お試しセットー2
夕食のときお父さんが心配そうに聞いた。
「あした全国テストなんだって?」
「そうだよ」
「どんな具合かな」
「今できることをするだけさ。塾にも行ってないし、私立に行くわけじゃないもの」
「私立かぁ、お金がかかるだろうな」
お父さんは農協に勤めているのだが、大学を出ていないのであまり給料は高くないらしい、そのことについてはお母さんも諦めていて、何かと言うと『うちは貧乏なんですからね』と言う。そんなときお父さんは首をすくめて、遠くを見るような眼をする。
僕の成績だって一流の私立を狙えるほどには良くはないし、将来、大学に行くことになったとしても、国立や公立の大学でなければ経済的に無理だと思うから、多分、高校を出たなら働くことになるのだと思っている。だから、全国テストだからと言ってわくわくするわけでも、成績や順位を気にするわけでもなかった。それよりも、日曜日にあるサッカーの試合を考える方がよっぽどドキドキする。ぼくはゴールキーパーで一応レギュラーなのだ。今度の試合に勝てば県大会に出場できる。そして、県大会で勝ち抜けば全国大会だ。
その夜ベッドでアインシュタインと話し合った。悪魔って何なのかが一番の話題だった。
アインシュタインは言う。
「人類社会を発展させてきたのは悪魔だぜ。悪魔がいたからこそ、科学も芸術もここまで来たんだ」
「科学を発展させた人はみんな魂を売っていたのかい」
「一部の人だよ、その一部の人の後を追うくらいの能力はあるさ。人類は神様に似せて作られたというじゃないか」
「神様は何をしているの」
「なぁんにもしてない。悪魔にも、君のいう天使へもなぁんにも言わない」
「本当に存在しているの」
「いるようではある。でも、悪魔も天使も確かめたことはないみたい」
「ふうん、じゃなんで悪魔も天使も働くの?」
「天使は働いてないぜ、いるかいないか分からない神様のお使いぶりっこしてチャラチャラしているだけだ。人類の明日のための仕事はしていない。あいつらは肯定するだけなんだ、簡単に言うと褒めまくるわけ、おお神様は素晴らしい、人よあなたは素晴らしい。現状を肯定して何かが変わるか?世界を変えているのは悪魔と魂を売った人だよ」
「悪魔を作って神様の仕事は終わったのかな」
「面白いことを言うね、今度えらい悪魔に聞いてみる」
「悪魔にもえらい悪魔がいるんだ」
「いるさ、もとは大天使なんていわれていた。正真正銘の天使だったんだ」
「天使が悪魔に?」
「よく出来た天使だったのさ、悔い改めて大悪魔になった。ルシファー様とアザゼル様」
「へぇえ」
疑問が湧いたので聞いてみた。
「この世の中の悪いことって悪魔のせいじゃないのかい?泥棒とか殺人とか、戦争とか」
「悪魔は人の決断には関わらない。その人の能力を高めてあげるだけさ、高い能力をもった人が何を決断し、どのような行動を取るのかはその人と、その人が所属する社会が決めるんだ。自由ってそういうことだろ。神様は人間に判断する自由をくれている。悪魔も天使もそれは侵せないんだ」
なんとなく神様と天使と悪魔、そして人間の係わりがぼんやりとわかった。
いまこの時間、日本中の六年生がおんなじ問題を前にして、チャイムを待っていると思ったら気が遠くなった。百二十万人!すげぇな。チャイムが鳴って『始め』と先生が言った。
一時間目は算数、はっきり言って嫌いだ。成績が悪いから嫌いになったのか、嫌いだから成績が悪いのか、どっちかな。
「ゆうちゃん」
アインシュタインがささやいた。
「なに」
「ゆうちゃんモードで行くかい。それともアインシュタインモード?」
「能力を高めてくれるって言ってたよね」
「厳密には違うけれど」
「アインシュタインモードにしよう」
「よし」
問題を読むとスラスラ解ける。気持ちがいいほどだ。
「これって、カンニングの一種じゃないか」
「違うよ、ゆうちゃんの習った記憶を呼び戻しているんだ」
「これって習った?」
「当たり前だろ、試験て習った所から出るに決まってる。解き方も全部先生が教えてくれたものばかりだぜ。応用問題だって数字と、たとえがちょっと違うだけ。授業中に横向いてたり誰かと話していたりしていても、ちゃんと耳は授業を聞いていて記憶の中にしまってあるのさ、今それを取り出してあげているだけ」
算数で全部の問題に解答が書けたのは初めてじゃないかな。すげぇ、凄すぎる。なんて言い訳しようかな『爪を隠していただけです』がいいかな『本当はこんなものです』ぐふっ。笑えてしまう。
「何をニヤニヤしている」
先生がそばに近づいて来た。と言っても、何も悪いことはしていない。
「算数がいきなり大好きになって、自然に笑えちゃいました」
みんながクスクス笑った。
四科目が全部終わった。
「えぇっ、間違えたぁ。そうだよな、今ならわかる、ちぇっ」
