8.魔女が住む屋敷で迎える朝『その捌』偽りの研究、束の間の紫煙
流哉の視点となります。
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タイトル付け、加筆と修正を行いました(2025/09/28)
研究室内での作業は、普段よりもそれなりに進行していた。
無機質なスチール棚に乱雑に詰め込まれていた紙媒体の資料。その分類と整理は、既に流哉が済ませてある。
聞いてなかった追加の客人である新山由紀子でも、目的の文献を探し出すのに、そう苦労はしないだろう。
それでも、だ。
彼女のその身に宿る、新たな生命の気配。
それを考慮すれば、長時間の立ち仕事や、無理な姿勢を強いる作業は避けなければならない。
膨らんだ腹部が、彼女が妊婦であることを、誰の目にも明らかにしており、その胎内で育まれる命は、この無機質な研究室において、あまりにも異質で、そして尊いもののように感じられた。
結果として、資料を探し出すという、最も単純な肉体労働は、主に流哉の役割となる。
「こちら側は、いつでもいける。
タブレットとの同期は完了した」
「私の方も大丈夫です」
立花のパソコンへ、そして新しく設置された新山のそれへ。
流哉は、自らのタブレット端末を起動し、必要なアクセス権限を付与していく。
魔導図書館に収蔵された膨大な知識。
その一部を、この現世の機械に、一時的に貸し与える。
資料の現物を、わざわざあの砂漠から運び出す必要はない。
「流哉君、今送ったリストのデータをお願いできるかい」
「ああ、すぐに送る。由紀子さんの方は、何か必要なモノはあるか?」
「すみません、流哉さん。Cのリストに分類されている、二百四以降の資料をお願いできますか?」
「そこは現物が棚にあるはずだ。少し待ってくれ」
「はい、大丈夫です。お願いします」
立花に頼まれたデータは、指先一つで転送する。
タブレットPCを媒介とした、神代流哉が新たに開発したオリジナルの現代魔術。
一度、写真として取り込んだ情報を素粒子レベルまで分解し、意味を持たないノイズとして、ネットの海へと散布する。
ただの壊れたデータの残骸として、世界のどこかを漂い続けるそれらは、流哉がアクセスしたその瞬間においてのみ、意味のある情報として再構築されるのだ。
最新の魔術理論と、古き良き魔法の概念を融合させた、彼以外には使用も、そして理解すら不可能な、起源の奇蹟。
対して、新山由紀子が指定してきた資料は、残念ながら、流哉が過去に「不要」と判断し、データ化を見送った類のものだった。
使用頻度の低い文献を、わざわざデータとして残す必要性を、彼は感じなかったのだ。
だが、彼女がそれを求めるということは、流哉が見落とした、あるいは、意図的に切り捨てた情報の中に、何か重要な価値が眠っているということなのだろう。
神代流哉は魔法使いであって、研究者ではない。
世界の真理を探求する者、という一点においてのみ、彼らとの共通点を見出せるに過ぎない。
「はい、これが頼まれた資料だ。
他にも必要になったら、タブレットにメッセージを送ってくれ。すぐに持ってくる」
「ありがとうございます、流哉くん」
二人に頼まれた資料を届け終え、流哉は再び自席の椅子へと深く身を沈め、手元のタブレット端末へと意識を落とす。
余談だが、大学に提出する資料や、研究発表のデータなどは、その全てに偽装工作が施してある。
表の世界の人間が、どれだけそのデータを解析しようとも、そこに隠された裏側の真実に辿り着くことはない。
万が一、その偽装に勘付く者がいるとすれば、かそれは立花楓ただ一人だろうが、彼とは、この件に関して、決して互いに踏み込まないという契約を既に交わしている。
手抜かりなど、あるわけがない。
資料探しの合間に、流哉にも片付けておくべき仕事があった。
魔法連盟から送られてくる、膨大な量の業務連絡。
どうしても自筆のサインが必要な重要書類は、未だに紙媒体という古めかしい形式を取っているが、どうでもいい連絡事項の大半は、データで送られてくる。
少しでも時間がある時に、こうして流し読み程度にでも消化しておかなければ、仕事は積もり積もって、やがては雪崩のように、彼の日常を押し潰すだろう。
そうなってからでは動くに動けなくなってしまう。
何度か、立花と由紀子の二人から、追加の資料を求めるメッセージが届く。
その都度、流哉は思考を中断し、スチール棚へと足を運び、再び自席へと戻る。
その合間で、自身の用事も済ませていく。
どうでもいい連絡事項として分類されているその多くは、連盟内で出回っている、真偽不明のゴシップ記事だ。
だが、これを、ただのゴシップと捨て置くことはできない。
