3.魔女達の住む館『その参』魔女は境界で嗤う
流哉の視点となります。
楽しんで頂けたら幸いです。
今回の話しで今章は終わりになります。
タイトル付け、加筆と修正を行いました(2025/07/27)
西園寺紡からの問いかけ。
それは、まるで少女が悪戯を思いついた時のような、無邪気で、残酷な響きをしていた。
その言葉が孕む本当の重さを、神代流哉は正確に理解していた。
思考が、止まる。
秒針の落ちる音さえ聞こえない、完全な静寂。
否。問いかけは、とっくに終わっている。
西園寺紡の唇から紡がれた言葉は、音としての意味はとうに失い、今はただ、目の前の少女の瞳だけが雄弁にこちらを観察していた。
愉悦の色を隠そうとせずに、こちらの出方を見定める、硝子玉のような瞳が。
この魔女は、こちらの答えなどに興味はない。
差し出された選択肢を選ぶまでの、神代流哉という魔法使いの、思考回路そのものを、玩具にしているに過ぎないのだから。
「……そんなに、深く考えることじゃないわ。
貴方が、私の動かす盤面を大人しく傍観者として見ていてくれるのか。
それとも、盤面ごとひっくり返して、私の敵になるのか。
私は、ただ、それを聞いているだけよ」
その言い回しが、ひどく厄介だった。
少女の無邪気さと、魔女の狡猾さが、一つの言葉の中に同居している。
答えは、とうの昔に決まっている。
だが、どうすれば、こちらの真意を悟らせることなく、この場を切り抜けられるか。
カードの切り方を一つでも間違えれば、この魔女は、こちらの喉元に牙を突き立てるだろう。
流哉は、敢えて問いに答えず、問いを返す。
「紡は、どう考えているんだ?」
綺麗な柳眉が、ぴくり、と動いた。
それは不快ではない。
むしろ、こちらの思わぬ反撃に、心が躍ったというかのような、僅かな煌めき。
彼女は、流哉の介入を望んではいない。
だが、流哉を完全に敵に回すのも、また、彼女の美学には反するのだろう。
損得勘定。少女の気まぐれ。
その両方を天秤にかけて、この魔女は、今、まさに次の手札を選んでいる。
「今、お前が頭の中で描いた、いくつかの未来図。
その中で、最もお前にとって都合の良い筋書き通りにも、最も不都合な動きも、そのどちらでもオレは実現できる……それでも、その無益な質問を続けるか?」
数秒の沈黙。風が、廃墟の窓枠を寂しく鳴らす。
やがて、紡の唇の端が、楽しそうに綻んだ。
「……やめておくわ。せっかくの面白い玩具を、そう簡単に壊してしまっては、つまらないもの」
正直なところ、紡がこの西宮の地に何をしようと、流哉にとっては心底どうでもいいことだった。
祖母の遺品を全て回収し、そして、冬城燈華が一人前の魔術師として、あるいは魔法使いとして独り立ちした後ならば。
この街が、魔女の実験場と化そうと、あるいは、もっと別の何かに変貌しようと、彼が介入する理由はない。
だが、今は違う。
「貴方が、この地に、それほど執着するだけの何かがある。
それが知れただけでも、今日の収穫としては十分ね」
「オレの前に、立ち塞がる気か」
「まさか。そんな無謀なことするわけないでしょう?
