレじゃないですか」
確かになかなかほうじ茶のアイスラテなど耳にしないだろう。都会の方ではどうかは知らないが、片田舎の宇深之輪では他に出している店に心当たりはないし、ここ数年は海外に居たのだから流哉自身が日本での流行を知るわけがない。
それでもマスターが勧めるだけあって文句の無い美味しさだ。ほろ苦く香り高いほうじ茶を牛乳がまろやかにし、甘みを付けてはいるもののスッキリとした甘さで飲みやすい。
「お食事はお楽しみいただけましたでしょうか」
マスターが机の片付けの為に来たのだろうと振り返ると、そこには普段であれば持ち運んでこない料金を書き記した伝票が挟まっているバインダーを手にしていた。
革製のバインダーには箒にまたがる魔女のイラスト。
どうやら招かれざる客人が来たようだ。
今回の話し、お楽しみいただけましたでしょうか。
流哉は立花に許しを与えた訳ではありません。
大学の研究者をするのも、高校への出向も、どちらも流哉にとっては暇を潰す為の算段でしかなく、基本的に他者への興味がないだけです。
喫茶『シュテルンシュヌッペ』の名物はハンバーグです。
流哉が注文する『いつもの』の内容は流哉が何かをリクエストしない限りマスターがその日ごとに自信のある品を提供しています。
ほうじ茶ラテがもの珍しいという表現で時代の設定を察する方も出て来るかもしれませんね。
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