2.流哉の部屋はドコ?『その弐』閉ざされた部屋は静かに目覚める
流哉の視点となります。
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タイトル付け、加筆と修正を行いました(2025/08/01)
――空間が、鳴った。
音ではない。現象としての、純粋な法則の軋み。
神代流哉が、何もない空間へと振り下ろした一本の鍵。
その軌跡をなぞるように、虚空に亀裂が走る。
少女たちの、誰かの息を呑む気配。
だが、流哉の意識は、ただ目の前の事象だけに集中していた。
亀裂から滲み出すのは、光の破片。
それは瞬く間に形を成し、扉の前に、一つの水晶として結実する。
周囲の光を乱反射させながら、まるで意思を持つかのように、静かに浮遊する冷たい宝石。
それはただ、そこに在るだけ。
何をするでもなく、ただこの場の光景、時間、空間、その全てをその内に記録しているに過ぎない。
やがて、役目を終えた水晶は、流哉の手を離れた刹那、シャボン玉のように弾けて霧散した。
後に残されたのは、扉そのものに焼き付けられた、微かに燐光を放つ魔法陣。
その中央には、寸分の狂いもなく、鍵穴だけがぽっかりと口を開けていた。
「……終わった、か。なら、部屋の準備をするとしよう」
独りごち、鍵を魔法陣へと差し込もうとした、その時。
ふわり、と。流哉の右腕に、少女の指が触れた。
「――何をしているの?」
声の主は、西園寺紡。
その表情から、先程までの人形めいた笑みは消え失せている。
そこに在るのは、自らの聖域を侵略しようとする外的へと向けるそれだ。
細く、白魚のような指。
少女のそれであるはずなのに、その手からは、鋼のような揺るぎない意志が伝わってきた。
彼女には、流哉が成そうとしている術の全容までは理解できていないのだろう。
だが、自身の領域であるこの屋敷に、何らかの異物が持ち込まれようとしている。
その事実だけは、本能で正確に嗅ぎ取っていた。
流哉は、紡のその小さな手に、自らの手をそっと重ねる。
ひやりとした、まるで冬の夜のよう。
「屋敷に危害を加えるつもりはない。
分かりやすく言うなら、この扉と、別の場所を繋ぐための、ほんの準備運動だ」
「私の屋敷や部屋に、何か影響があるわけではないのね?」
「ああ。ソレはオレの名にかけて保証する。
そこまで心配なら、契約書でも交わすか?」
流哉が僅かに目を細めて問うと、紡は数秒、探るように彼の瞳を見つめ、やがてふっと力を抜いた。
「……貴方が『契約』を口にするのなら、信用するわ」
彼女は、掴んでいた腕を名残惜しむでもなく離し、すまし顔で冬城燈華の隣へと戻っていく。
その背中を見送り、さて、気を取り直して、と流哉が扉へと向き直った、その時。
「ねえ、リュウちゃん!
今のクリスタル、ドコから出したの?
それに、ドコに消えちゃったのよ!」
今度は、好奇心という名の光を瞳に宿した燈華が、ずい、と距離を詰めてくる。
どうやら、この部屋を開くまでには、まだいくつかの関門を越えねばならないらしい。
「祖母から受け継いだモノだ。
それ以上は、オレも詳しくは知らない。
クリスタルそのものが、魔法陣を内包している。確かなのは、それだけだ」
「それじゃあ、ドコから出したのかって質問の答えになってないじゃない!」
むくれる燈華に、流哉は内心でため息をつく。
この少女の探求心は、時に厄介だ。
だが、その真っ直ぐさが彼女の美点でもある。
虚空から取り出した、と説明しても、おそらく納得はしないだろう。
興味のあることは知りたがる燈華に対して、説明する気はサラサラ無い。
そもそも説明したとて、理解できるとは思えない。
理解できないのであれば、それは無駄な行為。無駄なことはしない主義だ。
ならば、答えは一つ。
「……いずれ、話す時が来る。今は、そうとだけ答えておく。
それより、不用意に触れるなよ」
少女たち全員にそう言い聞かせ、流哉は今度こそ、鍵穴へと鍵を差し込み、静かに捻った。
カチリ、と硬質な音が響き、扉に描かれた魔法陣が眩い光を放つ。
鍵を抜き取ると、扉全体に広がった幾何学模様が、まるで巨大なダイヤル錠のように、それぞれが異なる速度で、しかし完璧な秩序を保ちながら回転を始めた。
その光景に、燈華や秋姫たちが息を呑むのを、流哉は背中で感じていた。
その時、くいくい、と服の裾が引かれる。
振り返ると、そこにいたのは、またしても西園寺紡だった。
今度は、先程のような鋭い警戒心はない。ただ、純粋な興味を瞳に浮かべ、小首を傾げている。