私は、楽をして利益を得るのが好きなの。
貴方という嵐を真正面から受け止めるのではなく、その風を利用して、高く飛ぶ。
そういうやり方の方が、ずっと性に合っているもの」
童話の魔女が、悪戯っぽく笑う。
その、十七歳の少女が浮かべるには、あまりに年不相応で、あまりに完成されすぎた妖艶な微笑み。
それこそが、彼女が代々受け継いできた、魔性の本質なのだろう。
「さて、そろそろ戻りましょうか。
準備も、もう終わっている頃でしょうし」
「ようやく、この長い立ち話も終わりか」
「ええ。燈華たちに頼まれていた『時間稼ぎ』も、十分に果たせたもの」
「……珍しく、お前の方から世間話など持ちかけると思ったが。そういうことか」
「あら、心外ね。私だって、たまには世間話くらい、するわよ?」
紡が、まるで自分の庭を散策するかのように、瓦礫混じりの道をこともなげに歩き出す。
流哉はその後を追った。
一歩、また一歩と足を進めるたびに強くなる違和感。
空気が異なるのだ。
夏の、まとわりつくような湿度は消え、まるで秋の始まりのような、ひやりとした乾いた空気が肌を撫でる。
それに気づいた時、流哉は自身が紡の領域に足を踏み入れたのだと自覚した。
風が吹き抜けるたび、廃ビルの骨組みが甲高い、まるで獣の呻き声のような音を立てて軋んだ。
そして流哉は、奇妙な違和感の正体に気づく。
───時の流れがおかしい。
視界の端で、アスファルトの裂け目から芽吹いた雑草が、僅かに成長しては、枯れていくのが見えた。
錆びついた鉄骨の色が、瞬きをする間に、ほんの少しだけ深くなる。
ここは、時の流れが加速している。
西園寺紡という魔女の意思で、半世紀あまりの歳月が、この一帯だけに、まだらに降り積もっているのだ。
「この荒廃具合、お前がここに来てから、経過した年数と釣り合わんぞ」
「あら、そこに気づいたの?
正解よ。ここは、私の館と同じだけ、時が進んでいるの。
燈華たちはまったく気がつかなかったけど」
「……随分と、手の込んだことをする。
自分の敷地以外は、どうでもいいだろうに」
「嫌なのよ。自分のテリトリーに、管理できないものがあるなんて。
見栄っ張りな誰かが、近所に真新しい家でも建てたら……想像するだけで、苛々《イライラ》して、翌日には廃墟にしてしまう自信があるわ」
その、子供のような独占欲に、流哉は自嘲にも似た乾いた笑みを浮かべた。
難儀な性格だ。だが、それは、この自分も同じこと。
「私も、貴方も、それで良いと思っているのでしょう?
少なくとも私は、今更自分を変える気なんて、毛頭ないわ」
その通りだ、と流哉は内心で同意する。
譲れない一線。
それは、守ると誓った約束の残響であり、この身を以て果たすと決めた、たった一つの道標。
故に、この歩みを止めるものは、たとえ世界であろうと彼の敵だ。
それが自身の弱さから生まれた意地であり、逃れようのない宿命だと承知の上で、この道を選んだ。
いや───選ぶ、などというのは烏滸がましい。
他に選択肢などない、初めから存在しない。
だから、もう後戻りできない。
引き返すための岐路など、初めから存在しないのだから。
「オレたちは、もう、引き返せないほどに破綻している。それこそ、壊滅的にな」
「ええ。私たちは、そういう風にしか、生きられないもの。
そして、それを成すだけの力が、この手にあるのだから。
使わないなんて選択肢、始めからあるはずがないでしょう?」
その一点だけが、この少女の貌をした魔女と、自分との、決して埋まらない断絶かもしれなかった。
魔法を得る際に、差し出すものを選べた側と選べなかった側では決定的に違う。
彼女は『選べた』側。
そして、道を誤った魔術師たちは、引き返せるはずの道が見えない振りを続ける愚か者。
……では、自分は?
選ぶことすら許されなかった、『選べなかった』側。
もし、あの夜、祖母との約束を拒めていたなら───そんな詮無い思考が、脳裏を掠める。
喪失感と奪われた痛みこそが、今の自分を形作る、唯一の真実に過ぎない。
「───着いたわよ」
紡が立ち止まり、振り返る。
その背後には、周囲の廃墟とは明らかに異質な、しかし、この寂れた風景に、まるで最初からそこにあったかのように溶け込んでいる、古風な洋館が佇んでいた。
ここが、これから世話になる場所。
魔女が住む館。
なるほど。この、時の中に忘れ去られたかのような、あまりに自然な存在感こそが、西園寺紡という魔女がこの地に施した、最も緻密で、最も悪趣味な術の痕跡か。
軋む蝶番の音と共に、重厚な扉が開かれる。
中から漏れ出すのは、古い木と、紅茶と、そして得体の知れない甘い花の香り。
流哉は、案内されるまま、その館の重厚な扉の先へと、足を踏み入れた。
今回の話し、どうでしたか。
流哉が紡の館へと到着したことで今章は終了となりました。
紡の屋敷、流哉にはどう映っているのでしょうか。
そして、壊滅的な人間性とは。
この先の話しを通して明かしていこうと考えています。
※三上堂司からのお願い※
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