表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

168/339

8.魔女が住む屋敷で迎える朝『その捌』偽りの研究、束の間の紫煙

流哉の視点となります。

楽しんで頂けたら幸いです。


ブックマークありがとうございます。

大変励みになっております。


タイトル付け、加筆と修正を行いました(2025/09/28)

 研究室内での作業は、普段よりもそれなりに進行していた。

 無機質なスチール棚に乱雑に詰め込まれていた紙媒体の資料。その分類と整理は、既に流哉が済ませてある。


 聞いてなかった追加の客人である新山にいやま由紀子ゆきこでも、目的の文献を探し出すのに、そう苦労はしないだろう。


 それでも、だ。

 彼女のその身に宿る、新たな生命の気配。

 それを考慮すれば、長時間の立ち仕事や、無理な姿勢を強いる作業は避けなければならない。

 膨らんだ腹部が、彼女が妊婦であることを、誰の目にも明らかにしており、その胎内で育まれる命は、この無機質な研究室において、あまりにも異質で、そして尊いもののように感じられた。


 結果として、資料を探し出すという、最も単純な肉体労働は、主に流哉の役割となる。


「こちら側は、いつでもいける。

 タブレットとの同期は完了した」


「私の方も大丈夫です」


 立花たちばなのパソコンへ、そして新しく設置された新山のそれへ。

 流哉は、自らのタブレット端末を起動し、必要なアクセス権限パスを付与していく。


 魔導図書館レア・ステイリアに収蔵された膨大な知識。

 その一部を、この現世うつしよの機械に、一時的に貸し与える。

 資料の現物を、わざわざあの砂漠から運び出す必要はない。


流哉りゅうや君、今送ったリストのデータをお願いできるかい」


「ああ、すぐに送る。由紀子ゆきこさんの方は、何か必要なモノはあるか?」


「すみません、流哉さん。Cのリストに分類されている、二百四以降の資料をお願いできますか?」


「そこは現物が棚にあるはずだ。少し待ってくれ」


「はい、大丈夫です。お願いします」


 立花に頼まれたデータは、指先一つで転送する。

 タブレットPCを媒介とした、神代流哉が新たに開発したオリジナルの現代魔術。

 一度、写真として取り込んだ情報を素粒子レベルまで分解し、意味を持たないノイズとして、ネットの海へと散布する。

 ただの壊れたデータの残骸として、世界のどこかを漂い続けるそれらは、流哉がアクセスしたその瞬間においてのみ、意味のある情報として再構築されるのだ。

 最新の魔術理論と、古き良き魔法の概念を融合させた、彼以外には使用も、そして理解すら不可能な、起源オリジナルの奇蹟。


 対して、新山由紀子が指定してきた資料は、残念ながら、流哉が過去に「不要」と判断し、データ化を見送った類のものだった。

 使用頻度の低い文献を、わざわざデータとして残す必要性を、彼は感じなかったのだ。

 だが、彼女がそれを求めるということは、流哉が見落とした、あるいは、意図的に切り捨てた情報の中に、何か重要な価値が眠っているということなのだろう。


 神代流哉は魔法使いであって、研究者ではない。

 世界の真理を探求する者、という一点においてのみ、彼らとの共通点を見出せるに過ぎない。


「はい、これが頼まれた資料だ。

 他にも必要になったら、タブレットにメッセージを送ってくれ。すぐに持ってくる」


「ありがとうございます、流哉くん」


 二人に頼まれた資料を届け終え、流哉は再び自席の椅子へと深く身を沈め、手元のタブレット端末へと意識を落とす。

 余談だが、大学に提出する資料や、研究発表のデータなどは、その全てに偽装工作が施してある。

 表の世界の人間が、どれだけそのデータを解析しようとも、そこに隠された裏側の真実に辿り着くことはない。

 万が一、その偽装に勘付く者がいるとすれば、かそれは立花たちばなかえでただ一人だろうが、彼とは、この件に関して、決して互いに踏み込まないという契約ルールを既に交わしている。