「……私の屋敷に、いったい何をしているの?」
「今、この部屋の状態を記録している。
オレの部屋は、現実の座標を持たない場所に在るんだが、そこへ繋ぐ際に、この扉の原型を記憶する仕組みらしい。
一度繋いでしまえば、仮にこの屋敷が更地になろうと、この扉と、その先の空間だけは残り続ける、と聞いている。
……もっとも、実際に試したことはないから、詳しくは知らんがな」
淡々と説明するが、彼女が納得したかは分からない。
ただ、突然、本棚から魔導書を取り出して攻撃してくる気配はないことから、どうやら最悪の事態は免れたらしい。
紡は少し考える素振りを見せ、やがて、ぽつり、と呟いた。
「……そう。なら、良いのだけど。
一つ、伝え忘れていた決定事項を思い出したわ」
「決定事項?」
「ええ。この屋敷に、私の許可なく手を加えること、よ。
今回は、私が伝え忘れていたから許してあげる。
でも、次に何かを変化させるようなことがあるのなら、必ず先に私の許可を取りなさい」
その口調は、十七歳の少女の、拗ねたような響きをしていながら、その内容は絶対的な女王の勅令にも似ていた。
流哉は、この魔女が持つ、屋敷への執着──いや、愛着と呼ぶべきか──その深さを、今更ながらに理解した。
自分の持ち物への執念が強いことは分かっていたつもりだった。
だが、その根底にあるのは、ただの所有欲ではない。
この館そのものが、彼女のアイデンティティの一部なのだ。
配慮が足りなかった。
その、ここ数年、彼の思考回路からすっかり抜け落ちていた単語が、脳裏を掠める。
燈華の成長を見守る。
それは、もはや以前と同じ生き方ではいられないということ。
その事実を、改めて突き付けられた瞬間だった。
「……分かった。説明もなしに、すまなかった。
これはオレの説明不足だ。
以降は、自室の中で完結させる」
「分かってくれればそれで良いの。
私が、伝え忘れていたのも事実なのだから」
ふい、と顔をそむける紡の横顔は、少しだけ、赤いように見えた。
流哉が再び扉へと向き直ると、バラバラに回転していた魔法陣は、いつの間にかその動きを止め、完璧な一つの円陣として静止している。
「さて、準備はできたようだな」
「だから、部屋を持ってくるって言ってた意味が、まだ分かってないんだけど?」
「百聞は一見に如かず、だ。自分の目で確かめるのが一番早い」
流哉がそう言った瞬間、扉一面に広がっていた魔法陣が、その役目を終えたとばかりに、光の粒子となって霧散していく。
後に残されたのは、扉、だったもの。
いや、もはや、それは先程までの木製の扉ではない。
悠久の時そのものを吸い込んで、夜そのものを削り出したかのような、黒く変質してしまった黒壇の扉。
そこから放たれる、圧倒的な魔力の奔流。
その威圧感に、燈華や秋姫、アレクサンドラたちは、思わず後ずさる。
ただ一人、西園寺紡だけが、その唇に、歓喜とも畏怖ともつかぬ、妖艶な笑みを浮かべていた。
この魔女は、きっと、この扉の向こうにある力を欲するだろう。
だが、くれてやる気は毛頭ない。警戒は、必要だ。
様々な思惑が交錯する中、流哉は、その重厚な扉に手をかけた。
「――さあ、ここがオレの部屋だ」
ギィィ、と。墓石を動かすような重い音を立てて、扉が開かれる。
流哉は、呆然と立ち尽くす少女たちを、室内へと招き入れた。
そこに広がっていたのは、異様、という言葉すら生温い光景だった。
調度品の一つ一つ、書棚に並ぶ本の一冊一冊、その全てに、無数の錠前が掛けられ、その存在を封じられている。
まるで、部屋そのものが、深い眠りについているかのようだ。
流哉は、その中で唯一、錠前のないサイドボードの引き出しを開け、先程の『魔法陣の組み込まれた鍵』を、そこにあった鍵穴へと差し込んだ。
カチリ、と。最後の一片が噛み合う。
魔法の鍵が、光となって消滅した、その瞬間。
部屋中に掛けられていた、おびただしい数の錠前が、一斉に、音もなく消え去った。
――それは、永い眠りから、一つの世界が目覚めた瞬間だった。
今回の話し、どうでしたか。
紡の屋敷にて、流哉の部屋が目覚めました。
燈華は楽しさと期待に胸を高鳴らせて、紡は目当ての本がある事を確信しています。
他の面々も魔法使いの部屋ということに色々な感情を抱いております。
次回以降はその辺りを掘り込んでいこうと考えております。
※三上堂司からのお願い※
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