どこかの派閥が、どこかの魔術師を社会的に抹殺しただの、ある旧家が、秘匿していたはずの魔術の資料を何者かに強奪されただの。
それらの情報に、たまに目を通しておくことで、裏社会の大きな流れを把握する。
そして、ごく稀に混じる、決して放置することのできない危険な兆候にだけ、対処する。それが、彼のやり方だった。
それでも、無機質な文字の羅列を、何時間も見続けていれば、思考は鈍り、疲労が蓄積してくる。
流哉は、こめかみを押さえ、一つ、深く息を吐いた。
少し、息抜きが必要だ。
「───少し、屋上に行ってくる。
データだけで済む用件なら、メッセージを送ってくれ。対応する。
それ以外の、現物が必要な用件は……オレが戻るまで待っていてくれ」
返事は、ない。
ただ、その言葉が意図するところは伝わったのだろう。
立花が、こちらに背を向けたまま、軽く右手を上げた。
新山は、初めて本格的に触れる研究の世界に、深くのめり込んでいるようだ。
念の為、由紀子の為に走り書きでメモを残し、流哉は研究室を後にする。
そのまま、屋上へと通じる階段を、一歩、また一歩と上がっていく。
いつもであれば、階下のどこかから響いてくる学生たちの喧騒が、今日は聞こえてこない。
どこかの教室から、教授のものらしき学生を叱責する声が微かに響いてくるが、わざわざ藪蛇を突く必要はない。
屋上へと続く、重い鉄の扉を開く。
途端に、真夏の太陽光が、ナイフのように眼球を突き刺し、視界が白く染まった。
隣の建物の屋上では、ダンス部の学生だろうか。
その一角で、音楽も流さず、ただ黙々と、鏡もない空間で練習に励んでいる。
学生が立ち入ることを許可されている屋上は、目の高さまである高いフェンスで囲まれ、最低限の安全対策が施されていた。
流哉は、そのフェンスよりも、更に外側に設置された、腰ほどの高さしかない手すりに、無造作に肘を付き、ポケットから煙草の箱を取り出し、一本を取り出して口に咥える。
続いて取り出したジッポライターのカッキーンという特有の甲高い音を立ててカバーが開き、無機質なダイヤルを回転させ、火を灯した。
風で火が煽られないように手で包むように風除けを作り、ゆっくりと煙草の先端にその火を移す。
肺一杯に吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。
ようやく、一息つけた、そんな気持ちだった。
普段であれば、研究室で吸うこともある。だが、今日は別だ。
妊婦の前で、ましてや、同じ閉鎖空間で紫煙を燻らせるほど、彼は無神経ではない。
一本、そして、また一本と、煙草を吸い続ける。
三本目のフィルターを携帯灰皿に押し付け、四本目に火を灯そうとした、その時だった。
ポケットの中のスマートフォンが、短く震えた。
「もしもし」
煙草を咥えたまま、ぶっきらぼうに応答する。
『あ、もしもし、リュウちゃん?』
その声は。
「……燈華か?」
電話の主は、今朝、学校へ行かなければならないと、慌ただしく家を出ていった、あの少女、冬城燈華であった。
『うん。私と秋姫は、もう少しで帰るけど、リュウちゃんは、まだかかりそう?』
「───ああ。オレの方は、もう少しかかりそうだ。
悪いが、約束していた件は、夕方からでも良いか?」
『私は大丈夫だよ。それより、お昼ご飯は、どうするの?』
「こっちで、適当に済ませる。気にしなくていい」
『そっか。分かった。じゃあ、夕方には帰ってくるってことで、良いんだよね?』
「ああ。そのくらいには、必ず帰る」
『うん。じゃあ、待ってるね』
燈華たちの用事は、もう終わったらしい。
結局、この中で、一番帰りが遅くなるのは、流哉本人だというのか。
何とも、皮肉の効いた結末だ。
吸いかけた、四本目の煙草をどうするか、一瞬だけ迷ったが、再び、それを咥え直し、改めて火を灯す。
この一本を、最後と決め、肺の奥深くまで、ゆっくりと煙を吸い込む。
吐き出した紫煙が、青い空に溶けて、消えていく。
もう少しだけ、この無意味で、無価値な時間を、ここで過ごしていよう。
今回の話し、どうでしたか。
流哉は資料探しだけしか手伝いませんが、流哉が探すかどうかで時間は倍以上変わってきます。
連盟から送られてくる資料に目を通すことが、日々の時間を取られる原因です。
資料が送られてきている以上、知らなかったでは済まないというのが理由ですが……
流哉は煙草を良く吸います。
ヘビースモーカーではないと当人は思っていますが、吸う量は多いです。
※三上堂司からのお願い※
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