10.流哉の部屋はドコ?『その拾』その天秤は、何を量るのか
燈華の視点となります。
楽しんで頂けたら幸いです。
タイトル付け、加筆と修正を行いました(2025/08/21)
神代流哉が指に挟んだ紙巻きの煙草は、その役目を終えようとしていた。
冬城燈華自身は煙草を吸ったことはないから、彼の煙草を消費する時間が早いのかは分からない、
分からないなりに、知っている範囲で比較する。
学校の教師たちよりも、流哉の方が遥かに短い燃焼。
まるで、彼自身が放つ魔力が、その消費を加速させているかのようだ。
「───先に言っておくが、こんな手段に頼らなければならないほど、オレの保有魔力量が少ないわけじゃない。
生成速度も、燃費も、凡百の魔術師程度じゃ比較にもならん。
まあ、煙草を吸うのは習慣のようなもの、と思ってくれればいい」
まるで彼女の内心を読み取ったかのように、流哉は言葉を紡ぐ。
最後の一吸いと共に、紫煙が虚空に溶ける。
彼は、その吸殻を灰皿に置くと、指を鳴らすまでもなく、ただ、視線を注ぐだけで、それを根本から燃やし尽くした。
赤い火の粉が、一瞬だけ、蝶のように舞う。
後に残るのは、僅かな灰のみ。証拠も、痕跡も、残さない。
なんて、事もなげな焼却。
もし今の自分が同じことをしようとすれば、最低でも五小節の詠唱と、魔法陣の構築と展開は必須となるだろう。
呼吸するように魔術を扱う、という領域には、まだ、あまりにも遠い。
「さて。契約は己の力量を見極めろ、と話したが……」
ふ、と。
彼の唇から、煙の代わりに、深い溜め息が零れた。
それは、これから語る内容に対する、心からの倦怠と、そして、幾度となく見てきたであろう愚者たちへの、静かな侮蔑。
「さっき言った選択肢……見苦しく、足掻くことを選んだ場合の末路も、話しておこう。
だが、心して聞け。この選択をした者を、オレが助けてやるとしても、ただの一度きりだ。
その後、どれだけ泣き喚こうと、二度と、手を貸すことはない」
彼の声は、燈華の皮膚を撫でる空気から、その温度を根こそぎ奪い去った。
これは、絶対にしてはならない禁忌なのだと、彼女の本能が、警鐘を鳴らす。
「連盟の、特に根拠のない自信に満ちた輩に多い選択だが……オレは、そいつらを自らの意思で助けること決してない。
無謀な本人を止められなかった、周りの連中の、ただ一度の願いを聞いてやっているだけだ。
だが、それで調子に乗る愚か者もいる。
何度も言う。実力に見合わない力は、身を滅ぼす毒だ。これだけは、決して忘れるな」
言葉の一つ一つが、重い。
助けない、と断言した時の彼の瞳は、いっそ、神聖なほどに冷え切っていた。
それは、この場にある個人の感情という熱源を、根こそぎ奪い去るに足る、神聖なほどの絶対零度。
「……まあ、脅しはそのくらいで良いのではないかしら?」
張り詰めた空気を、西園寺紡の声が、まるで薄刃のように切り裂いた。
流哉の纏う空気が、僅かに、和らぐ。
脅し、と彼女は言ったけれど。
あれは、紛れもなく彼の本心そのものだ。
「ここからは、契約の『重さ』についての講義だ。
時に、あまりに均衡を欠いた条件を提示する者がいる。
オレは、それを見逃さない。
契約とは、常に釣り合いの取れた天秤でなければならない。どちらか一方に傾くことは、世界の理そのものが許さない。
───アストライアーの天秤を持つ者として、オレが、その歪な契約を是正する」
その最後の言葉は、まるで宣誓のようだった。
アストライアーの天秤。
祖父母から、その名だけは聞いたことがある。
正義の女神がその手に持ち、あらゆる偽りと不正を許さず、唯一絶対の『正しさ』を示すという、神代の魔導器。
「アストライアーの天秤、ですって?
随分と珍しいものをお持ちなのね」
紡の瞳に、僅かながら、純粋な知的好奇心の光が宿る。
「オレが、オレ自身の契約を結ぶ時にしか呼び出さない。故に、その存在を知る者は少ない。
普段は宝物庫の飾りになっているんだがな。
今後の全てを賭けるような局面でもなければ、出番はない」
その言葉に、大津秋姫の肩が、ぴくりと揺れたのを燈華は見逃さなかった。
魔導器と聞いて錬金術師としての血が騒いだのだろう。
だが、すぐに、それは触れてはならない神域の遺物なのだと、悟ったように、静かに視線を伏せた。
「若干、脱線したが……要は、契約を結ぶ前に、その条件は正しいか、対価は不足していないか、あるいは、払いすぎていないか。
締結する前に、よく考えろということだ。
見落としが無いか、隅々まで確認しろ。
少しでも怪しいと感じたなら、その契約は、絶対に結ぶな」
その瞬間、紡の視線が、くい、と燈華を刺した。
その意味は、痛いほど分かる。
自分が今、この学校の生徒会長という立場にある、その経緯。
先代会長との口約束にあった、小さな、しかし致命的な見落とし。
面倒事を背負い込む羽目になった自分を、この隣の魔女は「信じられない」と評した。
流哉の講義は、まるで過去の自分の失敗を、今、この場で、断罪しているかのようだった。
「さて。オレからの講義はこんなところだ。何か、聞きたいことは?」
静寂が、落ちる。
その沈黙を破ったのは、燈華自身だった。
す、と、静かに、手を挙げる。
ここで生まれた疑問を、消化不良のまま終わらせるのは、性に合わない。
「……いくつか、あるんだけど、いいかな?」
「答える、と言った以上、約束は果たすさ。
いちいち気にせず言ってみろ」
それは、意外なほど、真っ直ぐな響きを持っていた
ゆっくりと、言い聞かせるような、彼の声が、凍り付いていた燈華の心臓を、不器用に、しかし確かに、解かしていく。
もう一本、と煙草の箱へ伸びかけた彼の指が、途中で止まる。
それは、ここにいる少女たちへの配慮か。
あるいは、これ以上、あの安物を吸いたくないという、彼自身の矜持か。
「もし、どうしても契約したい相手がいて、でも、力が及ばなくて、一度諦めて助けを求めたとするじゃない?
その後、もう一度、同じ相手に挑戦することって、できるのかな。
……それで、もし、また力が足りなくて撤退する時。その時も、助けては……もらえるの?」
再挑戦の可否。
そして、彼の慈悲の、限界。
それが、燈華の聞きたいことの全てだった。
「前者については、決まった答えがない以上、オレは何とも言えない。
再挑戦の権利は、呼び出される相手次第だ。
そもそも、二度目の呼びかけに応える保証など、どこにもない。
───後者についてだが」
一度、言葉が途切れる。
流哉の瞳が、ただ、淡々と、事実だけを告げる硝子玉に変わった。
「確約は、できない。
一度目の失敗から、何の成長も見られないのなら、オレは、平気で見捨てるぞ」
揺らぎも、躊躇も、そこにはない。
それは脅しではない。ただの、事実。
燈華の知る、不器用で優しい流哉とは違う。
世界の理を代行する、どこまでも冷酷な魔術師としての貌。
その横顔が、ふと、厳格だった祖父の姿と、重なって見えた。
今回の話し、どうでしたか。
前回に続き、流哉からの授業となりました。
魔術師として、裏の世界に関わるモノとして、必要な事を燈華に教えました。
そのまま燈華への質疑応答になります。
※三上堂司からのお願い※
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