秀才の垣田君が悔しそうに叫んだ。クラスで一番成績のいい垣田君は有名私立を狙っていて、今度のテストで偏差値七十五以上を取るつもりなのだ。おじいちゃんは農協の組合長で、ぼくのお父さんの社長ということになる。垣田君のお父さんは駅前の歯医者さんだ。この町では二人とも偉い人なのだ。その孫と息子、と言っても、合わせてひとりだが僕のそばにきた。
「ゆうさく、どうだった」
「え、どうってことないよ。おれ、私立狙いじゃないし、偏差値かんけぇねぇもん」
「そうだよなぁ、いいよなぁ、サッカーだけやってりゃいいんだもんなぁ」
「いやなやつだ」
アインシュタインが言った。
「そ、いやみな奴なんだ。親とお祖父ちゃんが偉い人だし、お金持ちだからいばっているんだ。この学校のいじめの裏には必ずあいつがいる」
「吠え面かくぜあいつ」
「なんで」
「ゆうちゃん、四百点満点だぜ。一番、百二十万人のうち一番」
「ぐ!げ!ほんとかね」
「間違いないって、面白いことになるな」
「一年間の秀才か」
「だからさ、売ってよ」
「いやだっ!」
サッカーの試合前にアインシュタインがささやいた。
「今日はカンニングしようよ」
「どういうふうに?」
「全日本の権藤選手の身体の動きを、ゆうちゃんにインプットする」
「そんなことが出来るの」
「カンタンさ」
「フェアじゃないな」
「おあそびさ。一回くらいはいいじゃん」
全日本チームの権藤選手はサッカー少年、とくにゴールキーパーをやっている者にとっては神様だ。神様の動きが出来る!ぼくは誘惑に負けた。相手は去年県大会出場の第二小。今まで勝ったことはない。
予想通りPK戦になった。なにしろ当方は不世出のキーパーなのだ。一点も入れさせるものじゃない。やたらにシュートしてきたが、全部クリアした。全日本と小学生じゃ当り前か。
「今日は凄いじゃないか」
先生が不思議そうに首をひねった。
「はい、気持ちがいいくらいです」
「よし、そのいきで行け」
全部をはじき返した。そのうち三本はボレーで蹴り返して当ててやった。一人は顔面で受けてひっくり返った。まるで悪魔の仕業だった。えっ?
「有策、ちょっと職員室まで来てくれ」
担任の上原先生に呼ばれたのはその週の木曜日だった。何か悪いことをしたのかなと行動を振り返ってみたが、学校で飼っているウサギにミミズを食べさせようとしたことくらいだった。もちろんウサギはミミズを食べなかったから、下痢もしなかっただろうし、今朝、確かめたけれど、糞は丸いままだ。
職員室に行くと先生たちが、おうおう来たかという調子でぼくを迎えた。
「こっち、こっちに来てくれ」
上原先生が隅の机に座るように言った。
「悪いんだけど、ちょっとこの問題を解いてくれるか、三ページでいいから」
何だろう、どういうこと?見ると机の上に問題集がある。何で?そう思ったが、まぁ先生から言われたのだから仕方がない、素直に解き始めた。もちろんアインシュタインモード。全国テストの時よりかなり高度な問題だった。多分、一流私立の入試用の問題集だろうと思った。難なく三ページを解いた。
「ほぉう」
先生たちが一斉にため息を漏らした。でもさぁ先生、これって先生たちが教えてくれたんだぜ。
国語も、社会も、そのうえ理科までも、全部で二時間もかかってしまったおかげで、サッカーの練習に出られなかった。
「どうだね」
教頭先生が現れた。ハゲで、デブでチビだ。生徒はメタボって呼んでいる。メタボの問いに先生たちは答えた。
「本物です。間違いありません」
上原先生が一番胸を張っていた。
「でも、どうして急に」
メタボが首をかしげたので、話がややこしくなる前にぼくは言った。
「成績のことですか」
「そうだよ、有策君、いきなり出来るようになったら驚くだろう、先生たちだって」
「いやだったんです」
「なにがかね」
「一流私立とか行けって言われても、うちのお父さんは貧乏だから無理だし、それでも一回だけは思い切りやってみようと思って」
そう言ってぼくはさめざめと泣き始めた。こうすることが一番いいんだと思ったからだ。すげぇ知恵がついたものだ。悪魔万歳!アインシュタイン万歳。
先生たちはもらい泣きを始めた。貧しい家の子供が本来の能力を隠していた。すごい効果だった。
翌週の月曜日、朝礼の時に校長先生が言った。
「皆さん、本校には日本全国で成績一番の生徒がいます。百二十万人の六年生が挑戦した全国テストで、六年一組の今野有策君が一番の成績を収めました。四科目ですべてに満点、四〇〇点でした」
あとは聞いていなかった。恥ずかしっ、ていうのが本音だった。
驚いたのはお父さんとお母さんだった。
「全国で、い、ち、ば、ん!」
ふたりとも目を回してしまった。
垣田君は二十七万三千二百五十一番で、偏差値は六十二だった。
夕食のときにお父さんが言った。