 手抜かりなど、あるわけがない。


 資料探しの合間に、流哉にも片付けておくべき仕事があった。

 魔法連盟から送られてくる、膨大な量の業務連絡。

 どうしても自筆のサインが必要な重要書類は、未だに紙媒体という古めかしい形式を取っているが、どうでもいい連絡事項の大半は、データで送られてくる。

 少しでも時間がある時に、こうして流し読み程度にでも消化しておかなければ、仕事は積もり積もって、やがては雪崩のように、彼の日常を押し潰すだろう。

 そうなってからでは動くに動けなくなってしまう。


 何度か、立花と由紀子の二人から、追加の資料を求めるメッセージが届く。

 その都度、流哉は思考を中断し、スチール棚へと足を運び、再び自席へと戻る。

 その合間で、自身の用事も済ませていく。


 どうでもいい連絡事項として分類されているその多くは、連盟内で出回っている、真偽不明のゴシップ記事だ。

 だが、これを、ただのゴシップと捨て置くことはできない。

 どこかの派閥が、どこかの魔術師を社会的に抹殺しただの、ある旧家が、秘匿していたはずの魔術の資料を何者かに強奪されただの。

 それらの情報に、たまに目を通しておくことで、裏社会の大きな流れを把握する。

 そして、ごく稀に混じる、決して放置することのできない危険な兆候にだけ、対処する。それが、彼のやり方だった。


 それでも、無機質な文字の羅列を、何時間も見続けていれば、思考は鈍り、疲労が蓄積してくる。

 流哉は、こめかみを押さえ、一つ、深く息を吐いた。

 少し、息抜きが必要だ。


「───少し、屋上に行ってくる。

 データだけで済む用件なら、メッセージを送ってくれ。対応する。

 それ以外の、現物が必要な用件は……オレが戻るまで待っていてくれ」


 返事は、ない。

 ただ、その言葉が意図するところは伝わったのだろう。

 立花が、こちらに背を向けたまま、軽く右手を上げた。

 新山は、初めて本格的に触れる研究の世界に、深くのめり込んでいるようだ。

 念の為、由紀子の為に走り書きでメモを残し、流哉は研究室を後にする。


 そのまま、屋上へと通じる階段を、一歩、また一歩と上がっていく。

 いつもであれば、階下のどこかから響いてくる学生たちの喧騒が、今日は聞こえてこない。

 どこかの教室から、教授のものらしき学生を叱責しっせきする声が微かに響いてくるが、わざわざ藪蛇やぶへびを突く必要はない。


 屋上へと続く、重い鉄の扉を開く。

 途端に、真夏の太陽光が、ナイフのように眼球を突き刺し、視界が白く染まった。

 隣の建物の屋上では、ダンス部の学生だろうか。

 その一角で、音楽も流さず、ただ黙々と、鏡もない空間で練習に励んでいる。


 学生が立ち入ることを許可されている屋上は、目の高さまである高いフェンスで囲まれ、最低限の安全対策が施されていた。

 流哉は、そのフェンスよりも、更に外側に設置された、腰ほどの高さしかない手すりに、無造作に肘を付き、ポケットから煙草タバコの箱を取り出し、一本を取り出して口に咥える。

 続いて取り出したジッポライターのカッキーンという特有の甲高い音を立ててカバーが開き、無機質なダイヤルを回転させ、火を灯した。

 風で火が煽られないように手で包むように風除けを作り、ゆっくりと煙草の先端にその火を移す。

 肺一杯に吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。


 ようやく、一息つけた、そんな気持ちだった。


 普段であれば、研究室で吸うこともある。だが、今日は別だ。

 妊婦の前で、ましてや、同じ閉鎖空間で紫煙をくゆらせるほど、彼は無神経ではない。


 一本、そして、また一本と、煙草を吸い続ける。

 三本目のフィルターを携帯灰皿に押し付け、四本目に火を灯そうとした、その時だった。

 ポケットの中のスマートフォンが、短く震えた。


「もしもし」


 煙草を咥えたまま、ぶっきらぼうに応答する。


『あ、もしもし、リュウちゃん?』


 その声は。


「……燈華とうかか?」


 電話の主は、今朝、学校へ行かなければならないと、慌ただしく家を出ていった、あの少女、冬城とうじょう燈華とうかであった。


『うん。私と秋姫ひめは、もう少しで帰るけど、リュウちゃんは、まだかかりそう?』


「───ああ。オレの方は、もう少しかかりそうだ。

 悪いが、約束していた件は、夕方からでも良いか?」


『私は大丈夫だよ。それより、お昼ご飯は、どうするの?』


「こっちで、適当に済ませる。気にしなくていい」


『そっか。分かった。じゃあ、夕方には帰ってくるってことで、良いんだよね?』


「ああ。そのくらいには、必ず帰る」


『うん。じゃあ、待ってるね』


 燈華たちの用事は、もう終わったらしい。

 結局、この中で、一番帰りが遅くなるのは、流哉本人だというのか。

 何とも、皮肉の効いた結末だ。


 吸いかけた、四本目の煙草をどうするか、一瞬だけ迷ったが、再び、それをくわえ直し、改めて火を灯す。

 この一本を、最後と決め、肺の奥深くまで、ゆっくりと煙を吸い込む。

 吐き出した紫煙が、青い空に溶けて、消えていく。

 もう少しだけ、この無意味で、無価値な時間を、ここで過ごしていよう。

今回の話し、どうでしたか。


流哉は資料探しだけしか手伝いませんが、流哉が探すかどうかで時間は倍以上変わってきます。

連盟から送られてくる資料に目を通すことが、日々の時間を取られる原因です。

資料が送られてきている以上、知らなかったでは済まないというのが理由ですが……


流哉は煙草を良く吸います。

ヘビースモーカーではないと当人は思っていますが、吸う量は多いです。


※三上堂司からのお願い※


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

評価・感想、大変励みになっております!

本作を読んで、「面白かった」「続きが気になる」等、少しでも思って頂けましたら、

・ブックマークへの追加

・評価『☆☆☆☆☆』

以上の二点をして頂けますと大変励みになります。

評価はページ下部にあります、『ポイントを入れて作者を応援しましょう』項目の

『☆☆☆☆☆』ボタンを『★★★★★』へと変えて頂ける大変励みになりますので、お気に召しましたらポチッとお願いします。

これから物語を書き続けていく上でのモチベーションに繋がります。

今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