「今日、組合長から呼ばれて、お前の成績のことで聞かれたよ」
「垣田君のじいちゃん?」
「うん」
「なんて」
「どんな勉強法をさせているのかって」
「ばっかみたい」
「うん。特に何にもさせていませんて答えておいたよ。だって、そうだものな」
お父さんは晩酌の芋焼酎のお湯割りをなめている。いやな匂いの酒だと思う。鹿児島県にいる知り合いに勧められてから、晩酌はビールからこれになった。値段が安いからお母さんは喜んでいる。
「そうしたらさ、トンビが鷹を産んだか、だと、失礼しちゃう」
「あら、誰が聞いてもそう言うと思うわよ」
自分のお皿から豚肉の生姜焼きを一枚、ぼくのお皿に移しながら、お母さんはそう言って笑った。このところ非常にご機嫌がいい。
「あなたは間違いなくトンビよ。私がもしかしたら鷹の血を隠していたのかしら」
「勝手にしな」
ふたりとも嬉しそうだ。ぼくとアインシュタインは親孝行をしている。玄関のチャイムが鳴った。おじいちゃんだった。
おじいちゃんとおばあちゃんはこの町で農業をしている。毎年六トンあまりのお米を作り、野菜を何種類も作っている。お母さんはお米ただ、お野菜ただ、ときどき卵ただ。またときどき鶏ただなので、お父さんの給料が安くてもやっていけるのだと言っている。
「また鶏と卵を持ってきた。明日でも食べなさい」
「いつも、ありがとうございます」
「ごちそうさま」
ぼくもお箸をおいてお礼を言った。
「俺の孫がとんでもない成績をとったんだってな、教育長の一太郎が大騒ぎで知らせに来たぞ、」
「うん、そうなんだ。こいつずうっと隠してきたらしい」
「なんで」
と、じいちゃんは僕の顔を見つめて聞いた。ここは泣いちゃうわけにはいかない。
「・・・うーん・・・、目立ちたくなかったんだ」
「目立ちたくないって言ったって、おまえ、勉強は子供の仕事だろうが」
「だから、勉強はしたよ」
「へえぇ、いつやってたの、俺は見たことないな」
お父さんはもう酔っ払っているに違いない。でもまあ真実だ。
「授業をしっかり聞いていればみんなわかる問題だよ。試験はさ、授業でやったことしか出ないだろ」
アインシュタインの言ったことをそのまま口に出した。
「それにしても大変なことだ。一太郎が言っておったが、一流私立中学からスカウトが間違いなく来るそうだ。一切無料の特待生というやつで」
「なんでまた」
「東大入学の数を競って宣伝しとるからな、始めから東大見込ということなんだろう」
「ひえっ、東大」
お父さんとお母さんはまた眼を回しそうだ。
「わしにも一杯くれ」
「あっ、ごめんなさい、でも、芋焼酎でいいんですか」
「いいさ、お祝だ」
「でもさぁ、おじいちゃん」
「うん」
「ぼくは東大なんか行かないよ」
「行ければ行った方がいいじゃないか」
「ぼくは、もしおじいちゃんが許してくれたら田んぼをやりたい。野菜を作って鶏を飼う」
「嬉しいことを言ってくれるな、でもな、ゆうの字、人は社会のために持っている能力を生かさなければならないんだよ。人間社会はそういう人がいたから発展してきたんだ」
おじいちゃんは悪魔のいうようなことを主張した。おじいちゃんは続けた。
「うちの田んぼや畑は、いずれおまえのお父さんとお母さんがやるだろうよ、たいした能力はいらないんだから」
えっ、それって、自分の息子をかなりおとしめた発言じゃない?と思ったが、お父さんが『全くその通り』といった表情で、何度も頷いていたから反論はしなかった。
そんなわけで、ぼくは人口三万四千七百六十二人のこの町で、いきなり特別の少年になってしまった。一年たって、普通の中学生になったらどうなるのかなって、考えたらおかしくなった。
「ねえ、アインシュタイン」
「なに」
「あのさぁ、魂を売るとどうなるのさ、この前、何にも、って言っていたけれど、売った以上はなにかに縛られるんだろう」
「対価はあるよ」
「そうだろ、で、どんな」
「獲得した能力からぬけられないってこと。つまり、一流の芸術家になったとしたら、血の出るような努力をしながら、一生一流の芸術家でいなければならないんだ。簡単にいえばただの凡才には戻れないということ」
「なるほど。じゃあ、お金持ちになりたいって言ったとしたら」
「ごめん、お金は社会の作り出したものだから悪魔も天使もさわれないんだ」
「ふぅん。うちって貧乏だろ、お父さんやお母さんに楽をさせるために、お金持ちになれるならと思ったけれど無理かぁ」
「お金そのものは駄目だね、でも、どんなことでも一流になれば、お金ってくっついてくることが多いみたいだぜ」
「へぇえ、そりゃまぁそうだろうな。ぼくは今お試しセットでいるけれど、それが終わったら?」
「もとのゆうちゃん」
「凡才?」
「そういうこと、ねぇ、魂、売る気になったかい」
「売らない」